それを何と呼んでもいいけど、
考えられる限り崇高で神聖で偉大なものに、
話しかけるとき、
私たちは、何だか、
とても自分から遠いところに向かって、
意識を飛ばすようなイメージがあると思う
「神よ!」と求めるその手は、
高く上げられて伸ばされて、
宇宙の果てを、ここではないどこかを、
思い描いているのではないかしら?
ちょっと、オススメしたいのは、
「宇宙の叡智よ!」と言いながら、
自分の胸に、
あるいは丹田に、
入ってみること
導きが欲しいとき、
支えが欲しいとき、
「助けて下さい」と思いながら、
自分の体軸に収れんすること
そうすると、
重心にフォーカスされて、
在ることが意識されて、
末端まで熱くなっていくのが分かる
ああ、“それ”は、ここにもいたって思う