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20210110 映画「砂の器」感想少し 1/12加筆訂正アリ 加筆3回目アリ

2021-01-12 01:34:25 | 映画

20210110

昨日は予定通りコーヒーを買いに行き、5種類計1キロの豆を手に入れて、少し寄り道をして戻る頃には暗くなり始め、空気もすっかり冷たく感じられた。

いつもは決まって1.4キロを買うのだが、最近コーヒーを飲み過ぎているような気がしていて、少し減らすつもりで今回は少なめにしておいた。

スペインのバルセロナでは50年ぶりの大雪とのこと。大雪は地球規模の気象なのか、我が国の日本海側でもほとんどの地域が大雪らしく、各地で皆さん難儀している模様。連休中がせめてもの幸いなのか、またその逆なのか私にはわからないが、あれだけ積もると屋根からの雪崩でも命の危険があるだろう。

私はというと、昨夜はCS放送で映画「雲霧仁左衛門」からの「砂の器」とどちらも70年代の邦画の名作を続けて鑑賞し、とくに雲霧仁左衛門はよかった。すっかりと満足した。久しぶりに仲代達矢に酔った。一方砂の器はもちろん泣かせにくる映画だからほろっとはきたが、今ひとつの気持ちが残った。

私は今まで松本清張原作のドラマや映画で完全に満足したためしがなく、この有名な砂の器も何度も観る機会があったのに観ずにきて、昨夜はとうとう決心をして観たわけだが、ごく僅かに抽出量を間違えたコーヒーを飲んだような感覚を覚えた。何かが足りないような、もしくは少し多いような、そんな気持ちである。

十分にまだ戦後であり、我が国の発展途上において豊かさ以前の「最低限」や「基本的人権」などが行き渡らず、掬った指先から溢れた砂のような貧しく被差別の父子に焦点を当て、その親子を日本の四季の花や雪や風の中に流浪させ、彼らを追う刑事ですら涙を流す境遇と別れをドラマチックな音楽でより一層に感傷を高め、私に泣け泣けと迫るが、さすがに加藤嘉の渾身の演技には降参しかけたものの、ほろっとはしただけで私は崩壊はしなかった。

とはいえ役者も音楽も映像も最高である。しかしこれで満足しないということはつまり私が擦れて捻くれてしまったということではないか。

それにしても名優を揃えた作品であることは確かで、それぞれの存在感を楽しむだけでも見る価値は十二分にある。中でも私が好きなのは野村昭子。大好き。今回はチョイ役。なんでこんなに好きなのかわからないが、とにかく好き。前世か何かで繋がっているのかもしれない。






──以下加筆20210112その2──
深夜に書いた下の加筆部分を再読したが、これで他人が読んで理解できる?といった文章なので笑ってしまった。

しかし明確に説明すると物語の核を明らかにしてしまうので、その加減がけっこう難しく、しかも眠かったこともあり、わかり難いことになった。ご理解いただきたい。

なにしろ、もう一度観ないと答えは出ませんね。2回観たが、どちらも片手間に観ていた。だいたい犯人の現在設定の年齢が何歳だったか憶えていない。そこが一番重要なのに。

それからもうひとつ。刑事丹波哲郎が事件を説明しながら一瞬涙する場面、この涙は親子の境遇に対してのものだと最初は私は思っていたが、あれは三木さんに対しての涙だったかもしれない。そこの部分も私はぼーっとしていたので、やはりもう一度観ないと結論は出ない。

といったところです。寒いですね。雪は降らない様子。しかしいろいろご注意ください。20210112昼




──以下加筆訂正20210112その1──
上の下線の部分、戦後と書いたが、今夜もう一度映画を放映していて観たら、そうではなく、時代設定は戦前もしくは戦中だった。私の理解不足でした。訂正したい。

観た人はわかると思うが、話は現在と過去との因果を描いていて、作品中の現在とは事件が起こり、それを刑事たちが調べている1960年か61年くらいのことを指す。原作の小説が1960年から新聞に連載されたとのことで、小説の中の設定もその頃を指しているらしい。そしてそこから約20年ほど前の「あの親子」が乞食姿で彷徨った2年くらいの期間が作品中の過去である。(私はこの現在と過去の部分をどちらも15年くらい後にズレて誤認していた)

だから過去とは1940年か、もう少し前か、くらいの時代で、真珠湾攻撃が1941年の年末だから、そこから考えると親子が彷徨ったのは戦争突入前夜であるといえるかもしれない。

しかしこの映画は戦争の色や匂いが皆無といっていいほどで、だから今夜も私は時代設定に疑問を持たずにぼんやりと観ていたのだが、家出をした少年が大阪で住み込みで働いていた店が空襲で焼けたという事実を刑事が突き止めるシーンで首を傾げた。

大阪大空襲は1945年のことなので、そこを基準とするなら自分が考えていた設定とはかなり違ってくるのだ。

一度目に観た時、私は親子が彷徨ったのは戦後のだいたい1950年代くらいだとなんとなく思い込んでいた。それは「現代」がこの映画の制作された1970年代だとやはり思い込んでいたからだ。とここまで書いて、いやでも現代が1960年だというのもおかしいなと思い始めた。今ふと映像を想い返したが、映画の現在に出てくる車が60年代の車ではなかったような気がするのだ。あれはやはり70年代の車ではないか。しかし空襲は間違いなく戦中だから、親子が彷徨ったのは戦中かその前のことであるのは確定である。するといろいろおかしくなってくるのだが、ちょっとよくわからなくなってきた。私の足し算引き算がおかしいのか。もしくは車種の見間違いか。また調べて、はっきりしたら別のページに書きたい。とにかく親子が彷徨ったのは戦後ではないということは間違いない。それが言いたかった。20210112 02:00深夜



──加筆その3  20210112夜──

20210112

アマゾンにあったから、観直しました。
何かがおかしいと思っていたことが解決しました。私の頭がおかしかった。
ちゃんと見ればちゃんと書いてあった。悩むことはなかった。
以下時系列を箇条書きにするが、観ていない人にはわかり難く書いてある。


昭和17年夏(1942) 親子、家(石川県)を捨て流浪の旅に出る。父36才くらい。子は5才。

昭和19年夏(1944) 親子、三木さんに保護される。
         親子の別れ。
         父は療養所へ。
         子は三木さんに引き取られるがすぐに家出する。

昭和19年暮(1944)     家出をした子、大阪の自転車屋の住み込み店員になる。7才。

昭和20年3月(1945)   大阪大空襲で店が焼け、店員の子だけ助かる。8才。

昭和23年      三木さん退職、岡山に帰り雑貨屋を始める。

昭和46年6月(1971) 東京都大田区蒲田にて事件起こる。

以上、たぶんこれで合っていると思います。あくまでも1974年映画版での設定です。

E V O L U C I O

 


おつかれさまでした。

E V O L U C I O

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