三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

清瀬聖母教会(日本聖公会)

2013年10月15日 | 聖公会の教会
日本聖公会 清瀬聖母教会
(住所:東京都清瀬市梅園1-1-25)

10月13日(日)、清瀬聖母教会(日本聖公会)で聖霊降臨後第21主日の聖餐式に参列した。「かつて結核療養の地区として知られた『清瀬』における教会の歴史は、1946年この地で闘病生活を送り、天に召された村田俊也氏の深い信仰によって福音の種が蒔かれたことに始まります。弟・敏郎氏の『ここに教会が欲しい』という一言が伝道地区開設の契機となり、1949年、最初の礼拝堂が完成し、工藤義雄主教、山田千代伝道師の派遣によって活動が開始しました」(教会案内書より)。

「翌年、多磨全生園(ぜんしょうえん)内に『聖フランシス・聖エリザベツ礼拝堂』献堂。以来、ハンセン病隔離政策という歴史を負われた、全生園の元患者(回復者)の方々との豊かな交わりの中に生かされています」(前掲書)。西武池袋線の清瀬駅で下車。カトリック清瀬教会、及びカトリック秋津教会の記事でも触れたが、清瀬は全生園を始め、ベトレヘムの園、国立東京療養所などの医療機関が集中している。現在の清瀬に戦前の「死」と「病」を想像することは少し難しくなってきた。

午前10時30分、振り香炉と行列用十字架を先頭に、司祭が厳かに入堂。福音朗読は、10人の重い皮膚病の人がいやされた場面(ルカ17・11-19)。井口諭司祭は、「皮膚病で差別された10人の中で、さらに差別された異邦人のサマリア人だけが感謝して、イエスのもとに戻った。救いとは『清め』の向こうにある『癒し』。そして、神が人を愛されていることを知る。これが信仰です」と話された。ハンセン病患者の悲しみが彷徨っているような清瀬で聞いた今日の福音は、万感胸に迫るものがあった。


聖堂内観(1999年竣工)


サイドチャペル(小聖堂)の十字架

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、参入聖歌:359「世にまししときの」、昇階聖歌:527「傷ついた人の」、奉献聖歌:532「エルサレムの町の」、陪餐聖歌:443「ともにあつまる」、派遣聖歌:444「山辺に向かいて」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする