たとえば
あなたが、誰かから、感情を刺激されて、
瞬間的に、物分かりの良い大人として振る舞いながらも、
後から、でもやっぱり、悲しみや怒りが湧いたりしたとする
こんなふうに、自分の中に、違うトーンの自分がいる感覚があるときって、ないかしら?
そつなく、洗練された大人として振る舞った後に、
何とも言えない気持ちがこみ上げて、
「ああ、私、やっぱり、泣きたかったんだ。」って、大泣きしたとしたら、
そのとき、
<泣きたい自分>が本当の自分で、
<大人を演じた自分>が偽りの自分ってことに、一瞬、なってしまうんだけど、
実際のところ、両方自分なんだと思うの
もちろん
一度にふたつは表現できないから
出力するときは
どっちかを選ぶにしても
相矛盾するそのふたつが共存してる、自分の心の中を、
何とか整理しようとか、つじつま合わせようとか、
ホントの自分を選び取ろうとか、
それは、必ずしも、必要ないように思う
何かを選ぼうとすると
選ばれなかったほうの体験が先延ばしにされちゃうだけだから、
だから、魂の経験の時短テクニックとして、ちょっとした時間差で両方味わっちゃうのさ
大人な気持ちで慈愛に満ちてる成熟した自分もホント、
「でもやっぱり、心乱されちゃうよね」って、ネガティブ感情に浸りきる自分もホント
何だかね、それだけで、少し、癒やされるような気がするの
自分の中には、一瞬だって、嘘の自分っていなくてさ、
瞬間的にでも、表現されたのなら、それは本当の自分なんだ
背伸びしたり、勇気がなかったり、ひと目を気にしたり・・・の結果と見えたとしても、
それは、顕在意識がそう感じているだけであって、
実際、そのような振る舞いが、その場の空気(=ドリームボディ)に一番フィットしていることを、
あなたのハートはよく知っているんだよ
だから、惨めでもなんでもなくて、
むしろ、偉大で、尊敬されるべきことなの!!
あなたがなにかすれば、それが真理なの
そうやって、自分のさまざまな分身たちを、
ひとりひとり、認めて、ねぎらっていくことによって、
あなたはどんどん
自分が完璧な球体であることを思い出していくんだって思うよ