Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

私たちはこの枠を変えることができない

2013-08-18 | フォルテネージュ

 

不満だらけで、
不安だらけで





いつも肩に力が入り、
気づいたら呼吸は浅く、

 

 

世の中を呪い、
自分を嫌う・・・・

 

 

どんなにそんな日々を重ねても、

 

 

 

ある日、

ふと振り返ったとき、

「自分はいつだって幸せだった」と、

思うことは可能なんだ

 

 

 

 

                            ハートサポートサロン「フォルテネージュ」

 


満ち足りながらハングリーでいること

2013-08-07 | フォルテネージュ

 


“満ち足りる”とは、飽和の感覚、
すなわち、“飽きる”こと


ハングリーでいることは、希求の感覚、
すなわち、“飢える”こと

 



 

 

 



 

 


 

たとえば、彼は、
身の回りにたくさんの幸福を見つけては、

よく“満ち足りる”


彼にとっては、
この満ち足り感は、慣れ親しんだものだから、

とくに、欲しいものではない


すぐに飽きて、

新たな場所に向かうために、
自分をハングリーに駆り立てる



彼にとって、飢えることは、
生きることそのものなんだ









たとえば、彼女は、

日頃から、アイデンティティが“ざる”だから、
言ってみれば、つねに、飢えている状態で、


敢えて、自分を向かわせなくても、
地として、そこに、“ハングリー”がある



その代わり、欲しいのは、

満ち足りる、という感覚だ

汲めども尽きせぬ永遠の泉に身を浸す夢を見る











そんなふたりが出逢ったら、


対角線上にお互いを見て、

相手が目指すものを、
自分は持っていて、

自分が持っているものが相手の宝物で、

どちらも同じに尊いものだったことに気づくだろう


そして、きっと、
ものすごい磁力で、惹かれ合って、重なって、


第3のエネルギー体になっていくんだと思う

 

 

 

 

                      ハートサポートサロン 「フォルテネージュ」

 

 

 


 



 


「つかの間」に生きる

2013-08-05 | フォルテネージュ

 

こないだ、友達とおしゃべりしていたとき。




気持ちや感覚が共有できる、
私たちの関係に、心から「幸せだ!」と感じ入ったのですが、




私は無意識に、その幸福感を、

「つかの間の喜び」と定義づけ、
瞬時に、「永遠なるもの」と対比している自分に気づきました。

 

「永遠という正解に対して、
つかの間という錯覚があって、
その儚さに酔いしれることは、幻でしかない」

私の中にこのような設定があることに気づき、



同時に、分かりました。

「・・・・永遠なんてないんだ」








つかの間、とか、刹那、とか、
それらの言葉の持つ、淡さ、軽さ、脆さ、

それが人生の実際のコンテンツであって、

だからこそ、ひとは、
「永遠」という言葉に、「安定」や「安心」を重ね合わせて理想を描き、


それを善なるものとして、追い求めようとする。

 

 

 

 

でも、ホントは、

「永遠」とは、
無数に連なる「つかの間」の連続体。

時間には、きっと、「つかの間」しかないのです。

だから、むしろ、積極的に、

「つかの間」を楽しみ続けることでしか、


喜び溢れる人生は、あり得ないのではないかしら?



 

つかの間の喜び、
つかの間の愛、
つかの間の快楽、、、、、、



...あれ、なんだか、つかの間には、

楽しげなことばかり、くっついているではありませんか!!

 

 

 

                   ハートサポートサロン「フォルテネージュ」