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20221016 まったく何にもない日でした。追記あり

2022-10-16 18:17:49 | 社会

江東区

20221016

銀座の東の入船?新富町?へ「死刑囚の絵画展」を観に行ったが、小さな会場の外までかなり並んでいて、進み具合が悪いようだったから、あっさり止めて他へぶらぶら。

しかし被害者家族にしてみれば犯人の絵を公開し、その名を広め後世に残すなど言語同断なことだろう。この問題を突き詰めれば、死刑囚に人権はあるか、ないか、ということで、人権があるとするなら表現や言論の自由はあるということになる。ところが私のような呑気な部外者とは違い、残された家族には激しい感情があり、その感情の前では人権も人格も表現もきっと〇〇食らえであるだろう。先に法を破った(捨てた)のは誰なのか──と被害者家族は言いたいのではと思う。

なぜ死刑囚の絵画展を開催するかというと、その主催団体を私は知らないが、おそらくは死刑囚がなぜ死刑になるような犯罪を犯したのか、その原因や、また死刑宣告をされ、死刑を待つ現在までの心理的変遷、今の境地、思想などについて絵を通して、呑気な私たちも理解を深めてみませんか? というような意義かと私は推測するが、やはり被害者家族にしてみれば、たまったものではないだろう。

冤罪は別として、他人を能動的に殺めておいて、まだ何か理由を作って生きていたいとか、表現するものがあるだとか、それもどうかと思う。たしかに社会が悪いとも言える。しかしそれが社会なのだから。そして逆に被害者についてもやはりそれが社会であり、全て完璧はありえないということ。どちらにせよ明日は我が身。

今日なぜあっさり並ぶのをやめたかというと、並んでいる時にそのサイトを確認し、いくつかの絵をスマートフォン上で見たら、まあ並ぶほどのこともないかと思ったので。
サイトリンク
※サイトに入りスクロールをするといくつかの絵を確認できます。

以下追記──リンクのサイトをよく見たらその主張するところは、つまり死刑囚であっても感情も感受性もあり、このような絵を描く一人の人間であるから、その人間たちを死刑に処す是非について世間に問いたい。といったようなことであるらしい。

死刑の是非については、私には難しくて判断ができない。

そしてこのような展示が持つ危険性について私の感想を少し書いておくと、安倍さんの件において、犯人を英雄視する人間が少なからずいるように、こういった絵や言動などに感化されてしまう脆い人間がいる可能性も否定できないのではないか。また、有名になってしまうことで罪の重さが軽く感じられてしまわないだろうか。異論はあるだろう。

加害者の作品の展示だけでなく、被害者の「生きた証」のような物も同時に展示すれば公平性が保たれるような気がするが、しかし被害者にしてみれば一切関わりたくないだろう。

E V O L U C I O

コメント
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