Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

涙で確認できること

2009-07-31 | 紹介(レビュー)

小さい頃からよく泣く子だった私


今も、涙を流すことは、趣味みたいになっている


きっかけさえあれば、すぐに眼が潤む


「私って、ホント、涙すぐ出るなあ」って、思っただけで、今、こみあげてきた





テレビをつけて、


高校野球の試合をワンシーンでも見ると、もうダメだ


あれはヤバイ


この試合に高校生活の全てをかけてきた選手たち


祈るように見つめている生徒や家族


まぶしすぎる





トヨエツが犬の生まれ変わりを演じていた「ドッグ・スター」という映画を見に行ったとき、


ラストシーンの手前で、早くも嗚咽、号泣してしまい、



周囲も結構泣いてた人が多かったと思うけど、



気がついたら、エンドロールも終わり、劇場に残っていたのは私と苦笑する夫だけだった



あれ以来、動物の映画はタブーだ





イルカのショーを見に行ったときも、


別に、芸をさせられるイルカが不憫で・・とかでなく、


泳ぐイルカを見ていたら、ただ、涙が出た





N・ウォルシュの「神との対話」を読んだときも、


電車内なのに、ページの文字がみるみるぼやけていった。。






でも、残念だけど、


自由自在に操れるわけではなく、


女の涙を武器に使うようなアバンチュールは経験がない






泣いている時に、


「どうして泣いているの?」と聞かれても、すぐに答えるのは難しい


涙は言葉のようにデジタルなパルスではないから、


どこにでも浸透する形のない物体だから、


ロジックでは語れない



悲しいかと言えば、そんな気もするし、



嬉しいかと言えば、そんな気もするし、


怒っているのかと言えば、そんな気もする



理由を言葉にするという作業は左脳を働かせなくてはならなくて、



右脳全開で泣いている人にしてみれば、「そんな器用なこと、ようやらん」って感じだ





今どきの女子中高生が、リストカットして流れる血を見て、生きている実感を得ることがあるように、


涙を流すことで、今、肉体を持って物理次元に存在していることを確認しているのかも知れない







でも、「もう泣きたくない」とは思わないから、


私は、悲しいばかりではないらしい


確かに、涙はバロメーターになっている気がする


涙が出るってことは、今、目の前にあるモノは自分にとって大切なことだって分かる






この涙もろさを象徴するように、


我が家の洗面所の蛇口は、一度修理したにも関わらず、ずっと、水漏れがしていた


ドイツ製のおしゃれなデザインは見かけ倒しで、いくら締めてもポタポタと垂れてきていた


でも、今日、再び、別のところに修理を頼んだら、


年季の入った老夫婦がやって来て


ご主人の作業を奥さんが介助して、手際よく、あっという間に仕事を終えた



ずっと作業を見ていた私にも、説明しながら進めてくれ、


完璧に直った蛇口に、私は感心してしまった



腕に自信ありのおじいちゃんと、楚々(そそ)としたおばあちゃん



何か、妙に、カッコ良かったなあ・・・・



二人を見送ったとき、私の顔に浮かんだのは、



涙ではなくて笑顔だった



               スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」

                           



思えばあれは主導権争いだった

2009-07-30 | フォルテネージュ

以前、あるワークショップに参加したときのこと



こんなことを話している女性がいた



「スピリチュアルな考え方に出逢ったとき、私は残念でならなかった。もっと早くこれを知っていたら、何年も悩まずに済んだのにと悔しかった。だから、高校生になる娘に、本を読むように勧めたところ、娘は少し読んで、『スピリットとか、何か、オカルトみたいで気持ち悪い。』と、拒絶してしまった



母として、娘を心から思ってしたことが、



その意図も伝わらず、まったく逆の反応をされてしまい、



女性はさぞ、落胆したことだろう





私にも似たような経験がある



初めて、『意識が現実を創る』という考え方を知った頃、



家で、職場の上司の批判を並べ立てる夫に対して、



話を遮って、「ネガティブなことを考えると、ネガティブなことが起こるよ



と、言ってしまった



もちろん、私は夫の幸せを願って言ったつもりだったのだが、



彼は、「愚痴くらい、言わせろ」と、怒ってしまった



相手を思う真心が通じないときは、本当に悲しい・・・・



家族であればなおさらのこと・・・・



そう、思っていたが、



どうやら、あれは、コントロールだったようだ





私は、家裁に勤めていたとき、



親が懸命に言い聞かせても、子供が反発するケースをたくさん見て、



言葉で、こう考えろ!と言ったところで、伝わらないことを実感した



親は子の幸せを願っているには違いないのだけど、



主導権を握ってコントロールしようとしているのが先に立つから、



自立しようとする力が強い子ほど、従わないのだ








人は、その人自身の中から浮かんできたことを選択するのでなければ、



本当の経験として根づかない



自分にとって大切な人なら、



その人がどんな考え方をしていようと、最初から全否定してしまっては、信頼関係が失われてしまう




ただ、自分が考えていること、価値を見出したことを偽りなく話す



ただ、それだけしておく



時が来れば、相手は自然にそれと同等な何かを選ぶ



その人自身のオリジナルなものを選ぶだろう



自分が信じていることをその通りに実践すれば、波動は必ず上がっていき、



それにふさわしいように、家族の波動も上がるようにできているのだから、


ペースはそれぞれだけど、万事、ベストタイミングで進んでいくのだ



ワークショップの女性も、



彼女が真理を知ったタイミングが、本当にベストであって、



娘さんのように、もっと若い時にそんな機会があったとしても、その価値に気づけなかったかも知れない



私も、夫と一緒に、スピリチュアルなイベントに行きたいけど、



もう誘うのはやめた



同じことを良いことだと思わなくて良い



同じことに価値を置いてくれなくて良い



自分とまったく違う考え方をして、互いの意見にまったく賛成できなかったとしても、



それでもお互いのことが大好きだっていうところから、



何かが始まっていくのだと思う







あるとき、



私が夫に愚痴をこぼしたら、



夫は、「つまり、それは~~ということだね。それは悔しいね。頑張ったのに



と、受け止めた



ごく自然に、カウンセリングの技法「明確化」をされてしまい、



私は、おのずと、解決策を考えざるを得なくなった



・・・・・そうか、こうやるんだ



私の夫は、臨床心理士です



                 スピリチュアルサロン「フォルテネージュ」

                     








「愛」と「光」と「エゴ」と「執着」

2009-07-29 | フォルテネージュ

はじめに、
フォルテから咬まれた傷は、みるみる治ってきています

年を取ると傷の治りが遅くなると言いますが、これはまるで、ティーンエイジャーのような快復力です

これも、皆様から送っていただいたヒーリングエナジーのおかげです

ありがとうございました

こちらからも、ハッピーパワーを送っておきましたので、

どうぞ、受け取って下さいませ


                 
                  


スピリチュアルの本などによく書かれている、


「エゴを捨てよう」とか「執着をなくそう」という言葉


それを聞くたびに私は悲しくなる


「エゴ」や「執着」は、悪者扱いだ





「執着を捨てる」ことにやっきになり、


結局、「執着を捨てる」ことに執着しているじゃないか


「エゴを捨てよう」と頑張ってることで、強くなるものは、


結果として、捨てたいエゴと同じように屈強なエゴ(自我)ではないか






一方で、「すべての自分を受け入れよう」ともよく言われる



それなら、


エゴも受け入れよう


執着も受け入れよう



エゴや執着を悪者扱いして切り捨てようとしたって、


それが自分の一部である限り、


認めてもらいたくて、アピール力を増すためにもっとグロテスクになったりして、


また、現れてくるに違いない


エゴや執着は、良くもないけど、悪くもない


ただ、経験するためにそこにあるものだ






思うに、


やっきになるのは宇宙の流れに逆らっている



私たちは皆、生まれる前は、全知全能の神というスピリットだったのだから、



たまたま、今は人間という形を取ってこの三次元に来ているのだから、



三次元でしか経験できないことをやってみるために来たのだから、



エゴにとことん執着してみることを経験するので良いのではないか



エゴや執着の世界でしか得られない経験や学びがある


スピリットだけでは味わえないその醍醐味


忘れているけど、私たちはそれをしに来たのだ







そして、不思議なことに、


本気になって、「エゴイスティックになってやる」「執着してやる」と、しばらくやっていると、


エゴや執着たちが、


認められて、受け入れられて、癒されて、形を変えることがある



流れに逆らわずに、抑圧せずにいることで、


宇宙の意志がまっすぐに自分に入ってきて、


あれほど執着していたことが、


「なんか、わかんないけど、どーでもよくなっちゃった」ってことが起こるのだ




とことん、


エゴや執着の世界を味わうと、


その部分の経験は消化(昇華?)されて変容する


エゴや執着に見えてみたものの正体は、実は、


人に認められない悲しさだったり、


自分の価値が分からなくなった自己卑下だったり、するものだ





周りにいる人のことは、その人にまかせておいて、


自分の中で、自分に訴えてきている「エゴ」や「執着」を捨てずに経験してみると、


とっても愛らしい人になるのだと思う


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魅惑のパラドックス

2009-07-28 | フォルテネージュ

今、マイブームは、「 パラドックス探し 」だ

いや、正確には、「 パラドキシカル(逆説的)な現象探し 」と言ったほうがいいかも

一見、矛盾に見えるけど、実は何の矛盾もないことを見つけるのだ





たとえば、

       エコノミークラス症候群  

飛行機や車の座席に長時間座っていると,脚の血流が悪くなり,血栓ができてしまう病気のこと


でも,物理的空間的にいえば,

その人はある地点から他に向かって,高速で移動するという運動をしていて,

およそ,静止とは無関係なはずなのに,

「動かずに、じっとしている」ために起こる症状だなんて,

なんて、パラドキシカルなんだろう





それから,

        「遠足の帰り道」というプロセス 

「家に帰るまでが遠足」なのだから,

学校で解散式をして家に帰る途中も,「遠足」の行程に含まれる

いつもの通学路が,遠足の一部になるのだ

遠足から帰ってきているのに、まだ遠足は終わっていない状態



同じようなことは,

「卒業式を終えた3月いっぱいの期間」にも言えて,

この春休みは,行政的には,まだ元の学校に所属していることになっている

卒業しているのに,まだ所属しているということの矛盾





他にも,

「ホロスコープで,第1ハウスのカスプが天秤座にある状態

すなわち,

「自分という存在を経験するのに,他人との人間関係を通して理解するという状態」も,そうだし,


ゴルフのクラブや野球のバットなどで,

スイングするときに,向かいたい方向とは逆方向にまず動かす,セットバックという動作

もちろん,

「反動」を使うためなのだが,

最初からそこを出発点にするのではなく,

いったん,逆戻りさせてから、本来の方向に向かう・・・・ 

こんなことにもパラドックスを感じる




何故か分からないけど,

こんなパラドックスたちに惹かれる自分がいる

それは,たぶん,

      「 止まっているように見えても,動いているんだよ  」  とか,

      「 終わったように見えて,まだ終わった訳じゃないよ 」  とか,

      「 逆方向に行っているように見えて,正しい道なんだよ 」   とか,

そんなメッセージが聞こえてきそうだからだと思う




人間の顕在意識のうえだけとか,

表面的に起こっていることを見るだけでは,

にわかに分からない反作用が,

実は,奥の方に必然的にひそんでいて,

私たちの経験を,おもしろく,豊かにしてくれる


そんな気がするのだ





ところで,


数学的な「パラドックス」という言葉の意味には,


「人間の直観から導き出される結論と証明された真理とが、かけ離れていること」というのもあるらしい


「誕生日のパラドックス」とは,


人が何人集まれば,その中に同じ誕生日の人がいる確率が50%以上になるかという命題で,

論理的な証明では,「23人」とのこと

直観よりもずいぶんと少ない人数だ


人間の直観がいかに頼りないものかということを示しているらしいけど、


それよりも、

思っているより、案外、奇跡って起こりやすいんだねって思わない?



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自分の実況中継

2009-07-27 | フォルテネージュ

落ち込んでいるときなどに、試してみて欲しいことがある



題して、


                
                 「自分、実況中継~~」 




たとえば、



里誉さんが、Aさんから言われた一言にとても落ち込んでいるとする




そこで、里誉さんは自分で自分のことを、昔の古舘伊知郎のように実況中継するのだ






「どうも、いけません、今日の里誉さん、いったい、どうしてしまったというのでしょう。まるで、体の力が抜けてしまったようにげっそりしています。目もうつろで、ボーっとした表情で、何もする気が起きないようですねえ。おそらく、Aさんからの一言が相当、こたえていると思われますが、他人はいろんなことを言うものなのですから、全部気にしていては、身が持たないというものですよねえ。




余裕があれば、解説の江川さん、掛布さんも登場させる




「どうでしょう、江川さん

「そうですねえ、里誉さんは、朝から何も食べていないんですよね。昨夜も遅くまで考え込んで眠れなかったようですので、お肌のハリも失われて、せっかくの美貌が台無しですねえ 掛布さんはどう見ますか?」

「まずですねえ、彼女の良さは笑顔なのですから、それがないのは寂しいことですよね。でも、落ち込むことで人間は成長しますから、喜ばしいことですよ。まあ、そのうち、調子を取り戻すでしょう




さらに、向こう正面の舞の海さんも、お出まし願おう



「こちらから見ておりますとね、Aさんの一言というのは、以前から里誉さんが持っていたコンプレックスを刺激したものと思われるんですよ。他の誰もそんなことを思っていないのに、自分だけがそう思いこんでいる。これが自分との闘いといったものなのでしょうねえ







ここまですると、



きっと、ふっと力が抜けて、笑ってしまうだろう




そして、落ち込んでいたことと自分との間に、ちょっとした距離ができて、



悩みが少しだけ軽く感じられると思う








何をしているのかと言うと、




自分を客観視する眼を養っているのだ




人は、あまりにも強い感情(たとえば、落胆)を抱えて、それに浸り過ぎているときは、



どうしようもない閉塞感と無力感に襲われるものだ




自分=(イコール)「落胆」という構図が出来上がってしまっていると、




「落胆」という感情に支配され、世界のすべてが「落胆」という色味を帯びて見えてくる




でも、



自分の実況中継をしようとすると、



どうしても自分を客観視せざるを得なくなる




落胆に浸っている自分を外から見つめて、描写する視点が必要になる




自分とその感情の間に空間を作るのだ




そして、自分の様子を語ったり、解説者を登場させることによって、




自分の中に多くの視点があることを実感し、落胆はその中のたったひとつであることが認識できる




決して、「小さなことで、くよくよするな!」と、抑圧して無視するのではなく、




存在は認めるが、それが全部じゃないことを知ること





人は、



落ち込んでいるときでさえ、




それを達観する眼を持っているし、どうしたら良いかという智恵もあるし、乗り越える力も持っている




ただ、あまりにもひとつの感情を凝視し過ぎて、




他にもたくさんの自分がいることが視野に入っていないだけだ




カメラさんに、俯瞰で全体の絵を撮ってもらえば良い




全体を取り戻す視点があれば、そこには神聖で完全な自分がいたことを思い出すだろう


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愛犬フォルテからの刻印

2009-07-25 | フォルテネージュ
前々回のブログで、


フォルテのキュートな魅力を思うままに公表した約20分後、


私の右手親指の下、手の中で一番柔らかい部分に、


彼の鋭い犬歯の先が何ミリか、


ぷすり と 刺さった



そう、日食のあの日のことだ







ブログを書き終えて、フォルテを散歩に連れ出したのだ



いつもお散歩大好きなはずが、今日は興奮度が低いなあと思っていたら、



一階に降りる階段の途中で、お座りしてブルブルと震えだした



彼には腰のヘルニアという持病があって、時々痛むとこうなる



私は急いで震えるフォルテを抱えて、部屋に戻り、



玄関先で脚を拭いてやろうと手を出したそのとき、



よほど腰が痛かったのだろう



フォルテは嫌がって、私の右手をガブリと噛んだのだ






出血は多くなかったが、



手がみるみる腫れ上がってきて、


キリで穴を空けたように、皮が破れて赤身が見えていた



こんなことは初めてだったので、私は動揺してしばらく動けなかった



フォルテも相変わらずブルブルと震えている



とりあえず、



左手だけで作業して、鎮痛剤をフォルテに飲ませ、何とか脚を拭いて家にあげて、



自分の傷をオキシドールで消毒してバンドエイドをつけ、



単身赴任中の夫に電話して、一部始終を報告した



話していると、痛みと動揺で涙が出た



夫は、私の怪我やフォルテの様子を確認し、



「予防接種しているから狂犬病とかは大丈夫だ」とか、「薬局でこれこれの種類の薬を買え。」とか、「明日病院に行け、近くの外科は○○クリニックと××外科があるから」とか、



持ち前の緊急時対応能力を余すところなく発揮して、私に指示した後、



「でも、里誉的に言えば、これも何か、意味があるんだろ?」



と、言った







そうだった



これも何か意味があるんだ



いつも言っているのに、つい、自分の身になると気づくのがワンテンポ遅れてしまう



でも、



一時期は、スピリチュアルを嫌っていた我が夫から、



そんなことばが聞けたことが嬉しかった







そう思って見ると、フォルテは何の罪悪感もないような様子で、



いつもと同じように、私のそばにピトッとくっついている



「そうさ。使命を果たしたまでさ。噛むことになってたから、そうしたのさ」って言ってるようにも見える



相変わらず、腰の具合は万全ではないが、



あれ以後、震えがくるまでの痛みはないようだ







翌日病院に行ったら、傷口を開いて内部まで念入りに消毒され、大きくテープが貼られた



右手が不自由になったので、左手だけで何でもしなくてはいけなくて、



ふだん、右手ばかり酷使している癖がよく分かった



・・・・ん?



左をもっと使って、左右のバランスを取り戻せってことか



それとも、「愛の戦士キューティーフォルテ」のエッセンスが注入されたのか



小さい傷だけど、一生残ることで、フォルテとの絆を忘れないようにとのことなのか







あれこれ考えているうちに、



この出来事が、とても愛おしくなっている自分に気づいた



傷つけられた被害的な出来事ではなく、



フォルテと私との間で何かが行き来したような感覚が生まれていた


やはり、見えなかったとは言え、日食のパワーはものすごいかも知れない








私の耳が、



人間では普通聞こえない周波数の音をキャッチできるようになったら、



早速このブログでお知らせ致します



                スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」

                            



























「トゥーランドット」に引き寄せられて

2009-07-24 | 紹介(レビュー)

昨日、東京藝術劇場で、


オペラ「トゥーランドット」の公開リハーサルを見てきた



リハとはいえ、オーケストラの生演奏、衣装、照明、演出など本番と同じ



イタリア語で歌われていたが、ステージに日本語の字幕塔()が立っていたので、



ストーリーもよく理解できた



荒川静香さんの美しい演技に魅了されて、



ケータイで「誰も寝てはならぬ」をダウンロードしていた私だけど、



オペラは全く詳しくない



でも、どんどん引き込まれていって、



クライマックスの、トゥーランドット姫とカラフ王子のかけあいのところなど、



夢中で舞台を見つめていた



「無になる」ってあんなことかも・・・








読売新聞社からのチラシがポストに入っていたのだ



「~公開リハーサルに20組40名様をご招待~」って



最初は、一緒にオペラを見に行く友人に心当たりがなくて、捨てたんだけど、



ゴミ箱からのぞくチラシが妙に気になって、



拾い上げて、応募してみた



確信したとおり、当選し



藝術劇場は、夫の叔父一家の住まいのすぐ近くだと分かり、



いとこを誘うと、「ちょうど、今朝、藝術劇場に行ってみたいと話していたとこ!」と、ビックリされた






導かれるように、彼女とここに来たわけは、シンプルだ



芸術に触れると、波動が上がることを実感するため



何人もの人が心を一つにして演奏するオーケストラの美しい響き



合唱の柔らかく優しい声



オペラ歌手たちの朗々とした力強い表現力



場面で変わる工夫を凝らした照明や、昔の中国や大陸情緒たっぷりの衣装・・



原作者プッチーニの未完の遺作を、



今まさに、何人もの人が携わって作り上げていっている、この美の世界に、



ただ、身を置いて、その空気を感じて、浸り、味わうことの至福感ったら



魂を乗っ取られて冷酷残虐になっていた姫の心が、



急速に溶かされて「愛」に近づいていくのとシンクロして、



私の中から、理屈やことばは追い出されて、空(から)になっていった




「これが自分だ。」と自分で思いこんでいる部分を溶かして、本当の自分を取り戻すプロセスが、



物語の主人公である姫と観客の両方に起こる・・・



これも演出だったら、神業(かみわざ)だ







期せずして、


幕間におしゃべりしていて、いとこが言ったことばがまた呼応する



         「思いつきは頭で考えたこと、第六感は心で感じたこと」



インスピレーションとは、ことばで説明できない確信なのだろう









自然に触れる、自分が好きなこと、ワクワクすることをする、など、



波動をあげて宇宙とつながるためにできることはたくさんあるけれど、



芸術の世界に身を置いてみるのもオススメだ



もちろん、映画でもダンスでもいいけれど、



「美」があることが条件だと思う



誰の場合でも、「本当の自分」とは、必ずいつも美しいものだから



美は美をもってしか、呼び起こせないものなのだ








オペラに出かける前に、



私が何気なく選んでつけたクィントエッセンス(香水)は、



           PALLAS   ATHETA  (バラス アテナ) 



美の女神の名と思っていたけれど、



芸術の神の名でもあることに気づいたのは、ついさっきのことだった



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愛犬の占星術リーディング

2009-07-22 | アストロロジー(占星術)

日食(新月)の影響か、


手からどんどん力が抜けていく感覚がありましたが、


新しいエポックの始まりのこの時期、太陽のエッセンスを吸収する準備だったのではと思います





さて、


今日は、マニアックな企画です


     
       「占星術プチ・リーディング ~愛犬フォルテ編~」  



ここから先は、


犬フェチ&星々の世界となりますので、ご了承のうえ、お入りくださいね





まず、フォルテの簡単な履歴からご紹介します


2000年9月13日群馬県生まれのパピヨンで、


生後2ヶ月までブリーダーさんに育てられ、


川崎市のペットショップで私たち夫婦と運命的な出逢いをして、


我が家に来てくれました


以来8年間、フォルテは一日約12時間のお留守番を一人でこなし、


立派な番犬として、何人もの空き巣ねらいを撃退してきたものと思われます



雪のような白に、赤みがかったブラウンがアクセントのふわふわとした毛並み



彼のキュートなお目目で見つめられた人は、一瞬にしてハートをわしづかみされます


・・・・と、これ以上続けると、石が飛んできそうなので、やめますネ。。






まず、



太陽は9室乙女座にあり、8室蟹座のノースノードとセクスタイル


「番犬」及び「落下物(食べ物)処理班」という役割に忠実で、奉仕の精神に満ち、


愛らしさ全開で、人の感情に敏感に反応します



この愛らしさは、


天秤座の金星とみずがめ座の天王星という、王様の中の王様2人が、


トラインというタッグを組んでいることにも由来します


「魅力(金星)をキラキラときらめかせ(天王星)」てくれているのです



そのうえ、月は3室魚座にあり、ほぼ満月生まれであることからも、


生まれながらに、華やかさを身につけていることを表しています




そして、


乙女座と同じく奉仕、仕事を表す6室の支配星である金星が10室にいることもまた、


フォルテの奉仕の態度は、番犬、ペットとしてのプロ意識ともつながっていることが分かります


(ちなみに、彼は、夢の中でも番犬していて、時々ちっちゃく吠えています





そして、


フォルテの賢さを証明するかのように、


10室天秤座の水星のアスペクトはイージーばかり


木星、土星、海王星とトライン、冥王星、カイロン、ASとセクスタイルです


これは、智恵やコミュニケーション力が、


あらゆるエネルギーと結びついて流れるように発揮されることを表します


このブログでも紹介しましたが、


フォルテは人のことばのみならず、波動をもキャッチする、古い魂の賢さを持っています




一方、3室魚座の月のアスペクトはスクエアばかり4つです


飼い主として、フォルテは家に来る前、ちょっとハードな体験をしていたのではないかと感じていたのですが、


やはり、そうだったのかも知れません。。。


食べ物の横取りは日常茶飯事だったのか、

未だに、その辺の警戒心はものすごいものがあり、ビックリします




さらに、目立つのが、


太陽、月、水星、金星、火星の個人惑星の間に、アスペクトがゼロです


これは、内面的に欠如感を感じやすく、


自分の外部に手応えを求めていく傾向を示しますが、


だからなのでしょう



フォルテは、目の前にいくらおもちゃがあっても、


自分の手の届かないところにあるおもちゃを欲しがり、いつまでもねだることがあります


今ここにある幸せに関心を向けるようにさせたいものですが・・・





射手座のAsがカイロンとコンジャンクションなのは、


見ていると癒され、愛を教えられる存在そのもの




モードはMutable(柔軟宮)9、エレメントはAir(風)7で、双子座が優勢



一日12時間のお留守番から、私が家にいる生活、さらに、夫の単身赴任という環境の変化に、


幅広い好奇心と矛盾を受け止める素直さで、難なく順応してきたものと思われます






最後に、


フォルテのチャートには、「カイト」があります


「カイト」とは、アスペクトの線が織りなすひとつの型で、


行動のエネルギーにあふれ、とってもパワフルであることを表します


夫も同じくチャートに「カイト」を持っていて、夫とフォルテはホント、マブダチです



さらに、フォルテの、Mc,Ic,As,Dscの軸は、私のチャートと全く同じ



果たすべき使命と方向性の質が、相似形でシンクロしているのかも




こんなことからも、


フォルテは、我が家に来るべくして来てくれた天使なんだなあと思います



以上、



独断と偏見とひいき目に充ち満ちたこの文章、


読んで下さって本当にありがとうございました



あなたにもフォルテの愛のオーラを届けます



                スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」

                         





















「かわいそう」が犯す罪

2009-07-20 | フォルテネージュ

人が人に対して、「可哀想に」と思う時、

そこには、何らかの階層関係に基づく上から下への方向性が感じられる

助ける者と助けられる者、守る者と守られる者、余裕がある者と緊迫している者

不当で不条理な状況に置かれた者に対する、

そういう状況とは無関係の者が発する憐憫が「可哀想」という感情




でも、人がする経験はすべて必然であり、

どんなに不当で不条理に見えようと、貴重なものだとの前提があれば、

「可哀想」とのことばではフィットしない

この人は今、この人のためだけにある世界を体験しているのだから、

生じる感情は敬意であって、憐れみではない




去年の27時間テレビで、

司会のさんま師匠が、

睡眠不足と疲労で、意識が朦朧としながらも炎天下のビルの屋上でコントしている場面を見て、

SMAPの仲居クンは、

「全然可哀想だと思わなかった もっと苦しめと思った」と言い、

さんま師匠はそれを、「最高のほめことば」と受け取ったらしい




「可哀想」と言われることは、

その人の経験の価値を一気におとしめ、その人を弱い立場にしてしまう

いじめられている犬猫や、世話を求めて泣いている赤ちゃん扱いをされれば、
健康的に自立して生きようとしている者には、むしろ攻撃としか受け取れない



たとえ、何かをしてもらったとしても、

自分のことを可哀想だと思っている人間と心通わせることができるだろうか

もし、人を怒らせたいのであれば、その人を「可哀想な人だ」と言えば、

相手は確実に気分を害するだろう





だから、

施設で育った子供たちに対して、身体に障害がある人々に対して、

「可哀想」と思うなら、自分と無縁だと考えている証拠だ

その人が生まれる前に自分自身で、

不当とも見えるその状況を経験すると選択したことへの尊敬を密かに感じていると、

本来一緒に持ってきたであろう問題克服力が、

さらにパワーアップする一助になるかも知れない

 


               スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」

                         





















「ピンクの象を想像しないで下さい」

2009-07-19 | フォルテネージュ

社会心理学の実験でこんなものがある



あるとても治安の良い地域に、乗用車を一台放置する



街の人々は、いぶかしがりながら車を眺めるが、それだけではまだ何も起こらない



ある日、この自動車の窓を一枚割ってみる



すると、何者かによって、車の別の窓も割られてしまった



さらに、夜間、割った窓から手を伸ばして、車の部品を盗む者が現れた



窃盗はあっという間にエスカレートして、複数の人の手によって、あらゆる車の部品が盗まれていった



ぼろぼろになった車体には、らくがきが描かれた



そして、



その車の近くに、ゴミを捨てる人も出てきて、



不衛生になったその場所を人々が避けるようになると、



その場所は後ろ暗い人々の溜まり場となり、



ついに、ひったくりや強盗などの犯罪が発生するようになっていった



「ブロークン・ウィンドウズ理論」は、犯罪が生まれて発展するプロセスを教えてくれる




割れた窓一枚の存在が、「ここならこれくらいは許されるだろう」という認識を生み、



荒廃した人の気持ち、荒廃した環境が生まれてくるのだ






これを応用して、



ニューヨーク市のジュリアー二市長は、



まず、ニューヨーク市のビルから割れた窓をなくし



続いて、地下鉄の車両や駅構内の徹底した掃除から始めたという



車体に描かれたらくがきを消し、ゴミだらけの駅の中からゴミを一掃した



続いて、電車内のスリや痴漢、暴力行為を厳しく取り締まった



すると、



悪名高きニューヨークの地下鉄は、清潔で安全に利用できる市民の足となり、



この治安に対する安心感が市全体に波及して、



実際に、あらゆる犯罪が減少し、犯罪都市ニューヨークのイメージを一新した








だから、



「いじめ」をなくすために、クラスで「いじめ」に関する話し合いをしても、


「いじめ」はなくならないだろう



「戦争」のない世の中を目指して、どんなに戦争反対運動をしても、



世界から戦争がなくなる日は、今のところ、まだ来ていない



「ピンクの象を想像しないで下さい」と言われても、実行不可能なように、



人が意識を向けると、必ず、引き寄せの法則が働くので、その対象は増大する可能性すらある




ニューヨーク市の例のように、



微細なことからできる範囲でやっていくと、それがいつしか全体に波及するのなら、



自分で自分を尊ぶことが、いつしか「いじめ」から遠ざかることになり、



人と無理に意見を一致させようとせず、お互いの価値観を尊重することが、



いつしか、「争い」から遠ざかることになるのだと思う



なくしたいことがなくなった時、



どんなことが起きているか、どんな気持ちがするだろうか、何が言いたいだろうかと想像してみて、



それを先取りして、身の回りの小さな世界でやってしまうことが、



意志次第で誰でもできる世界平和運動なんだろう


            スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」

                       














非努力派宣言!

2009-07-18 | フォルテネージュ

ものすごく怠惰に聞こえるのを承知で言うと、



私は、「我慢」とか「忍耐」とか「努力」ということばが大嫌いだ



ここで、誤解して欲しくないのは、



そういうことばが嫌いだということだ



「我慢」、「忍耐」、「努力」には、悲壮感がつきまとう



歯を食いしばったり、涙ぐましかったりという、



何だか、見ていて、痛くなるような、哀れみを覚えるような、そんな空気がある



おまけに、それには、「報われてしかるべき」といった、



取引めいた、宇宙への脅迫も感じられる








思うのは、



同じことを、ある人は「我慢」と呼び、ある人は「選択」と呼ぶということ



たとえば、



GACKTは、体型を維持するのに、もう10年も米を食べていないらしいけど、



彼は決して「忍耐」としてそれをしているのではないと思う



彼は、人一倍、米が好きらしいから、「忍耐」ではそこまでは続かないだろう



そうしようと決意して、自ら選択して、意志としてそれを実行しているだけだと思う



自分の中に「苦しい」という感情があったとしても、それをピックアップすることなく、



その行動を取ることで得られるものの方が自分にとって価値があると知っているから、



その実現のために、綿々と続けているのだ






私は、これまでの人生で、



「忍耐」も「我慢」も、人一倍やってきたと胸を張って堂々と言える



でも、そこには、ビジョンがなかった



ただ、努力し、ただ、我慢し、ただ、忍耐を重ねていた



「どうなりたくて、今、こんなに努力しているのか」よりも、その場をやり過ごすことだけだった



だから、私は、今後一切、努力はしない



いつか報われるだろうと期待して、今を犠牲にすることはしない




天と地を意識して生きていれば、



自分に必要なことがひいては社会に必要なことになり、



自然と身体が動いてしまうだろうから、



そこにあるのは、悲壮感ではなく、



例えようもないエクスタシーになるはずだ



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仙人から告げられたこと

2009-07-17 | フォルテネージュ

瞑想CDを使って瞑想していたら、


いつもよく出てくる、福禄寿のような仙人が現れて、



                「グリーンじゃ


と、私に告げた



               「・・・・ グリーン  ?」



私は、「緑色」から連想するイメージに考えをめぐらせた



成長、調和、新鮮、自然、癒しの色。。。。



           そっかぁ、平和なエネルギーが、今の私に必要なのね



と、思っていたら、



プレーヤーの調子がおかしくなって、



CDの音が聞こえなくなった



レンズが汚れているのかな?と思い、いつも使用しているレンズクリーナー機能付きのCDをかけた



調子は戻り、ちゃんと、動くようになった



                   ・・・・  待てよ   



さっきの仙人は、もしかして、



                  「クリーンじゃ



って、言ったのかしら  







こんな楽しい経験って、きっと誰にでもあるのではないだろうか?



ファンキーモンキーな目に見えない存在たちは、



時々、私を笑わせて、勇気づけてくれる



         「Take it easy、 生きてるだけで丸もうけ~やおまへんか



・・・・・・ ほんとにそうだ  






ちなみに、



瞑想直後に、Amazonから、注文していたカウンセリング関係の本が届いたのだが、



その表紙は、きれいなダークグリーンの森の絵だった


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「何様?」と言われてみよう!

2009-07-16 | フォルテネージュ
人はいろんなことに恐怖を抱くことがあるけど、


たとえば、「何様?」と言われるのが怖いという人がいる


そこには「何、えらそうに」と言われるような、尊大で傍若無人で人を見下した態度があり、


そんな態度を自分が取っていると指摘されることに恐怖を抱くというのだ



周囲の空気も読まず、調子に乗るという、愚かさが自分にあったかと思うと、



罪悪感と羞恥心で消え入りたくなるという気持ち・・・






実際に、誰かに面と向かって言われたことがなくても、



自分の心の中にそんな声が聞こえてきて、



何かをしようと決意しても、思うように動けない



自分が自分に「えらそうにするな」とストップをかけ、



たとえば、



カラオケで心をこめて歌うことも、



美しい夕陽に心動かされたことを話すことすら、



できなくなって、すくんでしまう






ここで、ちょっと、考えてみる



私たちが、



「あの人、何様のつもり?」と言いたくなる状況って、


その人が思う存分、自分を表現していることが必要だ


自分の思いや考え、過去のすべてをかけて、それを情熱的に語りあるいは行動していて、


そういう様子を見ていて、発したくなる言葉が、「何様?」だ



正しさを押しつけられているように思えたり、


自分が馬鹿にされてるように感じたり、


その人のパワーに負けそうになったりして、


言ってしまう言葉だ





と、いうことは、


その人は、少なくとも、自分を抑制せずに、自尊心にあふれて、自己表現できている


心をちゃんと解放していて、言いたいことがストレートに伝わっているということだ


「自分はこう思うんだ!」という強さが発揮できている


これって、素晴らしいことではないか



「何様?」と言われることに恐怖を感じる人は、



自分を思う存分、表現することは良くないことだとの間違った信念があるのかも知れない



もしかしたら、「何様」と言われるくらい表現したほうが、その人にとってある意味、健全かも知れない







日本人には謙遜の美徳があるから、



えらぶらないで、おとなしくしていることは良いことだとされてきたけど、


それで、やりたいことを抑制するのは、自分が自分に横暴だ



心がける点は、



「これは唯一絶対ではなく、自分の考えだ。」という態度を持ち、



自分の意見同様に、相手のことばも尊重すれば、



その人は賢く、毅然とした、尊敬されるべき存在になる



「様」 をつけて呼ばれても、当然なくらい・・・









人の持つ恐怖は、その人が持つ間違った信念を教えてくれるから、



自分が何に恐怖を覚えるかを探ることは実りのある行為だ



「ネガティブなことは考えないようにしよう」っていう、ポジティブシンキングも悪くはないけど、



現実逃避ばかりでは、解決されずに、蓄積されてしまうから、



できるようになったら、恐怖を見つめてみると、もっとハッピーになれるはず



恐怖に勝る宝なし


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狂気と不幸の条件

2009-07-15 | 紹介(レビュー)

少し前、


「実録 連合赤軍あさま山荘事件」を観た


思い出すのも勇気がいるほど、壮絶で悲惨な映画だった





1970年代、高度経済成長期の日本で、


資本主義を諸悪の根源と見なした大学生を中心とする若者たちは、


共産主義社会を実現すべく、革命を目指し、デモや集会を重ねていく


若者らが破壊活動を行うので、そのたびに機動隊が制圧に出動、


いつしか、ユートピアを夢見る若者らは、


警察と戦うために武装化するようになる


そして、集団内部の結束力を高めるために、


山の中で合宿を行い、ゲリラ活動の訓練をする


その中で、一人一人を鍛錬するとの名目で、個人を激しく責め立て、


狂気がその場を支配するようになり、


集団リンチで、仲間を何人も死に至らしめることになる





この映画は、どんな条件がそろえば、人は狂気に陥るかを教えてくれる


まず、


意味不明な専門用語を連発して、思考を停止させる



一世を風靡した、あの、 「(過去のできごとや人を)総括する」  という言葉とか、 (何度聞いても私にはその意味が分からなかった)、


その他にも、 「一人一人を共産主義化する」  云々  といった、


訳の分からない言葉が繰り返され、若者たちは混乱に陥っていく



追い詰められた若者たちが、


「 総括する ってどういうことだか教えて欲しい。」とリーダーに問うと、


「総括のしかたを人に聞くものではない!」と拒絶される


そして、一生懸命に答えても、「そういうことじゃないんだよねえ」と、全否定される


集団の幹部たちは、選民意識を高め、


最後には、


「ひとりひとりを共産主義化するという覚醒を迎えるためには、一度気絶するというプロセスを踏まなければならない!」と言いだし、


弱い若者たちは、自己保身のために、ターゲットにされた者へ集団暴行を始めていく


そして、死亡すると、


「自分自身を昇華するのに失敗した敗北死」と、本人のせいにされる





ここでは、自分と他人を否定することが是とされる


他人の行為に対して、「自己批判を求める!」と要求し、


求められた人は、「自分が○○したことを自己批判します。」と懺悔する


訓練中にちょっと髪を気にしただけでも、


お腹が空いてクッキーをつまんだだけでも、


そこには批判の嵐が吹き荒れる



たとえば、自分たちの理想とする社会について、


こんなふうにしたい、こうなったら素晴らしい、こんなのが夢だ


といった会話は皆無だった






これでは、不幸になるはずだ


苦痛の泥沼に、暗く沈み込んでいった若者たち・・・



きっと、オウム真理教のサリン事件も同じ構造だったのではないかと思う






それにしても、


坂井真紀ちゃんの演技は凄まじかった


自分で自分を殴れと指示され、ボコボコになった顔で、


柱に縛られて、発狂して死んでいった、まだあどけない女子大生の革命戦士を演じていた





後味の悪い映画だったけど、


言葉が人の気持ちを表現するのに使われていないと、理性が壊れていくこと、


理想を夢見るのではなくて、現実を否定しまくるだけでは未来がないことが、


よく分かる映画だった



勇気のあるかたは、一度ご覧になってみて下さい




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過去世と現世を貫くテーマ

2009-07-14 | アストロロジー(占星術)
月1回の占星術の勉強会に参加して、謎が解けた



最近、私が感じていることが、



ちゃんと自分のホロスコープで説明できることが分かってしまった







この頃、どうも、自分のやりたいこととやらなければならないことが



正反対だと思っていた




学びたいのに、教えなくてはならなかったり、



本を読んでいたいのに、メールを書かなければならなかったり、



自分探ししたいのに、人のことばかり考えていたり・・・・



いったい、これは何だろうと思っていた







ホロスコープのポイントで、「北のノード」「南のノード」というのがあって、



過去世からの学びや縁などを表すところがある



今の私のホロスコープでは、



それらが互い違いに影響を与え合っているのだ



つまり、



過去世でたくさんしてきた経験で、自分ではもう飽きてしまっていることを、



もう一度、現代に合わせて新鮮に挑戦することが、



現世で目指すべきことの礎になるよとのメッセージのよう







私のノードは、



射手座双子座ラインにあって、



学び、コミュニケーション、自他の関わりについてがテーマの星座なので、



私が感じていることにとても納得がいく







でも、



自分の中にある、テーマとなる軸の存在を感じて、



それに乗っかっている自分がいれば、



抵抗せずに流れていくことで、目指すところにいくはずだ








一見、正反対に見えることって、結構、近道だったりする



人の話を一生懸命に聞いていると、その人に何か大事なことを伝えることができたり、



「孤独」の価値を充分に感じると、人と一緒にいることの価値も分かったり



要は、自分の中にあるテーマとなる軸が、どんな色合いかを知っていることだ







こんなことを教えてくれる占星術ってやっぱり魅力的だと思う




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