Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

お金のない社会のために。

2020-06-04 | 祈り

 

 

漠然とですが、

こんな世の中になったらいいなあと思う社会があります。

それは、

お金のない社会 です。

お金が人間の苦悩を多く産み出していることは言うまでもありません。

生涯お金に翻弄されて終わることもあります。

 

元々、貨幣制度は、人間の決めた取り決めにしか過ぎず、

紙幣それ自体に価値があるものではないのに、

余りにも大きな価値を持ちすぎているように思えるのです。

 

とはいえ、原始の物々交換に戻ることが善いとは思いません。

お金に代わる何か(エネルギー、高価な物質など)に頼れば同じことなので、

システムごとがらりと変えることが必須です。

それは、例えて言うと、

移動のために車を動かす、ではなくて、

道路自体がいつも動いていて、そこに乗れば自動的に運んでくれる、

みたいな、根本的で大胆なコペルニクス的転回が不可欠なのです。

人間の営みを細かく分断して一つ一つの交換案件ごとにお金が必要、ではないことがスタンダードになること。

 

それには人間の意識が成熟することが必要という人がいます。

お金が必要なくなれば、高級車や宝石を店から盗んでくる人が多く出るだろうからと。

いや、そうではありません。お金が無くなれば、高級車や宝石の価値がなくなります。

価格がつかないのですから。

世界に三台しかない高級車より、

世界に一枚しかない、自分の息子が3歳のときに描いてくれた絵のほうが、ずっとずっと価値がある、

このことを誰もが等しく実感することになります。

それを所有すれば人が羨むといった競争社会を動かしている根本的な人間の煩悩は

生きる原動力になり得なくなり、もっと他の価値観に沿って生きることになります。

 

「所有」の概念がなくなる。

「物を作って売る」がなくなる。

 

今、個人でできることとは、意識改革です。

「所有」概念を変えること。

世の中のすべての物は自分のもの、と思えるか。

今、いろんな人に一時的に貸してあげているだけで、本来は、

あのビルも、あの車も、あのお金も、皆自分のもの。

自分の物でないものは存在しない、という極地。

それが、所有という意識をなくす一歩であり、

将来的にお金のない社会を作り出すと思っています。