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20210706 泪橋カフェバッハ

2021-07-06 16:46:10 | コーヒー


20210530撮影

5月末の日曜日に近くを通り、急に雨が降り出し、
かつ思い出したものだから「カフェ・バッハ」へ行ってみた。
コーヒー好きなら誰でも知っている超々有名店だ。
10年以上前に一度だけ行ったことがある。
その時は「ふーん」とだけ思った。

有名になったらなったで、
その看板だけが独り歩きを始め、
すると、いくら値段を上げても客は来る、
味を落としても客は来る、
オーナーはベンツを買って愛人を囲う。
やがて資本が入ってチェーン展開、
オーナーは巨額を手にして引退。
コーヒーは均一化された不味くはないが美味くもない味になる。
………そんなふうに変わっていく店はいくらでもある。

だから今日もそれほど期待をしていなかった。
ちょうど雨が小降りになって、店から数組の客が出てきて、
私はすぐに案内された。
人が並んでいたらあきらめるつもりだった。
コーヒーなんか並ぶほどのものではないからね。

ハウスブレンド640円を注文した。
メニューのもっと高い注文は1800円くらいまであっただろうか。
さて潔く謝ります。
店の顔ハウスブレンドはかなり美味かった。
ハイローストくらいの風味で、優しい酸味とキレとコクがあり、
飲んだ瞬間の鼻腔に広がる香りもなかなかだった。
コーヒーで大事なことは後味なのだが、まったく悪くなかった。
選び抜いた高い豆を使っているだろうこともよくわかって、
レジで気持ち良く支払うことが出来た。
他でたまに「飲み逃げしようかな」と思うような店もあるのに。

今さらこの店バッハについて講釈をするつもりはないが、
まったく知らない人にだけ向けて書くと、
この店は「泪橋」のすぐ近くにある。
いわゆる「あしたのジョー」の地元である。
昔風に云うところの「ドヤ街」の地域である。
はっきり書けば「山谷」である。

最近はずいぶんと明るい街になってきたらしいが、
しかし今でもその街の風情とその筋の人たちは残っている。
実際、バッハのとなりの隣が「まいばすけっと」で、
私が行った日にもその前でそれらしき人たちが4人立ったままで
発泡酒を飲みながら歓談していた。
雨で私もその軒下に少しいたので話がよく聞こえたが、
とんかつの話だった。
楽しそうだった。

その前をまた一人おじさんがビニール袋を手に
ヨタヨタビショビショ傘無しで歩いてきたので、
私が「風邪ひくよ」と声をかけたら、
「へへへへへ」
キュートに笑って路地の奥のディープエリアへと入っていった。
その軒下がバッハまで5メートルである。

店は表通りにあるが、一歩路地に入れば簡易宿泊所、
昔風にいうところの木賃宿が軒を連ねている。
表通りも殺風景で、バッハの他には店舗が飛び石に見えるだけである。
そんな場所に店を構えるカフェ・バッハはsince1968であり、
開店当時は紛れもなく本物のドヤ街であったはず。
岡林信康の「山谷ブルース」発売が今調べたらぴったり1968年であった。

画像はGoogle Mapより

そんなエリアで創業者はコーヒー専門店を開き、
今日の今日まで営業を続け、
雨の日でもこの店には客が並んでいるのだ。
そして美味い。
見事としか言いようがない。

だいぶ以前に、
この店の創業者が監修した本を読んだことがある。
たしかこんなことを書いていた。
「いい場所に出店したのではなく、
出店したところをいい場所にしたのだ」

私はコーヒーを10分で飲み終えすぐに出てきた。
雨も上がりつつあった。
5,6人ほどが店外に並んでいた。

少し調べてみると、
「泪橋」は江戸時代からその名があり、
罪人が刑場に向かう時に家族と涙で別れる川に架かる橋だったらしい。
その小さな川は今は暗渠になっているということ。

最後に書いておくと、
このエリア、今現在は誰でも普通に通行できる街になっていて、
低価格の宿泊所にはコロナ以前は外国人客にも多く使われ、
おそらくオリンピックでまたさらに進化を遂げたはずなのだが、
コロナ騒動でその可能性はなくなり、関係者は残念だろう。

泪橋の今は暗渠になっている川の名前は
「思川」(おもいがわ)と云うそうだ。

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