3月31日と言えば、
忘れられない出来事があった日なんだ。
あれからちょうど20年になる
もう時効も成立(?)したから、話してもいいかな。
その頃、私は、ちょうど家裁調査官の見習いとして、
指導をしてくれる先輩に着いて仕事を覚えていた時代。
20年前の今日、
今でこそ新聞沙汰になっている、児童虐待が疑われる家庭があって、
そこに、家庭訪問に行くことになったんだ。
虐待といっても、暴力ではなく、ネグレクト。
母親が育児を放棄しているということだった。
母子家庭で、子どもが何人かいたけど、
戸籍の父の欄は、みな、空欄だった。
子どもの父親は全員違うかも知れなかった。
下町の、長屋のような借家の並びにその家はあった。
玄関は鍵がかかっていなくて、
開けてみると、
六畳一間くらいのスペースに、
ふとんがぎっしり敷き詰められていて、
カーテンを閉め切った薄暗い中に、
幼児や小学校中学年くらいの子どもたちが3、4人くらいいたと思う。
何日着ているんだろうっていう、汚れた服装で、
ふとんの上にも、隅のちゃぶ台にも、菓子袋やらジュース空き缶が散乱して、
台所の流しも洗い物が山積みで、
部屋全体が、生ゴミとトイレの臭いがした。
そして、びっくりしたのは、
そのふとんのなかに、赤ちゃんがいたんだ。
ベビーベッドもない、間違えたら踏んでしまいそうなところに、
ジュースの空き缶が転がる横に、生まれて数ヶ月の命が寝ていたんだ。
結局、母親は不在で、
子どもたちに聞いてもいつ帰るか分からなくて、その日は会えなかった。
私は、ちょっと放心状態になって、
先輩に断って、
その日予定されていた職場の送別会に行かずに帰宅した。
でもね、
子どもたちがかわいそうとか、母親への怒りとかじゃなかったんだ。
確かに赤ちゃんにはドキッとしたけど、
受け止めきれなかったのは、
「私は世間のこと何も知らない」って事実だった。
何不自由なく育った自分は、無力で、無知で、あの子達に到底及ばない。
たくましさのかけらもない、ただ高学歴だってだけの、あまちゃん。
そんなふうに自分を感じて、
なんか、苦しかった。
この思いは、その後、仕事をしていくなかで、何度も出てきたんだ。
歌舞伎町で年をごまかしながら働いている家出少女や、
中学生のうちから組事務所に出入りする男の子や、
親の再婚相手とうまくいかず、中卒で自立を目指す子や、
そんな子どもたちと話すたび、
経験的には、君らのほうが、圧倒的に濃いよって思ってた。
法的には許されないのは別として、
経験という意味で、私はこの子たちに何を言ってあげられるのだろうって思ってた。
最近お近づきになったmuseから、
「家裁にお勤めだったのなら、闇と充分向き合ったのでは?」と問われ、
ちょっと、答えに詰まった。
他人の闇はたくさん見たけど、
自分の闇は見てません。
裁判所というところは、天秤を何とか完璧に釣り合わせるために、
他人の闇を離れた明るいところから眺める仕事なんだ。
OSHOの本にね、
「光を最も雄弁に語れるのは、盲人だけだ。
知らないことは大胆なこと、普通は知れば知るほど疑わしくなるから。」ってあった。
だったら、逆も言えるよね、
闇を雄弁に語れるのは、いつも光の中にいる人。
そして、闇は知れば知るほど、疑わしくなってきて、語るのが難しくなる。
そうなんだ、
経験しなければ何も語れないのであれば、
カウンセラーの人生はどれだけ悲惨なものでなければならないだろう。
ひとつひとつを経験しなくても、
きっと、分かるという感覚が得られる方法があるはずなんだ。
今は、それを探しているような気がする
あの赤ちゃんは、無事に成人したのかな
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」