踊っているときに太陽が見えることって、
土の香りを嗅ぎながら、虫を間近に観察することって、
風と雲の織りなす空気の変化を感じることって、
こんなに、気持ちよいことだったんだね
自分の中の、女性性と男性性が、踊る仲間を通じて、一緒になった気がした
涼やかな木立で、
直視できる程度に光をゆるめてくれた太陽のもと、
聖なる結婚式が、たくさん同時に行われたんだ
赤城では、
連日、宵の口になると、
雷と夕立に見舞われていたらしいんだけど、
私たちが踊ったその日は、奇跡が起こったよ
満月を少し過ぎた月と、
その近くの木星、別名<拡大の星>が、
美しく、光り輝いて、
結婚式のあとの、宴を、見守っていてくれたんだ
ジャンベ(アフリカンドラム)やシンセの神秘的なサウンドと、
邪馬台国の女帝の呪術的歌声、
龍笛、篳篥(ひちりき)、さんしん、ベリーダンス、そして、ワールドワイドな歌の数々・・
炎で焼いた野菜や発酵させた玄米を食べて、スピリットを呷(あお)りながら、
私たちは、静かに、じんわり、呆(ほお)けていった・・
翌朝は、
沐浴した、裸族の原始人にも会ったし、
草原で、たくさんの蝶に囲まれ、追いかけて、ハイジになったし・・
誰ひとりとして、
個性を否定されない、もっと頑張れと言われない、そのままじゃいけないとけなされない、
そんな私たちのつながりは、
山に祈りを捧げて、自分を明らかにして、
この地で踊ることを地球が歓迎してくれたからこそ、
守られて、しっかりと結ばれたと思うんだ
赤城山ビオダンサ、
たくさんの祝福が、足元から、私たちを強く賢く美しくしてくれたよ
そうそう、
虫さん達とのさまざまな競演も、おもしろかったんだ
ノーベル賞物理学者のファインマンが言った、
「宇宙は、虫を自分に止まらせて、そこを掻くことで、楽しんでいる」ってことが、
実感できたって思っちゃった
大丈夫、
自分が<問題>って思っていることなんて、宇宙の退屈しのぎに過ぎないのさ
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
昔見たドラマか映画のワンシーンで、こんなのがあったよ
ママと一緒になって猛勉強してきて
高校受験を迎えた男の子が、
肝心の試験の最中に、トイレに行きたくなって、
集中できないどころか、我慢できずにお漏らししちゃった
恥ずかしさと悔しさと絶望で、
彼は、ママに言ったんだ
「ママが、悪いんだ!
ママ、休み時間にはトイレに行くようにって、言ってくれなかったじゃないか!」
正岡子規が晩年病床にあったとき、
看病と身の回りの世話をしてくれる妹の、一挙手一投足が気に入らなくて、
苛立ちと愚痴を手記に残してる
自分のことなど構わずに、献身的に尽くしてくれてる妹に、
天才詩人は、怒りと嫌悪感をぶつけ続けたんだ
どうやら、
悲しいんだけど、人間は、
思い通りにいかない時、一番身近にいる人を責めるようにできているらしいね
自分のことを
一番考えてくれて、愛してくれて、大切にしてくれる存在に対して、
「お前が悪い
こんな惨めな自分をどうしてくれる」って
厳しく、激しく、責任追及する
屈折してるように見えても、
理不尽で、非常識の極みに思えても、
きっと、
多くの人がそんな気持ちに陥ってしまう
だって、その人が自分にとって
神様だから
宇宙だから
運命を左右する存在だから
しかも
とても、ものが言いやすい神様だから
「お前なら、できるだろ。オレを幸せにしてくれよ!」って、懇願したくなるんだ
もし、あなたが、
身近な誰かを責めたくなったら
相手の、神様としての力をもっと引き出すために、ちょっと、工夫をしてみよう
怒りの代わりに、
ぽかぽかと
温かなエネルギーを注ぐことで
何かが大きく反転するはずだよ
自分のために
時間とエネルギーという愛を費やしてくれてる
大切な存在に
ありがとうって思うと
それを聞いた、全知全能なあなたの神さまは
さらなる魔法をかけてくれて
あなたはきっと
心のハードディスクの容量が拡張して
自分がバージョンアップしたことを感じると思うよ
そして、反対に、
身近な誰かに、あなたが責められることがあるとしたら、
その人にとって、
あなたは神様だってことだね
そこで、あなたはどうするか?
「私は神様じゃない!あなたのしていることは理不尽だ!」って伝えるのも良し、
ホンモノの神様のように、
いくら恨まれても、罵倒されても、沈黙を貫き通すことだって、できるよね
どちらにしても、
その人の経験はその人が選んだこと、
あなたは何も責任がないってことだけは、確かだと思うよ
その人は不思議な人でね、
会うたびに、誠の心を見せてくれて、
ナルニア国のアスランを思わせる風格で、
私は、心強さとあたたかさに包まれる
だけど、
時間が経つと、
なんだか、その人のことを、信頼できなくなるんだ
黄金のたてがみは、黒い煤(すす)けた触角となって、
悪魔のなりで、私を、あざけり笑う
すべては、幻、奇跡のように見えただけ、そんなことを、信じたのかと。。
私は、自分が見たもの、聞いたものを、
ただ、夢を見ていたかのように感じてしまう
そういうことを繰り返しているうちに、
なあんだ、そうかって思ったのは、
私は、いつも、こういう、心象風景の中にいるんだってこと だった
その人は、ひとつの象徴
人は、自分を、他人の中に、見るものだから、
私は、いつも、自分の経験に、100%の信用がおけなくて、
確かな奇跡を、偶然のできごとだと、どこかで、思っていて、
自分の感性や、自分の智恵を、
完全には信頼していないから、
他の人やものごとに、それが、映りだして見えるんだ
何度も繰り返しているこのことを、
何度も発見しては、一掃しようとしてきたけど、
私は、そんなコンタクトを装着しているんだと、思うことにした
ちょっと、乱視と近視と遠視が、入っている、オリジナル仕様なんだ
独特なものの見え方をするけど、
それがないと、すべては、輪郭がなくて、混沌と、溶け合ってしまう
それにね、
見えているものは幻という真実を、いつも覚えておくことができるでしょ?
コンタクトを外したって、
どうせ、幻しか見えないんだから、
せっかくだから、
曖昧な幻想の中で活き活きと生きるってパラドックスを、
この際、素直に受け入れてみようってね
私は、自分の過去を、経験を、否定しないよ。
絶対的な信頼が、いつどんなときでも、万能で最善なことじゃない。
疑うことが、必要なことだって、あるから、
だから、私は、何度も確認を重ねて重ねて、
そうやって、剛く、堅く、着実に、育ててきたんだ
「自分の経験を疑わないスタンスさえ覚えておけば、何がきたって、平気だよ」
今回、
その思いだけは、揺るぎない確信となって、根づいた感じがするよ
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
「空気のような存在」って言葉を聞くと、
ちょっとだけ、悲しくなるんだよね・・・
ものすごく大事で、いないと困るって気持ちだったら、
そう、ちゃんと、伝えたほうが、いいと思う
この表現はさ、
普段は、その存在の重要さを、意識してないってところに、
強調があるんだろうなあ・・
したがって、
いつも、感謝しているわけじゃない・・
その「空気」は、あまり新鮮ではなさそうだよね
うん。。
古女房ってイメージ
お日さまに干したくなる感じ
私は、誰にとっても、「空気のような存在」にはなりたくないって思っちゃう
どうせなら、
「水のような存在」になって、
個体,液体,気体と、自由自在に姿を変えて、
ちょっと隙間があれば、どこにでも侵入していって、
旅人の喉をゆるゆると潤したかと思えば、
時々、大洪水や鉄砲水で、猛々(たけだけ)しく、威力を見せつけてやるのだ
エヘッ
すべてを肯定すると誓いながら、
また、否を唱えてしまった自分がいるけど、それも、よしと、しようっと
存在は認めるけど、私は、選ばないって、
当然、ありだよね
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
子どもの頃はね、
彼らと一緒にいるのが苦痛だった
明らかに、
私が欲しているものを、彼らは与えなかったし、
彼らが価値を置いているものに、私は、興味がなかったんだ
青春の一時期、
私は、彼らを無言で責めた
もろくて、柔らかな感情を出すと、嘲笑されたので、
強がって、冷酷非道に、孤高に振る舞った
私が、強気でいればいるほど、わがままでいればいるほど、
彼らは、私を認めてくれたんだ。
会話なんか、なくったってね
でも、私もそこそこ生きてきて、
彼らを嫌ってばかりもいられなくなって、
少しずつ、
認めるべきところは認めたいって思うようになって、
ありようを否定せずに受け入れられるようになった
でも、それでも、
彼らは、私とは異質な人間であって、
分かり合えない気がするって気持ちだけは、どうしても払拭できなかったんだ
そんな時期を経て、
とうとう、
何故か、分からないんだけど、
今年、この夏、私に、
彼らを、心底、リスペクトするって気持ちが、湧いてきたんだ
ちょっと久しぶりに会った彼らは、実に、一生懸命、生きていてさ・・・
あれだけ、
衣食住のこまかなことを、大事に楽しんで、愉快だったり、
ちょっと、
屈折してるけど、一種の優しさが伝わってきたり、
少し
触れるだけで、あうんの呼吸で、理解してくれたり、
しっかり、
今の自分らが享受している恵みを自覚していたり、
喧嘩しながらも、
二人で、仲良く、あちこち行って、共に楽しんでいたり、
そんなところを見ると、
彼らが、とんでもない、人生の達人に思えてきたんだ
彼らこそ、
<バカになれる、ホンモノの賢い人たち>だったのかも知れないって、思えてきた
私が、彼らの年齢になったとき、
あんなふうに、生きることに対して、一瞬一瞬、意欲を持てるだろうか
些細なことはどうでもよくなったり、
つい、昔を懐かしがったり、今を嘆いたり、しないだろうか
そう思うと、彼らには、
できるだけ、長く、生き方のお手本を示し続けていて欲しいと思った
私が、今世で、両親に、選んだだけのことはあるって、
ここに来て、やっと、生まれる前の自分の選択が、誇らしくなったりしたよ
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
最近ね、
私に起こっている身体症状は、
時と場合によって、
私の心に、静けさをもたらすかと思えば、
ものすごい騒音と化すこともあるんだ
想像できる?
耳の中に冷蔵庫があるような、
低いモーター音が、常に、あるんだけど、
<静けさ>のときは、
それが「地」となっているから、
まるで、プレーンなシルクの布のように、
なめらかで、しなやかで、ひっかかりがない世界にいる
「騒音」のときは、
モーター音が「図」となっていて、際立って、主張して、私を悩ませる
<一見、両極端に見えるふたつの性質の違いは、尺度に過ぎない>
古代ヘルメス哲学「キバリオン」の、「極性の法則」だね
絶対的な静けさもないし、
絶対的な騒音なんてのもないんだ
雑踏のマックの店内で、試験勉強への集中力を発揮することは可能
物音しない美術館で、何やら胸騒ぎがして心乱れることだって、あり得る
音が自分を襲ってくるように感じるのは、
音が加害者、自分が被害者になっているってことで、
ある特定の存在は、自分を脅かすと考えているってことで、
だから、
合気道の原理でもって、
そのチカラを取り込むんだ
自分の中から静寂を繰り広げて、
対立物を結合すると、
<うるさい>でも、<静か>でも、ない、<無>になることができる
<静か>な地だけがあっても、第3の性質までの発展がない
だって、
マイナス4は、プラス4を足すことで、Oになるでしょ?
だから、すべての可能性を検討するという、その意味で、
<うるさい>が悪で、<静か>が善とは、言えない
もちろん、
<無>が善で、<有>が悪とも、言えない
全部、そうなんだ
<痛み>が悪で、<癒し>が善とも言えないし、
<孤独>が悪で、<仲間>が善とも言えないし、
<復讐心>が悪で、<奉仕>が善とも言えない
それが、人が生きていくうえで、大きなテーマと言えるよね
自分を苛(さいな)むように見える物事と、人々と、
一緒に、ダンスをしようとしているかどうか、その心があるかどうかに、かかっている
私は、最終的に、誰にも、何にも、煩(わずら)わされない。
私は、最終的に、どんな場合にも、被害者にはならない。
陰と陽が一緒になって、全体となるように、
自分と違う性質のものと一緒になって、違う者になる
寄り道してもいいから、
そう、信じることが、きっと、世界の平和を創るんだと思う
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
結婚式のとき、
私たちは、「永遠の愛」ってやつを誓うよね
でも、きっと、
誰ひとりとして、
その時点で、「永遠の愛」を経験したことある人はいない。
私たちは、
誓いながらも、
その正確に意味するところを知らないんだ
考えてみりゃ、ちょっと、無責任な話だけどさ、
まあ、知らなくたって、
誓うことが大事だということだけは、分かるから、そうするよね
何年か前にね、
宮沢りえが、確か、蜷川幸雄演出の舞台で、
愛する男性に首を絞められながら、「あぁ、嬉しい・・・」と言って、命果てる女性の役をやったとき、
インタビューで彼女は、
「あの気持ち、全然、分からない!」って言っていたんだ
でも、
彼女は、演じたよね。
分からなくても、
知らなくても、
「理解できないから、やりません」とは、言わなかったんだ。
こういうことって、
どうしたって、必要なんだと思う
充分、知らなくても、
全然、分からなくても、
おぼろげながらで、自信がなくても、
「これは私にとって大切だ!」とか、「どうやら、これをやるしかないみたいだ・・」
って感覚が、明確に、自分内部にあるならば、
そのときが、ベストタイミングなんだよ、きっと
全部、ちゃんと、理解してから、やろうって、思っていたら、
いつまで経っても、チャンスなんて、訪れない
とくに、
「永遠の愛」なんて、一生かかってもわからないよ
だって、「永遠」なんだもん
人とうまくやっていく術(すべ)が分からなくても、
何やら、自分にとっては、いつも人と関わっていることが、大切なんだってことだけは分かるとか、
情熱を傾ける対象が今見つからなくても、
何やら、自分にとっては、何かに情熱を燃やすことが必要だと感じるとか、
なんか、分からないけど、
無性に、これをやり遂げることが大切だと思うとか、
・・・そんな衝動こそが、動力源となって、「分からないこと」を可能にするんだ
確かに、思いつきとインスピレーションの違いは、
よく、分からないことが、多いけど、
私たちの理性は、残念ながら、すべてを把握できないし、
直感や感覚は、因果律には支配されず、言葉で説明できないから、
矛盾でも、理不尽でも、不合理でも、
とにかく、感覚に従ってしまう ・・・そういうことがあってもいいと思うんだ
そして、
かなりの時間が流れてから、ふと、腑に落ちるなんてことがあったら、
それは、ものすごく、ラッキーなことなのかも知れないよ
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ねえ、心ってどこにあるんだろうね
大脳生理学者が、研究を重ねても、
脳の中に、心がある場所は見つからなかったって話を聞いたことがあるよ
じゃあ、
ハート(心臓)にあるのかなあ
それとも、
お腹だったりする?
私は、子ども心に、
「この肉体が、死んでも、
今、こうやってモノを考えている心だけは、何があっても、なくならない!」って、
根拠もなく、そう、思っていたことがあったっけ・・
心は、異次元のどこかにあって、
目に見えないその場所は、みんなが共有しているんだよね
ああ、そっか、
心は量子と同じ、「非局在的」ってやつで、
ここにあるとか、あそこにあるとか、言えなくて、
ここにないとか、あそこにないとかも、言えなくて、
すべての場所に存在するってことで、
因果関係で動かず、
刺激があったと同時に反応し、
移動も瞬時、
時間も空間もない、エネルギーのスープの中にあるんだったね
そこでは、この地球上の物理的法則は、一切、通じない
だって、
心を、このくらいの高さから落としたら、これくらい傷つく、とかって、相場がないし、
場合によっては、
豆腐の角が触れただけで、瀕死の重傷を負うこともあり得る。。
自分の体の細胞は、
自分の体を離れても、自分の心によって、反応するって実験結果があるらしいけど、
さらに進んで、
自分の体を離れた細胞が、
自分と深い精神的つながりのある人の心の変化によっても、
反応を示すって聞いたら、
ちょっと、ビックリしない?
心がある、その領域では、
すべてはひとつって、言えるんだね
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いやあ、ビックリしちゃった
またまた、フォルテの天才ぶりが発覚したよ(誰?飼い主バカって言ったのは!)
単身赴任の夫が自宅に帰宅して来るときね、
夕方、数百キロ離れた土地から、
「今から出発する。いつもの時間に到着。」って、メールで、知らせが来るから、
そしたら、
私は、フォルテに、
「○○○(夫のニックネーム)、帰ってくるよ!」って、話しかけるんだけど、
すると、
フォルテ、
いきなり、思い出したかのように、ワン!ワン!吠えて、
玄関をじっと見つめるんだよ
まるで、
「え、アイツ、帰ってくるんだって? ホント?」って、言っているかのように、
彼が入ってくる絵が、思い浮かんでいるかのように、
玄関を気にして、そわそわし始める
それだけでも、
言葉の分かる、超賢い、プリティフォルテなんだけどね(誰が飼い主バカだって?)、
驚くのはこれからなんだ
毎回、夫が、我が家に到着する数分前に、
フォルテが、必ず、玄関に向かって、ワン!ワン!吠えるんだ
物音に、犬一倍(!)敏感なフォルテだから、
何か玄関の外で、人間には聞こえない音がしているのかなあと思っていたんだけど、
毎回、必ず、同じタイミングで吠えるから、
私、「もしかしたら・・・・!?」って、ひらめいた
この夏休みで、夫が帰宅するって日も、
いつもの帰宅時間の、数分前に、フォルテが吠え始めたから、
そのタイミングで、夫に電話をかけてみた
そしたら、やっぱり、
「いま、桜新町駅(うちの最寄り駅)に着いたばかりだよ。」だって
そう
フォルテは、毎回、夫が、駅に降り立った時間に、反応していたんだ
「おう、おかえり! 帰ったかい? 家で待ってるよ!」って、声をかけてたってこと
きえ~~~~っ
ちょっと、これって、すごくないか
野性の感覚が残っている犬は、距離の離れたところでも、人間が発する波動をキャッチするって、
どこかで聞いたことあったけど、
我が家のプリンスも、しっかり、野性の感覚、残っていたんだねっ
駅から自宅まで約300mくらい離れているんだけど、
フォルテのセンサー、いったい、どれくらいの距離まで受信可能なんだろう
こんなことを知ると、
地球上にいる動物の中で、人間が一番優秀、ってのは、
絶対、思い上がりに思えてくるよ
忠犬ぶりに感激した夫は、
ますます、目を細めて、フォルテを、猫可愛がりしているのだ
いや、犬だっちゅうに・・
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あなたが、誰かを大切に思って、最初に感じるのは、
<相手をありのまま受け入れること>だと思うんだ
批判やジャッジすることなしに、
そのままの、ありのままの相手が、ベストオブベストだって、心から感じるはずだから
そして、少し経ってくると、違う感覚が芽生えてくる
いくら気が合っても、
いつでも同じことを感じるわけじゃないし、
生活だって、習慣だって、笑いのつぼだって、違うんだから、
違和感は当然だよね
そして、そのとき、
あなたは、相手に、自分の要望を伝えることを考え始める
より快適な関係を創るために、
お互いが感じていることを、表現し合うことは、必要なことだよね
たとえば、
あなたが男性だとして、
大切にしている彼女に、
「さらさらのロングヘアで、白いシャツにジーンズってスタイルでいて欲しい」って希望を伝えるとする
さあ、
それからなんだ
彼女が、あなたの希望通りにしてくれたら、本当に嬉しいし、
それで、彼女自身も気に入れば、言うことなし!
なんだけど・・
じゃあ、もし、彼女が、
「私は、そんなの、いや!」って言って、
相変わらず、フリルやリボンのロリロリスタイルを維持し続けたら、
(そんな、極端な? まあ、たとえばの話だから )
そのとき、あなたは、どう、感じるだろう
「僕の好みを聞いてくれない・・もう、僕のこと、好きじゃないんだ・・・」って、凹む?
あるいは、
「絶対に、そうしないと、別れてやる!」って、脅しちゃう?
希望を伝えたら、
その後、どうするかの選択は、相手に任せるしかないんだ
彼女は、
すぐにそうしてくれるかも知れないし、
ちょっと、試行錯誤の時期があるかも知れないし、
まったく別のスタイルを試してくるかも知れないし、
二人で話し合っているうちに、何か別のことにあなたの視点が移っていって、
もう、さらさらのロングヘアにこだわらなくなるかも知れない
とにかく、
今、見えている道だけが道じゃないって、知っておくと、役に立つと思う
あなたがフォーカスする必要があるのは、
あなた自身の思いを、誠意を持って、彼女に伝えるっていうところまで
たとえ、相手が、あなたの希望を拒絶したとしても、
それは、あなたがしたことが間違っていたからじゃないよ
あなたに、魅力がないわけでもない
相手の選択の責任は、あなたが負わなくて、いいんだよ
相手が何を思おうと、どんな反応をしようと、
あなたは、ただ、今ここにある自分を、
精一杯、アウトプットして、思いを成就させればいい
信頼できて、大切に思える相手だからこそ、できるんだよね
だから、
もし、ロリロリの彼女が、フリルのハンカチを握りしめ、巻き髪を指でクルクルしながら、
「さらさらロングヘアだなんて・・、ひどい、私のありのままを受け入れてくれないの・・」って涙ぐんだとしても、
あなたは、動揺したり、責任を感じなくていいよ
「キミの好きにしていいけど、僕はさらさら~が好きなんだよ」って伝えて、
そのあとも、今まで通り、彼女を、大切にして信頼して、
そんな中で、彼女に何が芽生えてくるか、そっと見守っているっていう方法だって、
ステキだと思わない?
自分自身が、自分に生まれてきた気持ちを大切にしてあげれば、
相手が、相手自身を大切にすることを、応援することができる
すると、まったく、思いもかけない方向に、化学反応を起こして、
二人で、コスプレして、アニメキャラフェアに出かけるという、
新しいワクワクの世界が展開する可能性だって、否定できないと思うよ
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誰かと調和のある関係をつくりたいとき、
その人の望むことをしてあげるのは、良い方法だよね
望むことをしてもらえれば、嬉しいし、
その笑顔を見ると、してあげたほうも、嬉しい
ハッピーオーラに包まれて、
お互いが、お互いを、大切にするって気持ちが実感できる瞬間だね
ただ、
人を大切にするってことは、
いつも、いつも、その人の望むことをしてあげなくても、できると思うんだよ
その人が言って欲しいであろう言葉を言わなくても、
その人が待っているであろう電話やメールをしなくても、
その人を大切に思っていることとは、矛盾しない
逆に、真心じゃないのに、やってあげてしまうことは、
相手の魂を欺いてしまうし、
どんなに表面的に相手が喜んでいても、
その人の本当のチカラを、削ぎ落としていることにも、つながるかも知れない
誰かを大切に思うとき、
あなたのハートから、ビーム光線が、相手のハートめがけて飛んでいって、
どんどん、相手の中にエネルギーが充填されていくと思うんだ
そして、
そのラブ・ビームで満タンになったハートを持ってすれば、
あなたが、相手のために、何かしてあげたときを、
遙かに超えて、余りあるような、パワフルさを身につけた相手が、
次々と、自分自身のチカラで、いろんなことを成し遂げるようになっていく
そう、
あなたの手を借りなくても、自分で、できちゃうんだ
それは、どんなに、その人の自信に結びつくことだろう
そんな「ハートの強さ」に貢献することが、
本当に、相手を大切にするってことなんじゃないかなってね
ラブ・ビームはね、
「大好き」「愛してる」って囁きで、ふんわりと注がれる場合もあるし、
「てめえ、何やってんだよ!ちゃんとしろ!」って罵声で、鋭く突き刺さることもあるし、
時には、
言葉を介さなくったって、びゅわーーーーーんと飛んでいくこともあるみたいなんだ
できれば、
相手が受け入れやすいテイストだと、効果倍増、勇気凛々だから、
同じ送るなら、そっちのほうが、ベターだよね
誰かの望み通りにやってあげることが、
どうしても、違和感があってできないとき、
それは、あなたが冷たい人間だからじゃないよ
誰にでも、備わっている、
愛の武器の威力を、試してみるチャンスなのさ
飛ばすときには、是非、
無敵光線、ラブ・ビーーーーーム
って、叫んでみてね・・
魅力的な瞳の彼女から、
ブログの感想をもらったんだ
その中の一節が、心にまっすぐ、響いてきた
「<彼女の笑顔は吐き気がする>を読んで、
・・・どんな時でも、ベースは自分で、自分が何を感じるかが大切。
わかっていても、人がいると貫けない。
ここが乗り越えられない。嫌われるような気がして・・」
自分を大事にできてこそ、
本当に他人を大切にできるのだから、
自分の人生を生きるぞ!って思ったって、
力強く、結んであった
それを読んで、
私ね、
彼女の謙虚さと他人への思いやりという美徳を、
やっぱり、どうしても、否定したくないって思ったんだ
人のペースに合わせてあげること、
人の望みを叶えてあげること、
それ自体は、ものすごく、尊いことだよね
ただ、そこに、自分で自分を殺していないかどうか、
本当はそうしたくないのに、無理している自分がいないかどうか、
もし、手錠をかけられた自分がいたら、どうぞ、解放してあげてって思う。
自分を殺しちゃった自分に、
「そうしたくなることもあるよね」って、言葉をかけてあげながらね
私は、すべての存在が、肯定されるのを待っているような気がする。
一見、否定や批判の対象でしか、あり得ないようなものも。。
極端な話、
犯罪や、戦争だって、そう。
だからって、何も、認めて賞賛すべしなんて、言っていないよ
私が、犯罪や戦争を自分の選択とすることは決してないけど、
でも、それらの存在を否定したところで、
否定されて、周縁に追いやられた者たちは、
いつか、大挙して、逆襲してくることになっているから、
否定しても、意味がないんだ。
「戦争や犯罪のない世界」という願いの実現には、まったく役に立たない
だから、方便として、否定は無力なんだ
量子物理学によると、
光は、光源から後ろに向かって進む「バックライト」と呼ばれるものがほんの少しあって、
それを含めて、すべての道筋の合計が、光の総体なんだって
だから、
本筋とはまったく逆に進むものが存在するのは、
宇宙の原理って言えるよね
何事にも、バックライトは存在する。
それが、自然なことであって、否定されるべきことじゃない。
光の粒子は、すべての道を嗅ぎ回って、自分の道を選ぶらしい
否定したくなるようなものを、拒絶せずに、
それと一緒にいて、全体を見るとき、
そのときに、何かが、質的変化して、調和が生まれるような気がするんだよ
そうそう、
先の彼女とはね、
今度、実験的な試みをすることになったんだ
私たちの間に通じ合う愛情を信じて・・
題して、
「自分が大事」合戦
・・・・えへへ、楽しみだぁ
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
私の住む、世田谷区桜新町は、サザエさんの街なんだ
長谷川町子美術館には、いつも観光客が絶えないし、
街のあちこちには、磯野家のメンバーの似顔絵が描いてあったりする
眼鏡屋さんの前には中島君の、
不動産屋さんの前には花沢さんの、パネルが、あって、
三河屋さんのモデルになった酒屋さんは、
いまではセブンイレブンになっているよ
商店街に活気があって、
桜祭り、ねぶた祭り、秋祭りにハロウィンに、クリスマス・・
年中、イベントをやってて、にぎやかなことったら
ところで、
サザエさん一家ってさ、
いろんな意味で、現実離れしているよね
登場人物の全員が、あんなに、生活に前向きでさ、
いつも、健全に、自分の感情を周囲に表現して、
カツオのゲーム狂いもなく、
サザエさんの買い物依存症とか、
マスオさん、会社の金を横領してギャンブル三昧とか、
波平さんと舟さんの熟年離婚の危機とか、
あさひが丘小学校にモンスターピアレンツ出現とか、
ひとつくらいあったほうが、リアリティあるのに、
一切、何も、起こらなくて、全員が、淡々と、生活している
誰ひとりとして、「私の人生って何?」って、疑問を持たないんだよ
しかも、
「サザエさん」の世界は、ミラクルの極地なのに、
日本一有名な家族だったりして、
何も知らない人は、あれが日本の平均的な家庭だと、錯覚する雰囲気を持ってるしさ・・・
ははは
やっぱり、必ずしも、
世の中、真実ばかりが求められるものじゃないって、よく分かるなあ
奇跡の一家は、
何も起こらない、真空状態の
いつまで経っても変わらない人間模様を、私たちに、コンスタントに見せつける
そして、どんなに私たちが、そこから、遠ざかっていても、
ふと、戻ってきたときには、そのままのかたちで、いてくれる
現実のこの社会は、何もかもが、変わっていくのを避けられない中にあるから、
そんな中で、変わらないものに出会うと、
みんな、おのずと、ホッと安心するよね
変わらないものには、力が内包されているから、
それに触れると、支えを感じるんだと思うんだよ
変わらないでいること、
守り続けること、は、
何もしないことではなくて、
変化の波に抵抗する、相当な力が必要なんだよね
そして、同じことを、繰り返し続けることで、
不変が普遍になっていき、
底知れぬパワーが、確実にどんどんと宿っていく
そう考えるとさ、
自分の中の、なかなか変わらない頑固な部分に対しても、
見えないところで支えてくれている力持ちさんが見えてきたりしない?
そういえばね、
この前、久しぶりに、CDTVを見たんだけど、
こちらも、20年来、番組構成が変わっていなくて驚いた
カウント~ ダウン シャララン の効果音も一緒なんだよ
彼らはずっと、毎週これを繰り返していたんだなあって思ったら、
なんか、尊敬、しちゃったな
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
私は、当然のように、
真実は、愛と光にあふれているものって、思って、
真実が知りたいって思い続けてきたけど、
実際は、痛い真実もあるよね
ってか、そっちのほうが、多いかも・・
人の真実は、その人を傷つけることがある。
だから、見たくなくて、現実逃避したり、否認したり、合理化したり、するわけだ
思うにね、
真実って、生のままでは、何とも扱いにくいものなのかも知れない
たとえばさ、
「彼女は、自分のことが本当に好きだ。」って真実を、誰かの中に見つけたとして、
それをそのまま、無自覚な彼女に伝えたら、きっと、
「まるで、私が、ナルシストみたい・・・」って感じちゃうと思わない?
「自分のことが好き」ってことは、
よくスピ系で言われるところの、「自分を愛している」ってことであって、
これだけ、「自分を愛しましょう!」ってあちこちで言われているにも関わらず、
他人にそれを指摘された時点で、
本人は、ちょっと、痛みを感じると思うんだ
人の身体的特徴もそうだよね。
私はよく「痩せてるね」って言われるけど、
言われるたびに、グラマラスな身体じゃないことが悔しくなる
真実を伝えると、何故、傷つくのか・・・
人が言葉にして伝えるとき、伝える者の意志がクローズアップされるんだ
「あなたは自分が好きだね。」って、言うことの、意図は何??
「自分が好きなのは、いいことだね。」と、続けたとしても、
言われた者は、別のものを受け取る
そもそも、真実って、
わざわざ、言葉にして、コミュニケーションすることと、
相容れない性質があるのかも知れない
だから、
真実から派生することを、加工する必要があるんだ
「あなたは自分を愛することを知っている。みんなにそれを教えてあげて。」とか、
「あなたは痩せているから、マニッシュなスタイルが似合うね。」とか、
「あなたの中には自分も知らない自分が眠っていて、まだそれが表に出ていない。
だから、もし、あなたが望めば、こんなふうな自分になることができると思うよ。」
とか・・
練り直して、何かを加えたり、丸い形にしたり、色づけしたり、人の手に馴染むものにしたり。。
そんなふうに、手を加えて、初めて、
その人の真実は、その人の役に立つんじゃないかな
他人に伝えるときも、
自分で自覚するときも、ね
神聖なものは、生のままでは、荒っぽくて、激しいから、
だから、ふだんは、奥の奥に鍵をかけて、閉じこめておく必要がある
決して、
安易に、外から、触れられることを、好まない、
それが、真実、その人の聖域、なんだと思う
今度から、
私の体型について、
「痩せているから、更衣室のロッカーに入れそうだね!」って、絶対、言わないでね!!!
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今日、
私が、ふと時計を見た時間は、
1時5分、2時11分、4時22分、5時27分
さて、共通点、分かるかな?
(ヒント; デジタル時計じゃ、ちと、意味がない・・)
そう!
長針と短針がぴったりと重なって、
ひとつになっている時間なんだ
最近、このパターンが続いていて、
ふと、時計を見ると、こうなんだ
単純に考えて、
時計の針が重なるのは、1時間に1回だから、
まさに、60分の1の確率での当たりが、かなりの頻度で続いている計算になる
こういう奇跡を体験すると、
どんなに空間が隔たっていても、
どんなに時間が経っていても、
あなたと私の心はひとつなんだって、
そう信じることができるように、
宇宙が応援してくれてるような気がするよ
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