Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

選んだものを正解にするチカラ

2010-07-27 | フォルテネージュ


必ずしも好きな人ではなかったんだけど、
小泉純一郎元首相の言葉で、ものすごくお気に入りなのがあるんだ


それはね・・・・



「自衛隊の派遣されるところが、非戦闘地域なんだ



イラク復興支援についての党首討論で、
自衛隊の活動先である<非戦闘地域>の定義を聞かれて、彼が言ったんだ


当時は、「開き直りも甚だしい。」って、
マスコミや世間は批判が大勢を占めてたし、

私も、聞きながら、かなり、呆れた覚えがある











 

だけどね、

なんか、妙に、心に残っていてさ、

そして、

大好きなことばになっていった














これはね、

こういうことを、言っているように聞こえるんだよ


「あなたは正解を選ぶのではない。あなたが選んだものが正解になるんだ















ねっ、

ものすごく、力強くて、たのもしくって、生きる勇気が湧いてこない?














私たちは、日々いろんなことで迷うよね
Aにしようか、Bにしようか、なかなか、結論が出なくて、

いっそ、誰かに決めてもらいたくて、

場末の占い師を頼ったりもするけどさ














大切なのは、何を選ぶかよりも、どんな気持ちで選ぶか、なんだ

同じAという選択をするんでも、
「これしかない!」って選んだ場合と、「まー、しかたないか。」で選んだ場合では、
起こってくることが違ってくるんだよ

両者の間の、こだまの響きによって、
紡ぎ出される音楽が変わってくるから・・・



だってさ、

もし、あなたが女性だとして、
疲れ切った表情の男性から、

「あちこち探して回ったけど、みんな、なかなか決め手に欠けるから、
キミ、とりあえず、僕と結婚してくれる?」って、言われて、

この人と、真剣に、運命を共にしようって思う?


でも、同じ人が、瞳を輝かせながら、
「キミは運命の人だよ。確信を持って選ぶから、一緒に歩いて欲しい。」って、
言ってくれたら、

自分の持てるものすべてを、この人のために発揮したいって、思わない?














相手が人じゃなくても同じこと


就職先だって、
引っ越し先だって、
旅行先だって、
洋服だって、
次に読む本だって、
ランチのメニューだって、
スーパーで選ぶ野菜だって、



ずべてのものには、命が宿っているんだから、
選ばれたほうは、選んだ人の愛の波動を受け取って、
それに応じて働いてくれるんだ

だから、ただ、何かを選ぶか決めればいいってことじゃないんだ












だからね、

あなたは正解を探して、さまよい歩かなくても良い

あなたが選んだものが、必ず、正解になるから

「自分が選んだものを正解にする」、
そういう魔法を使うことが、あなたという人の持つ魅力だから















だって、あなたは、

金色の風の中で誇り高く舞う、炎の魔術師なんだよ















               スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」

                          

 

 

 

 

 



 


光と闇のメソッド

2010-07-26 | フォルテネージュ


彼女はね、愛にあふれた人なんだ

常に、目の前にいる人に対して、
真心から次々湧き出る愛しさを、惜しみなく、ふんだんに伝えてる

「あなたが大好き」
「生きててくれてありがとう」

語らなくても、そんな言葉が聞こえてくるような、
人を想う心に制限をつけようとしないヒューマニズム

人類愛が彼女の代名詞













同時に、

彼女は、人から愛を受け取るとき、
貪るように求めるんだ

「もっともっと、まだまだ足りない、24時間、いつでも愛を注いで欲しい~

ちょっとやそっとで、相手の愛に満足することはない

そう、
彼女の愛の受容器は、まるで、“ざる”なんだ













大きなエンジンを動かすためには、途方もない量の燃料が必要なように、
彼女の愛の新陳代謝は、それはそれは激しくて、

エコではないから減税対象にはならないんだけど、

フェラーリでアウトバーンを時速160マイルで飛ばしたい人なら、
その魅力は、何物にも代え難いかも知れないね














彼女について、
一方だけしか知らないでいると、
もう一方を見たときに、ものすごく、意外に思えるかも知れない



でも、両方あって、彼女なんだ

光と闇は、一体になって、働くからさ、

光を放つためには、闇が必要で、
闇は常に、光に寄り添うようにあるものなのさ


どちらかが消滅すれば、どちらも消えてなくなるだろうよ













誰だって、人である限り、光だけの存在ではあり得ない
同じように、闇だけの存在でもあり得ない

表れ方をつぶさに見ていけば、
表裏一体、一心同体、
同じものを、どっちの方向から見ているかだけの違いなんだと思うんだ

だから、
闇を克服しようと必死になる必要はなくて、
光ばかりを重視するのではなくて、

全体であることが、そのまま、健やかで神聖なことなんだって、
そう気づいた人から、心豊かでいられる気がする














闇ばかりを気にして、
彼女は、たくさん、傷ついてきたみたいだけど、

今はね、
真実を知る人に、見つめられているから、大丈夫

精一杯自分らしさを輝かせて、美しく生きているんだな、これがっ












            

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観察すると実体化すること

2010-07-25 | 量子論?


私は、生理の時、
何故か、死にたくなるんだけど、

実際、本当に自殺未遂をしたことはなくて、
「ああ、死にたいってこんな気持ちなんだろうなあ」って,
想像できる気分を味わうだけなんだ




だから、
私にとって、

生理痛=死にたくなる気分 って図式化ができてた


間違わないで欲しいのは、
死にたくなる気分を味わうことと、死のうと思うこととは、違うってことなんだ

私は、絶対に、自殺をする人間ではない









 

 

でもね、ある機会に、
’死にたくなる気分’と私が想像したその気分に、
スポットを当てて、見つめてみた


そしたらね、

それまでは、
曖昧模糊として、実体のなかったその部分が、

俄然、しっかと凝固し始めて、

私は、あきらかに絶望的になって、暗い洞窟の中に放り出された














朝起きてすぐに涙が出て、
ベッドからやっと起きあがって、
廊下で座り込んでまた泣いて、
トイレ行って泣いて、
顔を洗いながらも、涙が止まらなくて、
フォルテもシンクロして、ご飯食べないから、また悲しくなって泣いて、
調べものしながら、泣いて、
泣き疲れて眠って


体に力が入らず、
光が見えなくて、
酸素が薄くて、息をするのが苦しかった










 

 

その間の私の思考は停止してるから、
何を思って泣いたのかなんて、聞かれても、答えられやしない

ただ、
涙を流し続けることが、そのときの身体のニーズだったってだけ












涙が枯れると、ボーっとなって、
超大笑いしている、狂気なビジュアルの私がいたよ

一気に浄化の雨に打たれて、
時期が過ぎれば、また普通に日常に戻れることは、想定内だったんだ












 

何が起こったか考えてたんだけどね、

思うのは、

心って、観察すると、その部分、実体ができるんだよ。

ふだんは、もやぁ~とした混沌な超流動体なのに、
ある部分に、意識を向けた途端に、エネルギーが注がれて、
そこが、活性化して、機能し始める

観察していないときは、つかみどころのない波で、
観察すると、実体的な粒になる

量子論の常識は、心の世界の常識なんだ













って、ことは、
こんなことが言えるかも知れない

すべての、カウンセリングやリーディングや占いなど、心への働きかけは、
この自己観察を促すのが窮極の目的だと


本人が意識的に
自分の中にあると思って、光を当てるだけで、それは簡単に具現化する



問題を解決できる能力、
自信に満ちあふれて行動的な自分、
すべてを肯定して、愛を発揮する心、
奇跡を起こし続ける魔術性、



自分が望むものは、’意識’と呼ばれる、宇宙の一部に必ず存在するから、
それにアクセスすることは、人間であれば、誰でもできるから、


絶対に自殺しない私が、死にたい人の振る舞いにより近づいたように、


ただ、自分の中にあると思って見つめるだけで、
それを創り出すことは可能なんだ















意識は、非局在的で、
どこにあるとは言えないけど、必ずあるってものだから、
実感がなくたって、当たり前


今まで一度も考えたことがないことが心に浮かんだとき、
その考えが、これまで自分の心に絶対になかったって、言えないじゃない?

無意識の中に埋め込まれていて、
何かのきっかけで浮上して、意識に昇ってきた・・・


だからね、どんなに困難に思っていても、

悩んでいることに方向を見出し、
たとえ、まだ、現状は何も変わっていなくても、
幸せを感じて毎日を送れる自分の姿を、
誰でも、意識に昇らせることが、できるんだ



自己観察はそのきっかけになり得るし、
それを促すのが、
カウンセラーや占い師や、人の心をサポートする人の役割だと思う

 

 










えへへ

自称’ハートサポーター’の熱いつぶやき、聞いてくれて、どうもありがとう

 

 

 

 

 
 

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「悲しみ」の超越力

2010-07-24 | フォルテネージュ

月に一度、
錬金術を習っているシャーマンから、こんなことを教わったよ












「悲しむ」ということばは、
「~しかねる」から由来している。
自分の力ではどうにもならないことを認めること、
限界を知ること

それはすなわち、
等身大の自分であることへの気づき

セラピストは、人から悲しみを取り除くのではなくて、
人が悲しむのを応援するのが役割

人にとって、一番悲しいのは、自らなるもの・・「死」

自分の限界を引き受けることで、
限界の向こう側に人間を超えた働きを認めること、

人間を超えたスピリチュアルプロセスの存在を知ること














確かに、悲しむことは、能力のひとつだよね

起こったことを、ただ、悲しむことは、勇気がいるもの

避けたくなって、何か、対策を練りたくなるし、
認めたくなくて、何か、違うことに置き換えたくなる














でも、そんなことを、まったくせずに、
ただ、悲しむことができたとき、

陰なるものの浄化が進んで、
自分の限界を静かに認められるようになる



パラドキシカルに聞こえるかも知れないけど、
それは、かえって、

こちら側とあちら側、
物理的な世界と、精神的な世界、
現実と夢、
自己と非自己、

そんなふうに二元的に見えているものを、
鳥瞰して、感じられるようになることだと思うんだ


そのことで、
向こう側もまた新たな自己の側面であって、
全体でひとつなんだって視点を獲得できるのかも知れない


何かを超越するのであれば、
まず、超越する何かが見えていることが、大きな前提だよね














そしてね、

人間を超えたスピリチュアルプロセスを認めるってことは、
仏教でいう、「諦観」にも通じるらしい

「あきらめる」の語源は、「あきらかにする」
はっきりと見ること、できること、できないことを見極めること

つまり、意識を広げること


そうなると、

たとえば、人間の身体がこちら側で死んでいるとき、
あちら側では違うことが起きている、つまり、

下界でお葬式しているとき、
天国では歓迎パーティー大盛況かも知れないって、思うと、

悲しいことが、悲しくなくなる・・・


ほらね、くるりと回転したでしょ













私は自分が悲しむことも、人が悲しむことも、
ただ、肯定していたいと思う


時々、
フォルテが、せつなく、キュンキュンなくのも、

きっと、限界を知ることで、超越性を体験しているんだね













そうそう、
ボイジャータロットにも「悲しみ」ってカードがあるんだけど、

それはそれは美しい、光のつぼと紫の花が描かれているんだよ
















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衝撃のエンジェルミラクル!

2010-07-22 | フォルテネージュ


一昨年のクリスマスシーズンに、
伊豆の「天使の美術館」で一目惚れした時計なんだ

ピンクと白が、とってもラブリーだったから、連れて帰ってきちゃった


でも、
秒針がとても弱々しくなってきて、どんどん遅れるようになって、
一日、1時間、2時間、と、狂いだし・・


あるときなんか、
1時間進んでるように見えて、
実は、11時間遅れていたときもあったっけ

で、ついに、止まっちゃったのが、今年の2月頃だったかなあ















天使のモチーフがお気に入りだったから、
ずっと、書棚に置いておいたんだ、オブジェと化してたけど















それがね、

気がついたら、

動き出していたんだ

しかも、しかも・・・













時刻合わせもしていないのに、
まったく、正確な時間を刻み出してるのだよ
















バッテリーを交換したわけでもないよ

何か衝撃を与えたわけでもない




これって、ちょっと、ミラクルでない?



壊れたと思っていた時計が、

数ヶ月の停止時間を経て、

正確な時間に合わせて、突然、動き出すなんて、


そんなことが起こる確率は、どれくらいだと思う?







私のエンジェルは、


自分が再始動する時間を知っていて、

狂った時計の針が、その時刻を示したときに、自らを一旦停止させたってことさ














まだまだ、驚くのは早くってさ、


動き出してから、すでに、1ヶ月以上が経っているんだけど、

以前のような狂いは、まったくないんだ

秒針はとっても力強く動いてて、

今も、正確な時間を刻み続けている













動き出したのが、時の記念日(6月10日)の少し前だったのも、

何だか、かなり、意味深な感じ

小学校で習ったこの日のこと、

妙に覚えていたのは、このためだったのかって思ったくらいさ













こんなミラクル起こせるのは、
あのマジシャンの仕業かなあって、心当たりはないでもないんだけどね














あれから、
私の時間の流れが、なんだか、変わった気がするんだよね

魂のルーツに心が向かって、
大いなる流れを感じ始めている気がするよ










 

 

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私は激しいのが好きかな

2010-07-21 | フォルテネージュ

 

その人に会ったのは3回めくらいだったと思う。

今まで、
小柄で、いつもうつむき加減の彼について、
謙遜と卑屈をミックスした印象を持ってたんだ

小動物みたいに、
ひだまりに、少人数でいて、ぬくもりを分かち合っているのが好きな感じ















でもね、
その日は違ったんだ

彼は、
まるで詩人のような表現を用いて、
雄弁に自分を語り、

その姿は堂々として、

視線は下向きだったけど、
静かな勇者の風格さえあった


そして、

落胆している人に話しかけ、励まし、
もう一歩で、尊大が過ぎる様相を呈していた














思い出したのは、

「ひとつの性質を感じ取ったとき、
その正反対の性質も同時に存在している」っていう、宇宙の法則のひとつ















私の場合はね、

時々、ブログに言いたいことが書けた時なんか、
直後、自画自賛に浸るんだけど、

そんなとき、だいたい、数時間経つと、自己卑下タイムがやってくる

「そんなこと、誰でも分かってるよ、わざわざ書いて、ばっかじゃねえの?」
って声が聞こえて、

恥ずかしくてしょうがなくなる














これはね、
きっと、自我肥大と自己卑小の軸を、大移動しているときなんだ


一方に、大揺れすると、
もう一方に、揺れ戻しってやつがくるからね














悪いことじゃなくて、
バランスを取るためには、必要なんだ

その人の持つ大事な軸を、確認できるときでもある

露出と羞恥でも
高揚と落胆でも

優越と劣等でも
優雅と陰険でも

なんでも、一方が一方を支えて存在しているんだからね













三谷幸喜の「有頂天ホテル」って映画の中で、

大物演歌歌手が、
本番前に、とっても自信がなくなって、いじけて、泣きじゃくって
とてもステージに上がれない状態になるんだけど、

マネージャーが、
ものすごいサディスティックに彼をぶったたいて、喝入れ続けて、

すると、
最後には、何事もなかったように、
ステージで、いつもの後光輝く大物ぶりで拍手喝采を浴びるっていうシーンがあるんだ

それは、いつもの、本番前の儀式みたいなものなんだって

ああいうことって、真実だなあって思う














誇り高き獅子の中には、いじけて哀れな草食動物がいても、おかしくない
獅子は彼らを食べて、その身体をつくっているんだから


たとえば、
コンプレックスの限りを感じまくって生きてた人が、
誰も持ち得ないような圧倒的なプライドを身につけるってことは、

ホメオスタシス機能から見ても、
至極、当然の帰結であって、
その人の大事な武器を、強靱に鍛錬するプロセスなんだ













だからね、

自分の軸を見つけたときは、
どっちでも、自分が好きな方向に、自分が好きな分だけ、
レバーを動かせばいいんだよ

中庸が良ければそれでもいい

激しいのが好きなら、ぐわんぐわん、やったらいい



要は、自分が照準を合わせたところに、
意識的にレバーを動かすことなんだと思うよ













小動物な彼の中にも、
確かに、肉食獣が宿っているんだけど、
彼は、どんな割合のミックス加減を好むのかな














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ありのままで、変わっていって。

2010-07-20 | フォルテネージュ


「あなたは、そのままで、ありのままでいい」
って、よく、言うじゃない

優しくて、受容的で、耳に聞こえが良くて、
本当によく使われるけど、

私は、それが含むニュアンスをもっとつかみたいと思ってた














実際、悩んでいたり、考えていたりするとさ、
「ありのままでいいって言われたって、何の解決にもならない!」って、

思う人も少なくないんだよね

「ありのままにしてて悩んでいるんだから、どーすりゃいいの!?」って感じなんだ












あのね、

たぶん、

「ありのままでいい」ってのは、「変わらなくていい」ってことじゃないんだよ













だってさ、
命っていうのは、絶えず、変化するものだから、
「ありのまま」ったって、停止するのは自然の理に反するんだ

植物がそうであるように、
成長する道程は、ちっちゃな種の中に、最初から全部、折り畳まれて入っている

だから、
太陽と水と大地の恵みがあれば、自然に伸びていくようにできている












ってことは、
「ありのままに変化しなさい」ってことなんだよ

自分の中にある完璧を発動させ続けるために、
せっせと必要な環境をそろえてあげることだけに、専念すればいい。

むち打ったり、
枠をはめたり、
わざと過酷な環境を選んだり、

そんなことは、必要ないんだ

植物は、発芽のときが一番パワーが必要なんだって!
そして、それから先は、力がいらない。

放っておいても、伸びていくんだね















成長ってのは、自分から出てきた変化のことで、

自分の外にある何か素晴らしいものを、「獲得」した結果じゃないよ
そんなことしたら、
自分がつぎはぎだらけになっちゃうでしょ















誰だって、心の中に、
悩みを深みに変える装置が備わっている

それは、苦みを旨みに変えることもできるし、
原石をカットして研磨することもできるんだ

蓮の花が、どろ沼の成分で構成されているなんて、
知らなければ、決して、想像すらできないように、

とてもそれとは似つかないものでも、
化学反応させて別のものにしてしまう、

錬金術師って、もれなく私たちだったんだね














「ありのままでいいよ」ってのは、
自分ってどんな花だったかを思い出して、
悩みが美しい輝きになる奇跡を、起こすに任せることなんだと思うよ














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何をするかより大切なこと

2010-07-16 | フォルテネージュ


あるクライエントさんのおかげで、
私は、大切なことを確認することができたんだ









 

悩みを抱える人が質問したくなるのは、
「私はこれから先、何をしたらいいでしょう?」ってこと。

何を行動選択したら良いか、分からなくなるんだよね

生きていくには、「行動」が大切で、
何も「行動」しなければ、何も起こらないし、変わらないって常識は、

確かにあるし、
それを全否定しようとは思わない













でもね、

たとえば、同じことをするのでも、質が違うと、結果が違うんだ


同じ「sexをする」ということでも、
肉欲にまみれて、ただ欲求充足のためにsexをするのと、
お互いが深い愛情を持って慈しみ合ってsexをするのと、

当然、二人の間に生じるものが違ってくると思わない?

アダルトビデオの中にホンモノの愛を探すのは超至難の業だよね











それと同じで、
ただ、何かを行動すればいい、ってことじゃないんだ。

有名な占い師に言われたからって、
尊敬するカウンセラーに言われたからって、

自分の中から出たものじゃないのに、
ただ、行動したからと言って、自分の望む結果に結びつくわけがない






 

 

 

行動しなければ現実は変わらないけど、

大事なのは、
行動のクオリティであって、
それは
どんな感情でそれをするのか、どんな意志を持って、どんな意図を持ってするのか、

それが、創造される現実を左右することになる


考え抜いてから行動しても、考えずに行動しても、どっちでもいい。

ただ、心の方向づけをしっかりするプロセスを、
すっ飛ばさないでいること













こういうことを言うと、
「信じるだけで、ものごと変わるわけがない」って意見があるかも知れないけど、

そう信じているから、ものごとは変わらない

いまや、宇宙にも意志があることは、
最先端の宇宙物理学の分野でも、広く受け入れられている考えらしいよ













でも、

「あの人の言うことを信じて、やってみたけど、望むことは起こらなかった・・」
って言う人がいたらね、

・・・その理由はね、
他人からの借り物だったからだよ

行動と果実との間に、オリジナルな因果関係が設定されていなかったら、
いくら、行動しても、つながらないんだ

そして、それは、
他人に教えてくれるように求めたっていう時点で、
実らないようになっている













だから、私は、とくに、
「何をしたらいいでしょうか?」って、言われたときには、
何も、答えられないんだ。

「この人、何も言ってくれない!」って思われてもね

だってさ、自分の真実を他人から聞けるわけがないじゃない


究極、何をするかは問題じゃないとも思うよ。
それ以前の、意図や感情の部分が、
自分の純粋な使命の方向を向いていれば、
何をしても、同じように、純粋な結果が得られると思うんだ












それにね、自分を活かすことを考えていると、
思いもかけないときに、ヒントをもらえることがある

私は、あるアーティストさんとお話していて、
「ビオダンサ」って言葉を初めて聞いた瞬間に、

まったく知らないにも関わらず、「私、それ、やる!」って思ったんだ

やりなさいって言われたわけでも、
良いアドバイスを期待していたわけでもない。

偶然に、起こったんだ

そして、インスピレーション通り、
ビオダンサは、私の意識を、人生を、変えてくれるきっかけになっている














そして、それは、
「ビオダンサ」である必要はなかったかも知れないとも思う。

違うことをしていても、私の覚醒は、起こっただろうって、
本気でそう思えるんだ













私は、自分を、世の中に、活かす・・・
シンプルにこれだけを思っていると、どんなできごとの連鎖があるか、

ただいま、実験中なんだ


そして、その時々で、
自分が選択した目の前のものを、
精一杯、大切にしようって、気持ちだよ












あの美しい人に、お礼を言わなきゃっ

気づかせてくれて、どうも、ありがとう

                











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執着を捨てると実現するパラドックス

2010-07-12 | フォルテネージュ


あるとき、あることを手放してみたんだ

ずっと実現させたくて、でも、なかなか、しなかったことなんだけど、

とっておきのインスピレーションをもらったことで、

「そうでなくてもいいかも知れない」って、
「他にも、行く道があるかも知れない」って、

そう思ったら、すっきりして、切り替えることができた














無意識のうちに、そうじゃなきゃダメって、思っていたことを、
そればかりを見つめるのをやめてみたとき、

余計な力が抜けたっていうか、
カルマが落ちたっていいうか、

なんか、あっけなく、実現しちゃった

あまりにスムーズだったから、
喜ばしいことなのに、ちょっと、戸惑っている自分がいたよ














こういう、[状況の逆転]ってあるんだよね。
陰と陽はいつでも背中合わせ。

どちらかがどちらかを凌駕し尽くそうとするその寸前に、
くるりと反転が起こるんだ













だから、みんな、
執着を捨てよう、こだわりを捨てようって、言うんだよね

でもさ、
執着を捨てることに執着したら、やっぱり、同じことだと思う

「執着を捨てること」が大切なんじゃなくて、
「別の道を見つける醍醐味を選ぶ」って、感覚だった、私の場合はね

そして、
ひとつのことが実現すると、
また別の、実現させたいことが、見えてくるんだ

それは、
どこまで行っても、なくなることがないんじゃないかな











たとえばね、

私は、幼い頃から一番なりたくなかった職業は、
「教師」だったんだ

みんなの前に立って、
偉そうに、一方的に、次々と話を進めていく・・・

そんなの絶対に自分はしないと思っていた

でも、私には「教える」って力があるんだ。
そのエネルギーは何としてでも周囲に還元されるべきだって、
そんなかすかな確信があったのも、また事実なんだ

そこで、私は、発想を変える必要があった。

偉そうにしていなくても、
大勢の前に立たなくても、
一方的に話さなくても、

「教える」ってことはできるんだって














コロンブスの卵でさ、
文字にしちゃうと、なんだ、そんなことすぐにわかるじゃん!って思うんだけど、

幼い頃から刻み込まれた信念は強度が違うから、
それを更新するのは、大変なんだよ

嘘だと思うなら、やってみ!













だから、

私は、大学時代には、家庭教師のアルバイトを週5回していたし、
それ以後も、ずっと、人に何かを教えることを続けている


今は、
もっともっと、深く、広く、大きく、教えたいって思っている











こうやって、自分の中の常識を、
ひとつひとつ解除して、

なぜそうでなければならないか、
本当に目指したいことは何か、

核となる真実に少しでも近づくと、

意識が進化する分だけ、現実も進化するんだ

最初に、意識が変わって、次に現実が変わる・・
この順番は、何があっても、変わらないみたいだね












信念を変えるってプログラムは、
「フォルテネージュ」のライフパーパス・リーディングの中で、教えています













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提案!「カルマ」の新定義

2010-07-11 | フォルテネージュ

「カルマ」って言葉が、ずっと、気になっていたんだ

何度聞いても、その言葉の意味するところが、正確につかめないし、

ましてや、
ウィキペディアを読んだって、マジで、意味不明












ちまたで、よく、使われるのは、

前世で、人を殺しているから、今世では、人から殺される(ほど恨まれる)
前世で、男をたぶらかしたから、今世では、男に縁がない
前世で、越後屋と組んで民を苦しめた悪代官だったから、今世は、貧乏な百姓で終わる

こんな感じの、
因果応報、自分のした悪いことの罰として、
「カルマ」って言葉があるように、聞こえている













何か、嫌な考え方だなあって思う

アナキン・スカイウォーカーが、ダース・ヴェイダーになったように、
悪代官は、悪代官と呼ばれるに至った経緯があるはずだと思うんだ

濡れ衣を着せられて、仲間に誤解されたまま、
人の心の優しさなど信じられずに、お金だけを信じるしかなかったのかも知れないじゃん

男をたぶらかすのも一緒

こう考えると、
因果の「因」とは、「因」であると同時に、「果」でもあるはず。
何か原因があって、そうなったはず。

原因と結果、行為と報い、この連鎖は、
数珠つなぎで、何が、始まりだか、終わりだか、分からない














だからね、
「カルマ」って言葉の定義を、こうしたらどうだろう

             あらゆる経験を全方位的に為すこと 



魂は、これまで経験していないことを経験したいといつも思っている
「やってみたい」「見てみたい」「感じてみたい」・・

それが、全人類に共通する「人生の目的」だとすれば、

以前、人を殺したのであれば、今度は殺される(ほど恨まれる)立場を、経験する。

「恨まれる」って、どういうことか、分からない魂のために、
ただ、その状態を、行為を、過ごしてみる。

ただ、それだけのことなんだ

善とか悪とか、そんな曖昧な価値観を持ち込むから、
話が、ややこしくなったり、感傷的になったり、するだけじゃね?














でも、新しい経験は、誰にとっても、
チャレンジだから、少し、怖いんだ。 

先が読めない、見えない、分からない

左脳部分のマインドは、
記憶と照合して、データにないことに対しては、恐怖として警報を発してくれるんだよ

闇の中を行くように、
ちょっとずつしか進めないから、
冒険に頭の先まで浸かることに抵抗するのも当然さ


でもね、
それでも、進んでいくと、
ある一定量の体感や行為が終わると、

経験値が上がって、その面はクリアして、ネクストステージに移るんだ

これが、カルマが落ちるって、こと













はは
人生なんて、所詮、RPGってとこだね













過去の行為が、現在を創っている。
現在することが未来を創ることになる。

では、今、何を為すか

そうだね、
これまでと同じことをしていても、同じ未来が待っているだけ。

未来を変えたければ、今、自分がすることを変えること
















もしも、毎日同じことしかしていなかったら、

ある日、魔法使いが現れて、
今の私の悪いところや不幸なところを、一瞬のうちになくして、幸せにしてくれる・・

・・・なんてことは、
期待しても、起こらない、残念だけどね


ただし、
日々の流れに沿って、
訪れる新しいチャレンジを、ドキドキワクワクしながら試みていたら、

もしかしたら、もしかして、話が別なのかも知れないんだ




だって、カルマが落ちるから















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レッドクリフが溶解した日

2010-07-09 | フォルテネージュ


その瞬間は、
拍子抜けするほどに、あっけなかった

もっと、
第九の最終楽章みたく、感動のフィナーレでも良かったのに・・











長年、私の前に立ちはだかっていた壁がね、一瞬で、無くなったんだ

それは、いかにも、ごっつくて、
人など寄せつけないような、荒々しい岩肌をして、
ほとんど地面と垂直に屹立(きつりつ)していて、

いや、どこから見ても、制覇は無理でしょうって思っていた













ところがさ、
現れたその「非常識なマジシャン」は、
なんと、岩にたっぷり水をかけたうえ、ちょっとつまんで、優しく左右に引っ張った

まるで、ポテチの袋のパーティー開けのように・・


そんなこと、
発想すら浮かばないことだよ

でもさ、そしたらね、
なんと、岩だと思っていたそいつは、ゆるゆると引き裂かれていったんだ

空いた風穴から、空気が、シューッて抜けて、
みるみるうちに、へなへなとした壁の残骸が、私の足元に残った













え?

レッドクリフだと思っていたあの厳(いか)めしい一枚岩は、

なんと、

巨大な、ハリボテだったってわけ














これまで、壁は、あまりに、頑丈に見えたから、

私は、
これは私の世界の動かせない一部だと考えていたんだ

その圧倒的な排他性に従うしかなかった














でもね、
知恵の輪が外れる瞬間は、

あれあれ、今、何した?って感覚だったり、
そんなあ~っていう不可思議な感触だったり、
それってありなんだ!って、コペ転が起こるじゃない?



これまでの、
それが存在することで生じる被害を少なくしようとの努力や、
自分は人間としてどこか決定的に欠落しているのではないかという焦燥感は、

急に管制塔からの指令が来なくなって、
行き場をなくして、乱飛行して、

そのうち、宇宙空間のどこかに消えていっちゃった













良かった

いいんだね

今度、また、あの岩の幻影が現れても、
もう、今までと違った気持ちで、いられそうだよ。

今度は、自分の拳で一撃すれば、気分爽快も味わえそうだしね













使者を遣わせた宇宙に感謝

これまで選択を誤らなかった自分に感謝

そして、
当の破壊者は、
さらりと、「おしまい」って、
愉快そうな笑い声をこだまさせながら、

また、私の内部に、重なって収まったんだ














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不満足を知れ!

2010-07-08 | フォルテネージュ


私たちは、
[足りない]って感覚に、突き動かされて行動を起こすよね








たとえば、
今、私は、文章を書いているけど、

これは、
「このことを伝えることが足りていない」と思うから、書いている

ご飯を食べるのも、
何かを買うときも、
友達に会うのも、
親に感謝をするのも、

 

すべての行動の動機は、
「何か足りないものがある」ってことだと思うんだ












一方で、

[満足を知れ!]って言われる

私たちは、不足していることや、不満なことばかりをあげつらって、嘆くけど、

幸せなことや、満ち足りていることに目を向けないから、
ますます、不幸な気持ちが、増大するんだって, 叱られる・・・












でもね、満足を知ってしまったら、
行動は、起こらないよ

不足があるから、情熱が掻き立てられて、行動に結びつくんだ














まだまだ、足りない、
もっと、欲しい、

そういう気持ちは、崇高なことなんだ

人間が、どんな絶望的な状況に陥っても、空腹を感じることは、
卑しいことじゃなく、むしろ、「生きようとする」気高い意志に基づいている

邪悪じゃなく、神聖なことだって感じるんだ













ちまたで、よく非難される不足感は、

「ここではないどこかに、たどり着ければ、満足できるのではないか」という期待を伴う場合だと思う

<理想郷>を探し求めて、さまよい歩くみたいな、
<確実な合格ライン>を目指して、脇目もふらずにひたすら詰め込むとか、

そんな、幻想を抱いているとき、

「足りない」という気持ちは、現場否定でしかない











そうではなくて、
「どこまで行っても、満ち足りることなんてないんだ」ってことを、
充分悟ったうえで行動するとき、

不足感は、学び続けること、行動をとり続けることの、大きなエネルギー源になるんだ

「これでもういいや」って、思った時点で、
成長は、止まる

満足したら、人間、動かなくなる












だからね、
足りない、足りないって、言うのだったら、
満ち足りることを目指さないことだよ

足りない状況の中で、

どんなステップアップがあったか、
何を選んで、何を選ばなかったか、
次は、どこまで、進むのか、

そんなことを、感じながら、不足感を愛でながら、求め続けることって、
まさに、命を謳歌してるってことであって、
決して、ダメダメなことではないと思うんだよね












額紫陽花(がくあじさい)だって、
お花が咲いているように見えるのは、周りだけだけど、

美しい風情(ふぜい)が、漂っているじゃない?

 


月だってさ、
満月以外は、月じゃないって、言っていると、
毎月、一日しか、おもしろくないけど、


欠けている、こんな月も、あんな月も、
それぞれに、きれいだってこと、私たちは、ちゃんと知っているよね

(お、「月の恋人」最終回で似たようなセリフあったかも・・・











欠けているって、私たちが思っていることが、
ほんとうは、完璧そのものだっていう、可能性を、
ちょっとでも、信じてみたら、

いったい、何が、起こるだろう

 

 

 

 

 

 



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里誉のセキララ日記

2010-07-07 | フォルテネージュ


審美眼の肥えた吟遊詩人さんが、
私にこんなことを、言ってくれたんだ

「里誉のブログってさ、自分をさらけ出してるよね。知らない人は、『この人、こんなに悩みだらけで、カウンセラーとして大丈夫かしら?』って思うかも~










きゃはは

その通り

このブログ開始したときから、私のテーマはさらけ出すことだったんだ。
タイトル、「里誉のセキララ日記」にしようかって思ったくらいなんだもん

そして、
私は、人一倍、悩み、考え、いろんなことを気にしながら生きている


できるなら、もっとさらけ出したいとこなんだけど、
公序良俗に反する危険性があるから、やめているんだ














カウンセラーとか、心理療法家とか、ってさ、
どうしてそれを志したかって言ったら、

絶対に、自分が、悩んでいたからなんだよ

人間、自分が必要であると思ったことしか、しようとは思わないから。

どんなに、今、「悩みなんて何にもないわ!」ってな顔をしていても、
カウンセラーである限り、悩みに無縁に生きてきたはずがない












それを隠して、カウンセリングしなくちゃいけない?
カウンセラーは、
何があっても、悩まず、悠々と生きている人がなるものだと思う?



そんなの、無理だよん

だって、
数学の天才に、数学ができない落ちこぼれの気持ちが分かるわけがない












だから、
カウンセラーは、悩んで当然

「過去悩んでたけど、今は悩んでません。」って、解決方法を披露するのも悪くないけど、
悩みの新陳代謝は、絶えず、起こっている

カウンセラーが、自分の現在進行形の悩みをどう生きているか、
それをクライエントさんに見てもらうのも、
悪くないと思うんだ

反則スレスレの、超スペシャルな裏ワザだけどね














だから、悩み多き私にとって、
カウンセラーは、天職とも言えるかも知れない

こういうのって、趣味が仕事になったって言うのかな

どんな才能も、活かせる場所があるんだねえ













ってなわけで、
日々、格闘してぐちゃぐちゃを経験していることを、
とっても誇らしく、また、有意義に思っている、このリフレーミングの天才が、

あなたに必要になったときには、

遠慮なく、お声をおかけ下さいませ

悩めるカリスマってジャンル、開拓しちゃおっかなって思っている














うん、そうだよ
これはね、「開き直り」っていう状態を、リフレーミングしているのさ















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ホロスコープサービス、始めました!

2010-07-06 | ライフパーパス・リーディング


ほとんど、広報宣伝活動をしない、
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」なのですが、
たまには、ちょっと、お知らせを・・・











このたび、フォルテネージュのメニュー「ホロスコープ・サービス」が
リニューアルいたしました

従来は、出生時間によるホロスコープ図(チャート)を郵送でご自宅にお送りしておりましたが、

このたび、出生チャートではなく、
ボンディングチャート  を、お届けすることにいたしました














ボンディングチャートとは、
ライフパーパス・リーディングに使用する、オリジナルのチャートで、

あなたの魂と肉体が結びついた時間(ボンディングタイム)を、
チャネリングによって、導きだし、
その時間に、太陽系のそれぞれの惑星が、どの星座に位置していたかを図に示したものです。

このチャートには、
あなたが、生まれる前に決めた、ライフパーパス(人生の目的)、及び、
その実現に関するすべての情報が、象徴として描かれています

なお、私、椿 里誉は、
ライフパーパス・リーディングの創始者であるマーニー・デューガンから、
日本人でただひとり、ボンディングタイムのためのチャネリングをする許可をいただいております












「ホロスコープ・サービス」でお送りするのは、
チャートのみなので、

その解釈につきましては、
是非、当サロンの「ライフパーパス・リーディング」のセッションを受けていただきたいのですが、

占星術の知識のあるかたは、
ご自分で、リーディングに挑戦していただくのも良いのではないでしょうか













また、
このボンディングチャートは、
それだけで高い波動に満たされたパワーグッズだと言われており、

このチャートを眺めるだけでも、
生まれる前のあなた自身の選択に、無意識につながって、

愛と喜びの魂だけだった頃の自分から、
今世を生きる、力強い勇気をもらえることと思います













出生時間ではない、あなたのホロスコープ図

一度、ご覧になりたいとは、思いませんか












料金は、一件5000円です

なお、このボンディングチャートをお持ちのかたは、
今後、ライフパーパス・リーディングのセッションをお申込いただいた際に、
セッション料金から5000円を引かせていただきます

詳しくは、フォルテネージュのHP(下のアイコンからどうぞ)、
menuのページをご覧下さいませ














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静寂のバイブレーション

2010-07-04 | フォルテネージュ


最近、
ことあるごとに、私を襲うのは、
「静けさ」なんだ


ここんとこ、毎日のように、
朝、目覚めたとき、
そこにある、あまりの静けさに、
とうとう、持病の耳の病気が進行して、聴覚が失われたかって思うほど、


シンとした世の中に、驚き、戸惑うことが、続いている













さらにね、

うちの前の道は、246からのちょっとした抜け道になっているので、
結構、車の通行があるんだけど、

何だか、私が、注意を払うときに限って、
車が通っていないんだ

「なんか、静かだよね~」って、また思っている自分がいる












驚いたのは、今日。

フォルテの散歩で、住宅街を歩いていて、
振り返ると、今通ってきた四つ角に、車が来ていて左折しようとしていたんだけどさ、

まるで、無声映画でも観ているかのように、

何の物音もしなかったんだ

高性能ハイブリッドカーって、あんなに無音なんだっけ?って思いながら、
続いて、前方を見ると、

昼間は大会社のエグゼクティブなんだろうなあって感じのする男性が、
ポロシャツに短パンっていう、休日スタイルで、
白いラブラドール犬を連れて、こちらに近づいてきていたんだけど、


彼らも、無音なんだ


足音も、犬の爪の音も、衣擦れの音も、なにひとつ、しやしない


リモコンのボタンが、ミュートになっているかのようだった














私はとても不思議な気持ちになったけど、

ちゃんと、彼らの実体はあって、

フォルテがラブ犬に興味を示し、犬同士のコミュニケーションが始まったら、
エグゼクティブ男性は、笑顔で私とフォルテを見てくれていた

いつものように、
つんざくように、フォルテが吠え始めて、会話は終了になったけどね














まるで、空気という物質が振動する音が聞こえるかのような、静けさは、
今、これを書いているときも、私と共にある

 

 

 

 

 

 

テレビは好きじゃないし、
もともと、おしゃべりなほうじゃない

ずっと、静けさを求めてきたんだと思う。

それを今、手にしているんだ













ただ、分かるのは、
この静けさは、

嵐の前に訪れるという、例のあれだってこと

ここは、人里離れた山の中の庵(いおり)かって疑うほどの、
このひんやりと静止したような空気感は、

まもなく、熱を帯び、動き出すことだろう

だから、
今のうちに、ちゃんとつながっておくことにするね

静けさの中にある、あらゆるシンクロを起こす源、
この宇宙空間すべてを創造している、根元的な知性の存在に













・・・おぉ、ありがとう
優しいあなたは、「老化による聴力低下」を心配してくれているんだね

ちゃんと、耳鼻科にも相談に行ってるから、大丈夫















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