少し前にね、
こんなことを考えたことがあるんだ
<願いを持つ>なんて、しなくても、
宇宙を信頼して、起こってくるできごとを、ひとつひとつ、丁寧に受け入れて、
自分と関わる人たちを大切にしていくことだけをして、日々過ごせば、
それでいいんじゃないかって
むしろ、「こうなりたい」「これが欲しい」なんて願望を持たないほうが、
執着のない自然な道が歩めるんじゃないかってね
こんな気持ち、分かるよね?
なんか、ステキな感じ、しない?
逆らわず、すべてを受け入れていく生き方は、まさに悟り寸前って感じだよね
でもね、
私、気づいちゃった
この生き方は、ちょっと間違えちゃうと、
何かに対して意欲を持つってことが、極端に減っていって、
まさに、<うつ病>の状態になるんだ
すべてを受け入れるだけ 辛くてもただ受け入れる 苦しいのは当たり前 ただ日々が過ぎるままに
これじゃ、命の炎に、酸素が供給されないよ
生きていても、輝きがない、そんな生活に、もしかしたら、陥ってしまうかも知れない
思うのはね、
たとえば、RPGの世界
主人公は、悪者にとらえられた姫を助け出すために、いろんな冒険をして旅を続ける
仲間を得たり、武器を入手したり、敵キャラを倒したり、宝物をもらったり・・・
起こってくるできごとに、ひとつひとつ対処していって、
そこに、感動があって、成長がある
要は、こういうことだと思うの
願望ってのが、<悪者にとらえられた姫を助け出すこと>
できごとを受け入れていくことが、<それまでのあらゆる冒険>
やっぱり、人間は、何か願望があるほうが、燃えるんだ
何かに向かっていたほうが、エネルギーが湧いてくるのは、当然の人間の基本構造
叶えたい夢があるから、愛だって生まれてくる
これは、私たちの顕在意識には、必要な環境設定なんだと思うのね
だって、姫を助けるって使命がなければ、誰も、RPGやらなくない?
自分にとって価値があると思える願いを原動力に、まずは、冒険を始めることが大切なんだ
でね、
私たちの意識の9割を占める潜在意識の部分では、選んだ願望がいつでも変更可能なことを知っているの
姫を助け出すってのは、もしかしたら、あなたがやらなくても、
平行世界でゲームを楽しんでいる、他の誰かがやってくれるかも知れないんだよ!
だから、「あ、自分にとって、こっちのほうが大切!」って気づくことがあったら、
途中で、願いをチェンジしてもいいの
あるいは、「姫の救出に直接的に関係あることしかしません!」なんて、こだわってたら、
RPGは、進められないよね
潜在意識にとって大切なのは、冒険によって、経験値が上がっていくこと
そのときどきで起こってくるできごとを、「今」を逃げずに受けとめて、大切にすることを重ねること
そうしているうちに、
経験値がある域に達すれば、
顕在意識にとって大切な、”願いが叶う”って瞬間がやってくるんだ
願いを持つことで、
自分の種が、自分らしい樹木に成長して、花が咲き、実を結ぶと、願うことで、
不本意で理不尽で不合理なできごとを経験する勇気が生まれるし、
その経験の束が、自分が本当に望むことへの成就へと導いてくれる
願望と、現状の受容は、セットになって働くんだって思うんだ