Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

リアル3D空間の楽しみ方

2012-05-31 | フォルテネージュ

 
ひとが最も興奮する瞬間のひとつに、

「ああ、これが、私の私らしさだ!」
って発見するときがあると思うの





「他の誰でもない、これが、私!」って、

誰に言われるでもなく、
自分で見つけるとき、


誇らしさと神々しさで、
自分で自分が愛おしくなる



その愛の情動が、
私たちの正体である意識の自然の姿ってやつ




意識は自分自身を相当深く愛しているらしいよ








 

 

 

 

すべての可能性が同価値で敷き詰められているフィールドから、
私たちは、あるひとつの、「自分」を選んで、


それを、実現しに、この物理世界にやってくる


でも、やってきたと同時に、
何を選んだか、忘れちゃうんだ



それは、

自分で選んだ自分を発見して、
それを実現する旅を、充分に、楽しめる仕掛けとして、ね










 

 

 

だから、

自分の偏り、自分のこだわり、
自然に、「~でなくちゃいけない!」って思うことが、

大きなヒントを与えてくれているから、


自分にとって大切なもの(=執着)を捨てようとしないで、
自分を生きるためのスタイル(「~でなければならない」)を捨てようとしないで、


その存在理由が分かるときまで、
偏りを生きていればいいんだよ


誰かが、「本当に大切なものはお金じゃないはず・・」って言ったとしても、
本気で、「私にはお金が大切なの!」って思えば、

それでいいの


誰かと同じ、じゃなくていい
同じじゃないから、いいんだ








 



「これが私!」なんて、幻なのは知っている

「これが私!」って言えない存在に、
私たちが由来しているのも、知っている


でも、みんな、「これが私!」が、やりたくて、来たんでしょ?



そして、一度、「これが私!」と思っても、
やりたきゃ、いつでも、それを捨てて、
別の私にチェンジできることも、知っている、よね













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「どう在りたいか分からない」というミラクル

2012-05-27 | フォルテネージュ

 

 
自分の望みについて、


「どうなりたいか」じゃなくて、「どう在りたいか」が大切だから、
「どう在りたいか」を決めなくっちゃ!

と、ばかりに、

一生懸命、そこに当てはまる形容詞をひねり出そうとするなんて、



しなくていいからね







 

 

言葉を決めることが大切なんじゃなくて、

すべては可能との立ち位置から、
心躍らせているかどうか、だと思うの




もし、そうじゃないのなら、

決めるために決めた言葉は、きっと、すぐに、忘れてしまう





学校や職場で、

これが、今月の目標です!って言われたって、
問題解決ロボットじゃない私たちは、

本気で熱くなれやしないでしょ




心からこう在りたい!ってのは、
ふとした瞬間に出てくるものなんだから、

出てきたときに、捕まえればいいの








 

 

 

もし、いま、

自分がどう在りたいか、が分からなくたって、

なんの、問題も、ありゃしない


むしろ、心が満たされているってことなのかもよ



「決して満たされてないけど、分からない」なら、

全知全能、完全無欠、なんでも知っている存在が、
「自分の望みが分からないってどういう状態なんだろう?」という疑問を持って、


その役を没我の境地で演じている最中なんだと思うの


そして、「望みが分からない」ことから巻き起こる、
ありとあらゆる感情体験を、


「ふうん、なるほど」と、
しっかり、データベースに書き込みしてるってわけ




 


 

 

 

 

何も心配要らないよ


その役を演じきったら、次の役がやってくるから!


「だって、分からないのが自然なんだもん」と、
無駄な努力をしないことで、


ほら、もう、すでに、

「自然体のありのままの自分」で在ることに成功しているじゃない?

 

 

 

 

 

 

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私がずっとしてきたこと再発見

2012-05-24 | ライフパーパス・リーディング


前から分かっていたような気もするけど、




あぶり出しの文字が、
徐々にはっきりするように、

確信を持って、いま、言えるようになってきた







私にとって、
ライフパーパス・リーディングは、

芸術鑑賞なんだ









雪の結晶のように、
どれひとつとっても同じもののない、

そのひとだけのホロスコープ、
特別な時間を用いるそれを、チャネリングで見出して、


私は、クライエントさんと、まず、絆を結ぶ









そして、

その人のその人らしさが、
ふんだんに詰まったオリジナルマンダラの、

全体を、部分を、相互作用を、


心ゆくまで、味わい、愛でる

これは、頭脳の右側の仕事






それから、



掻き立てられた私の情緒を乗せて、


その人のその人らしさを、
世界でひとつだけのアートを、

私がどう鑑賞したかについて、



今度は左側を使って、

「言葉」という手段でもって、
表現し、伝えていく











私は、リーディングのたびに、
左右脳の働きを融合させているんだ

 

 

 



「ひとを味わい愛でること」



思えば、幼い頃から、

私は、趣味で、仕事で、

気づいたら、ずっと、それを、してきたって思う






 

 

 

何よりもフィットするのは、

芸術鑑賞には、正解がないところ

見る者によって、解釈が違っていいところ

 


私が、鑑賞している「その人」について、

クライエントさん自身が、違和感を感じるのは、大前提!


「これがあなたと、私は見える」


私はそう伝えるだけ




ひとは、何にでも、なれるのだから、
あなたが、選べば、そうなるし、

選ばなくても、



自分を展開させる、チャンスになる






 

 

美術館に通うまでもなく、

私は、いつも、


創造され、表現された美に、
まなざしを注いできたんだと、発見したよ

 

 

 

 

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 We are ・・・

2012-05-22 | フォルテネージュ


たとえば、


死んだように生きている人を演じて、
「鬼気迫る、迫真の演技!」と、絶賛される俳優はいるのに、



実際に、死んだように生きている人が、絶賛されないのは、どうしてだろう?






演じるテクニックに価値があるから?







 

だったら、舞台やカメラの前じゃなく、

家庭で、職場で、あらゆる実生活の中で、
不特定多数の人の前で、
何か、自分じゃないものを、演じたときに、


あとから、
「あなたは私にウソをついた!」と、


言われることがあるのは、どうしてだろう?


「演じること」が、「だますこと」になるのはどうしてだろう?



同じことを、

舞台の上でやると、芸術となり、
日常の中でやると、不誠実となる、この不可思議さったら!





 

 

 

名優は、
テクニックを使おうなんて、策略はなく、

ただ、その役柄を生きる、だけだという


 

 

 


だったら、

「人間」を演じているのを忘れるほど
役に没頭して生きている神々こそ、

ほんとの名優だと思う

 

 

「死んだように生きている」こと、それ自体が、
神が、心底したかった、貴重な人間体験なんだ


そう考えてみたとき、何が、起こると思う? 









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金環日食からのインスピレーション

2012-05-21 | フォルテネージュ


空で、陽と陰が重なって、


黄金のリングが永遠の循環を見せてくれた今日!









意識(太陽)と肉体(月)が、
自我(地球)の視点から見て、
パチッと重なるってことは、


ライフパーパスリーディングで言う、
魂と肉体のボンディング(結びつき)が、
再確認され、強められたんだと思うの





今後、ますます、

肉体は、意識を全面的に反射していくから、


からだや感覚を見守って、
その衝動の流れに沿って動くことが、

私たちの本質とのアクセスに欠かせなくなると思う



要するに、


からだが全部知っているから、
信頼して、任せておけば良いってことさ














たとえば、

 

深夜、何時間も眠れなかったとしても、

そのからだの反応は、
意識の何らかの意図のもとに、
出現した現象だから、


その流れに逆らわないが、賢いの


「明日、仕事中、居眠りしちゃう。。」とか、
「眠っておかなきゃ、疲れが取れない。。。」とか、


頭はいろいろ、根拠なく、何かとつなげて考えるけど、
自分が信じればそうなるだけで、



今夜眠らないことと、明日昼間居眠りすることとの因果関係なんか、じつは何もないんだ



それで不安になるよりも、
眠らないことを選択したからだを信頼して、


穏やかな気持ちで過ごしてればいい
何かを無性にしたくなったら、そうすればいい



そのうち、眠くなったら、眠ればいい


朝まで目覚めていることになるかも知れないけど、
翌日、朦朧としても、


その変性意識状態の中、
何かのインスピレーションやアイデアをキャッチするとか、



予想もつかないことに、つながらないとも限らない


それがもとで、
昼夜逆転の生活の中で、


オリジナルな創作活動に没頭することになるかも知れない





はたまた、深夜のネットサーフィンの中で、

素敵な出逢いが、あるかも知れない

 

 

 

 

 

 

 

 

からだがそうだと言うのであれば、
その言い分を聞いてみる


そして、一緒に、冒険してみる


からだは、一生一緒にいてくれる、正真正銘の恋人だものね








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出来事から学ぼうなんて思わないで!

2012-05-19 | フォルテネージュ



嫌な出来事に出逢ったとき、

「さて、この出来事も私が創っているのだけど、その意味は何だろう?
 私は、このことから、何を学べばいいのだろう?」


って、考えて答えを得ようとすることは、


必ずしも、必要ないと思うの









学ぶべきことや、
選択すべきことがあるのではなくて、


その嫌な出来事が、
自分に巻き起こす嫌な感情に、


どっぷり浸りきることが、“ヤツ”の狙いなのだと思うよ


「浸ろう」という意志がある限り、
ネガティブにどんなに浸っても、
発狂しないから大丈夫
破滅しないから大丈夫





勇敢にたくましく、
その「嫌な感情」という顔をしたパワーの源にアクセスしてみる














そして、原点に立ち返る、
つまり、立ち位置を、“ヤツ”のほうに変えるんだ

「この出来事も私が創った!」

「狙い通り、“相棒“に、感情の極みを掘り下げさせることに成功した!」

「なんて、力強いんだろう!」

「なんて、感動的なんだろう!」



私の宇宙の創造主たる「私」を、自画自賛で褒め讃え、喝采する



“相棒”の感情が動けば動くほど、
「大成功!」ってプラカードを持った、本当の「私」が登場するの












そのときの、「私」の爽快感ったら・・・
思わず、両手でピースサイン、だよね












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進化より深化が好き!

2012-05-17 | フォルテネージュ


進化より、深化が好き



その、いまここって感じが好き
どこかよそに行かなくていい感じが好き



宇宙には、縦軸も横軸もないのだから、
水平も垂直も、じつは、同じ動きを示してるんだ




だから、自分のいる場所を、
ひたすら、深く、掘り下げたら、



そこには、きっと、ソコなんか、なくて(!)、
無限に、玉ねぎの皮がむけるんだろうって思う





そのたびに、違う玉ねぎが見えてくるんだと思う

















あまりに深化のスピードが速いと、
他人からは、「落ちている」って見えるかも知れないね


あるいは、自分も、
誰かから「落とされた」と思うかもね



でも、その、「落とした誰か」でさえ、
自分が創ったものだから、



そのドラマティカルな演出に気づけば、
きっと、スカイダイビングみたく、楽しくなるね!














落ちることはこわくない
上がることが良くて、下がることが悪いなんて、誰が決めた?


宇宙に、上も、下も、ないんだからね

 




闇に向かうことはこわくない


だって、そこは、

あなたが光だってことがいっそう際立つ、


宇宙の中心なんだから

 

 

 

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フォルテが教えてくれたこと

2012-05-16 | フォルテネージュ

 

フォルテの癌を告げる、
医師の表情から、


とんでもないことが起こっていて、
それはかなり、深刻で、覚悟が必要だと感じ取り、



私は、まず、絶望したの



ヒーリングも、
スピリチュアルな知識も、
浮かんでこなかった





もう二度と、元気なフォルテには、戻らないことを、
真実と位置づけて、


その真新しい私の真実が、
ただ、受け容れがたくて、悲しくて、
呼吸するのもつらかった



1週間前に、母を亡くしたばかりの夫に、
離れている彼に、

なんて、伝えたらいいか、分からなかった






 

 

 

親友に気持ちを話すうち、

私は、フォルテの死を決めつけている自分に気づいたの

「最初から、諦めているんじゃない?」

「末期ガンから奇跡の復活を遂げた話、
聞いたこと、あるじゃない!」


そして、私は、
奇跡が起こるのを許す、と思った












フォルテにヒーリングすると、

確かに元気になって、少し食べられるようになり、

表情も良くなって、

医師もビックリしていたの












歩けなくなったフォルテを抱っこして通院する日が続き、

一日、数時間の点滴や免疫治療をしてもらってた

私は、ヨーグルトや、生肉や、ハチミツや、
フォルテが少しでも、自力で食べられそうになるものを用意して、


ピストンで口に入れてあげたりしてた



フォルテは瀕死のときも、
決して、寝たきりにならず、


酸素ハウスを汚物で汚すことなく、
最期まで、自力でトイレをしていたよ










 

そうこうしているうち、

気づいたら、私は、最悪の事態に対して、覚悟を決めてた


奇跡は起こると受け容れたことで、
絶望も同じように、受け容れていたんだ



本当に、何かを受け容れるとき、
ひとは、「受け容れよう」なんて、思わない


「受け容れよう」と思うってことは、努力をしているってことで、
努力がいるってことは、自分が抵抗しているってことだ



真に何かを受け容れるときは、
知らないうちに、受け容れていて、後から、それに気づくんだ

 

 

 

 

 

 

 

 



どこかで、フォルテが逝くと決めているのを、
私は、察知してて、


それを、フォルテの意志として、キャッチしたんだと思う



フォルテのことを本当に可愛がっていた夫が、
予定を繰り合わせて、家に戻ってきたその翌日、


フォルテは、彼の腕の中で事切れて、
私はその瞬間には、いなかったけど、



私には、そのことが、
限りなく、優しく、美しく、完璧なタイミングに思えたよ



そして、彼は、

どこまでも、私たちに奉仕しようと、
永久守護天使の役割を、すぐさま、申し出てくれ、



私に、たくさんの、温かなつながりを、思い出させてくれたんだ










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「私に関わる人は全員心地良いところに着地する」

2012-05-14 | フォルテネージュ




気づいたら、

頭の中でリフレインしていたこのフレーズ


「私に関わる人は、必ず心地良いところに着地する。」



結構、周りでそんな現象が起きているって思う私は、
相当、傲慢で厚顔無恥かも、知れないけど、



私の宇宙の中で、それは真実なんだ



自称、幸運の女神って、思ってる



そして、そういうことは心の内だけに閉まっておけばよいものを、
こうして全世界に向けて公表してしまうことで、


「うわ!こいつ、嫌い」って思う人が出てきても、
「うん、それでいい」って、思えるってことを、




ちょっと、楽しんでいるよ













 

誰だって、天使の部分と、悪魔の部分を持っている

天使は悪魔に支えられ,
悪魔は天使に支えられ,

持ちつ持たれつの関係だから,


悪魔を追い出そうとしたら,
天使も一緒に出てってしまう




そして,

天使と悪魔の質量エネルギーは,
その人の中で,バランスが取れているから,





「こんな自分は嫌だなあ」って思ったら,
同じテンションでもって,


「こんな自分は好きだなあ」って思える自分が,必ずいるんだ



ただ,フォーカスしていないと,
ネガティブと違って,ポジティブは,見逃されてしまうの


流れが良いことには,
誰も,気を止めないから。


滞りのほうが,目につきやすいのは,
古代から,人々が,「改善」という名の呪縛に取り憑かれているから





 

 

 

 

だから,


私は,自分について,


こんな自分,ちょっと,好き!って思うことを,


声を大にして宣言するって決めた


そうやって,自分が心地良いところに着地していくと,


物理学の法則が,勝手に,作用してくれるからね





 

さらには、地球上のひとりひとりが,


「私に関わる人は,必ず心地良いところに着地するんだもん、えへへ」と思えば,


関わる人が誰もいない人以外は,



全員が,心地良いところに,着地するはず

 

 

 

だって,


すべては、私が、どう見るか、なのだからさ!!!







おお!


究極的には、

「私には関わらない」というかたちで関わる人も、
必ず、心地良いところに、着地する・・・



だってさ

 

 




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否定されて満たされた経験

2012-05-12 | フォルテネージュ

 

あるとき、
AさんとBさんと私の三人でお話してて、




私は、話の流れに添って、
そのとき、自分が感じたこと、考えていたことを話したの

「○○とはこういうもの。この出来事の意味はこういうこと。」
みたいな、感じの、

私の信念や直感についてのお話を。。。







 

Aさんは、
「わあ、おもしろい!」って目で
私を食い入るように見つめて、好奇心全開で、


一方、


いつも、陽気なBさんは、
そのとき、黙っていたので、


「何か言って!」ってお願いしたら、


「私はそうは思わない。そんなことはないと思う。」と、


いつもの、静かなはっきりとした口調で言ったんだ


つまり、

「自分は、あなたの意見と、
まったく、相容れない」と、伝えてきたの












 

そのとき、私

言葉の内容を頭で判断する前に、
そのエネルギーをキャッチして、


なんだか、穏やかな気持ちになった

そして、満たされたって感じたの



頭は、「え? いま、否定されたよ!」って、
言ってたけど、


私には、事の真相が、分かっていた



その感覚が、新鮮で、おもしろくて、

しっかり、ブックマークしておいたんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙は、多様な表現を求めているから、

ここにいる3人の小宇宙では、
あれこれいろいろなベクトルがあるほうが自然



だから、これでいい、


お互いが、それぞれの偏りを、
自分として、気持ちよく、表して、存在することのほうが、大切




Bさんは、シンプルに「違う」と言っただけで、
私を変えようとか、自分を押しつけようとか、

これっぽっちもなくて、


ただ、私  not= あなた 、
どっちが“より良い”とかじゃないってのが、


しっかりと込められていたから、


だから、言葉で何を言おうと、

 

私には、尊重されている、認められているって思えて、
それが、気持ちよかったのさ



その感覚は、


Aさんの、好奇心と受容性全開の態度に、
勝るとも劣らない、勢いだったんだ








 

 

 

これって、否定の持つ能力、
ネガティブ・ケイパビリティーだって思う


「 そっか~、私は、こんなふうに、あなたと違うよ~ 」








 

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必要性の量子的テレポーテーション

2012-05-11 | フォルテネージュ

 

私が私の必要に応じて


表現したいことを
真摯に表現すると


必ずそれを
真摯に受け取ってくれる人が現れて

 

「勇気をもらった
「ワクワクした


と、伝えてもらうっていう経験を


もう何回しただろう

 

 


 

 

 

 

 

誰かのために、とか、
誰かを救おうとか、
狙ってるワケじゃない


狙う前から成立しているから

 

お互いでその感覚を味わうように設定している、
そういう契約なんだ

 

 

 

 

 

 

 

フォーカスすべきは、ただ
本当に伝えたいことを


文法とか
てにをはとか
まずは置いといて


「世迷い言ではないのか」とか
「こんなんで分かるのか」と言った


内なる裁判官の声を
BGMにしながら


それでも何とか
形にして
アウトプットしちまうことなんだ

 

 

 

 

 

 

 

「私」の必要は
「誰か」の必要だから



もともと一体のものが、
「ここ」と「あそこ」に分裂して浮上してきたのだから

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

その誰かと私だけでなく


表現した内容の中に
登場する命たちと


それをまったく違う場所違う時間で知った人と

 

知った人が想う人たちの

 

すべてとともに紡ぎ出したネットワークの中で

 

 

全員がそれぞれ
自分で自分に導いた奇跡に

 

やったね!


って言う瞬間が一番好き

 


 

 

だから、

チャンスを逃す、なんてことは、
絶対にないんだと、信じられる

 

 

 


陰陽の統合について考えてみた

2012-05-08 | フォルテネージュ

 

陰陽の統合ってね、




いかにも、

陰のものがあり、
陽のものがあり、

その別々のふたつを、一緒にするってイメージだけど、




いやいや、



こんなヴィジョンはどうだろう??







 

 

 

もともと、ひとつのものがあり、
そこは、混沌として、部分部分が目まぐるしく変化していて、


多様変化体なんだ
いわば、宇宙そのもの

 

 





本当は、

陰100%でできているところもないし、
陽100%でできているところもない

 

互いに他方の種を含み、
しかも、同じ状況に留まってなんかいない

 

 

でも、ひとが、
《それ》について、物理次元で経験しようとすると、



どうしても、
どこか、ひとつの場所と瞬間を切り取るしかない



だから、
私たちは、

陰の体験をする、陽の体験をする


って、感じるんだと思うの





 

 

 

だから、

“ふたつをひとつにすること”というよりも、


物理次元じゃないところで、
陰と陽はもともと同じもので、


ただ、くるくると変わる連続スペクトラムをつくっていて、



メビウスの帯というか、
自分の尾に食らいつく蛇というか、

 

あらゆる要素が渾然一体となっている状況が、
展開されているってのを、
ただ、知っておくこと、



それが、陰陽の統合なんだと思うんだ














本当の姿を知って、ものごとをそう見ていくと、

統合された、あなたのワンネスは、

無限大(∞)となっていく





春は秋の一部だし、

喜びは悲しみの一部だし、

戦争は平和の一部だし、

躍動は停滞の一部だ












 

だから、たとえば、



陰の要素を感じるできごとがあれば、
ずぶずぶとその中に入っていけばいい


こわいと思うなら、なおさらだよ



だって、覚悟決めて入ったら、

その質量分と同じだけの陽に開かれる土壌が、ちゃんと開拓されるから!


 

そうするうちに、

陰なんてものはなくて、
陽なんてものはない、ことが、分かってくる



この宇宙から、

“進化するにはアンバランスが必要”なんて概念が、

なくなるときが、やってくる!!!

 

 

 

 

 

 

いま、この時代は、

ひとりひとりが、

自分の中で、陰陽一体を遂げる、ビッグチャンスの時期なんだと思う

 

 

 

 

 

 

 

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私が命について信じていること

2012-05-07 | フォルテネージュ

 

命について、私が信じていることを聞いてね


あ、謙虚に言えば、「信じている」
ホンネを言えば、「知っている」こと・・・・







 

誰も、自分の意志に反して死ぬことはない


この生涯をかけて、
自分がやろうと思っていたことは、
必ず、遂げてから、スピリットは肉体から離れる


志半ばでは、誰も死ねない

もし、やると決めたことをやっていないのなら、
死の淵から、また、戻ってこれる




そして、たとえ、死ぬ間際に、
顕在意識のうえで、「死にたくない・・」と思っていても、
それは、そのときだけのことで、


スピリットになった瞬間、
おおいなる安らぎと、自由を感じて、歓喜に浸ることができる





“自分がやろうと思ったこと”とは、


他の命とのつながりの中で、
本当に自分らしさを発揮するということで、


生涯をかけて、
最期には、きっと、

純粋な自分を他の命に刻んでいるはず




たとえ、意識のうえでは、
つらさ、悲しみ、苦しみを味わい、
「あまり、良い人生ではなかった・・」と思ったとしても、


やり遂げた安堵感が、
必ず、死後、スピリットに訪れるの




正確には、死なんてものはないから、

命を離れて間もない頃は、

「死を生きている」状態なんだ













 

 

だから、

誰かの死を悼むときは、

その人の無念さを思わなくてもよくて、



ただただ、自分の寂しさから、泣けばいいと思う


必ず、相手は、天国で楽しくやっているのだから、
その身勝手さを、
その自由気ままさを、


恨んで、嘆くことで、いいと思う

 

 

 

 

 

 

だって、
どんなに、悲しみに暮れてどうにかなりそうに思っても、


きっと、ちゃんと、呼吸しているし、


時々、笑うこともあるし、


大好物を食べることだって、忘れないんだ




 

 

 

 

 

そして、いつの日か、

自分が肉体を離れる番になったとき、


先に逝ったその人は、
「会いたかったよ~」って、 
熱烈歓迎で、出迎えてくれるんだと思う












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