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20221108 まったく何もありめろす。

2022-11-08 17:55:00 | 本の要約や感想

火宅の人
20221108

マラソンのことを昨日と一昨日ここに書いたが、その「走る」というイメージからふと思い出したのは「走れメロス」。懐かしいですね。

登場人物がギリシャ人のような名前だが、もちろん太宰治の創作で、日本人ならおそらく誰でも一度は読んだ、いや読まされた記憶があるのではないか。

──────悪政の王に捕らえられたメロスは、処刑されるのであればその前に妹の結婚式にどうしても出たいと3日間の猶予を王に嘆願した。そして自分の代わりに竹馬の友セリヌンティウスを城に置いてメロスは旅立った。

もともと性悪説論者の王にしてみれば、メロスがそのまま逃げたとしても、残されたセリヌンティウスを処刑し、「ほら見ろ、人間は信用できないだろ」と自分の正しさを証明できるから、結果はどちらでもよかった。

数日後、幾多の困難を切り抜けてメロスはセリヌンティウス処刑寸前の城内に飛び込んでくる。涙の抱擁。打ち明け合う僅かな疑念や諦念。そして友情はさらに深まった。その二人の姿を見た王も人間不信の殻を捨て、仲間に入りたいと申し出るのだった。──────

たしかこんな話だったと記憶しているが、太宰がこの短編を書くにあたってそのヒントとした太宰自身の体験があり、これも世に知られた話ではあるが、それを簡単に書くと、

──────太宰の妻は、熱海に行ったきりで帰ってこない夫太宰を心配し、太宰の親友の檀一雄に幾ばくかの金を持たせ、様子を見てきてくれと頼んだ。

熱海にいた太宰はそろそろ酒代が乏しくなってきたところにちょうど懐を膨らませた友がのこのこやってきたから「いよ待ってました」とばかり、それから何日も二人で熱海の町を飲み歩いた。

とうとう溜めた宿代まで飲んでしまい、帰るに帰れず、そこで太宰は「しばし待て、われが金策果たしここに戻るまで待て友よ」と言ったかどうかは知らないが、なにしろ壇を宿に残し太宰は帰京した。

ところが幾日経っても太宰はちっとも戻ってこない。まさかの事故か急病か。それに酒もないし待ちきれなくなった壇は宿にわけを話して自分も東京に帰った。そして荻窪の井伏鱒二邸(当時の近隣作家たちの溜り場)に行くと、そこには井伏との将棋に熱中する太宰の姿が。激怒する壇。屁理屈で煙に巻く太宰。

だいたいこんな話だったが、これが全て本当かどうか私は知らない。記事を読んだ私の記憶も曖昧ではあるし。しかしこの二人が親友だったことは確かなようで、いつも死にたい死にたいの太宰は酔って壇に一緒に死のうとガスホースを咥えて言ったという話もある。

同時代の詩人中原中也が酒場で酔って同席の太宰をしつこくいじめる。泣いて逃げる太宰。追う中原。それを暗がりで待ちぶせの壇、手には一振りの木材。たしかこんな逸話もあった気がする。

檀一雄もいわゆる「火宅の人=家庭を顧みず放蕩三昧の人」として有名な作家だが、当時の作家たちは皆人品濃厚の人ばかりで、そこに交じると壇でさえ霞みはしないが突出もしないところが面白い。

ちなみに、壇一雄の自宅に一時期夫婦で居候していた坂口安吾はある時、自分の妻に、カレーライスを百人前頼んでくれ、と言い出し、夫人は仕方なく近所の数件の店に頼んで回った。やがて壇の家には百人前のカレーライスが並べられた。という事件があったらしい。当時の文壇にまともな人はいないのかな。

さて私は「走れメロス」で竹馬の友という言葉を知ったが、今では誰も使わないだろうね。私だって文章でも会話にでも使ったことがない。だいたい最近、竹馬を見たことがない。私の頃はカラー竹馬ね。乗れますよ。♪タンタン竹馬、カラー竹馬。懐かしいね。こんな昔のことを言うのはボケの兆候。ありがとう。いただきます。さようなら。

20221117「熱海行」について、関する本を読み、書き直しました。

evolucio
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