週末、肉体的にハードだったせいか、珍しく?21時ごろ寝てしまいました。23時半に一度目が覚めたけれど、そのまま布団の国で朝まで過ごしました。
その日は、掃除洗濯以外はだらだら過ごして体力回復に努めたのですが(努力してないのに〈努〉の字?)、サー・ノリントン指揮/ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ演奏のベートーヴェン『第七』と、カルロス・クライバー指揮/バイエルン国立管弦楽団演奏の『第七』を聴き比べながら、(半分以上居眠り。あの爆音の中でよく眠れるものだと、我ながら感心)、「寝だめ」と「食いだめ」ができると、もう少し時間を自由に使えて便利なのになあ・・・なんてことを考えていました。
その後、リアルタイムで見られなかった『芋たこなんきん 第8週~おおきに』を、まとめて見終わったところで、「寝だめ」や「食いだめ」ができればいいなんて、「飽食の時代」だから言えることなんだと、大いに反省させられました。
寝ることや食べることを「楽しめる」のは人間だけです。野生動物にとって、眠ることは(肉体上必要でも)「命」を危険にさらすことだから、子供のときを除けば、ぐっすり眠ることはまずないでしょう。彼らは多少の「食いだめ」はできますが、それは次の食事がいつになるかわからないので、食べられるときに十分食べておく必要があるからです。食べることは生きることで、楽しむことではない・・・それが自然の掟です。 人間だけが睡眠と食事を楽しめるようになったのですが、世界にはそれがままならない人々が大勢いて、つい最近まで日本も、食べることは「楽しむ」ことではなく「生きる」ことだったことに思い当たりました。
今週から2週にわたって、〈町子~15歳編〉が放送されています。先週第8週の「おおきに」は、〈現代編〉のプチまとめだったのですが、大げさに言えば、現在を象徴する「病い」の数々が、もはや戦後ではないといわれた高度成長時代を経た昭和40年代に萌芽していたことがよくわかるエピソードでした。確かに生活は豊かになり、健次郎が言うように「ものごとには良いことも悪いこともある」のだけれど、私には悪いことの方が多いと思えて仕方ありません。人気作家の町子が雑誌に紹介したことで、(長続きはしないかな?)閑古鳥が鳴いていた映画館が満員になり、〈たこ芳〉に若い女性が押しかける・・・カタログ文化、情報化社会の始まりですよね。「ただで薬がもらえる」と、健次郎さんの病院へ押しかけたホームレスの人々・・・ニート&ワーキング・プアーの問題が見え隠れしています。懸賞葉書欲しさに何冊も雑誌を買う子供&買い与える親・・・古くはプロ野球カードや仮面ライダー・カード、「大人買い」に代表される「食玩」ブーム、(食玩は過去の反省を踏まえていますが)ものを大事にしない傾向は強まるばかり。というか、捨てては買わせて捨てては買わせて、今日まで来たわけです。
物語を楽しみつつも、「どこかで間違ってしまったんだなあ」という思いが消せない『芋たこなんきん』第8週でした。筋が通らないことや、正しいことがなされないことを何とも思わなくなってしまった今だからこそ、町子さん達のように、筋を通して生きたいものです。隆君、偉かったね!
朝ドラヒロイン二態
「あふあふあふ」
「さっさと脱ぐ~!」
理想のお父さんを演じた城島茂さんのインタビューは、 →こちらをクリック