三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック秋津教会

2010年12月04日 | 東京のカトリック教会
カトリック秋津教会(教会堂名:主の降誕)
創立:1934年 ◇ 住所:東京都清瀬市梅園3-14-18

JR武蔵野線の新秋津駅で降りる。原武史氏が「滝山コミューン一九七四」(講談社)で指摘する通り、清瀬周辺には「<死>や<病>に関する場所」が多く、多磨全生園、国立東京療養所、結核研究所などがある。空堀川を渡ると、フロジャク神父(Joseph Flaujac:1886-1959年)の理想郷「ベトレヘムの園」の森が見えてきた。広い園内には、ベトレヘムの園病院、ベトレヘム学園(児童養護施設)、東星学園(幼・小・中高の学校法人)、聖ヨゼフ老人ホームなどが建ち並ぶ。

パリ外国宣教会のフロジャク神父は、戦前日本の結核患者に奉仕することを決意。当時、結核は不治の病とされ、患者は社会的・精神的な孤立を強いられていた。1933年、フロジャク神父は清瀬の原野に、療養農園「ベトレヘムの園」を拓く。2万坪の園内には仮聖堂も建てられ、八王子教会のメイラン神父が赴任した。これが現在の秋津教会である。日本の貧しく病める人々を救ってきたフロジャク神父は、祖国フランスへ帰ることなく、カトリック府中墓地に眠っている。

ベトレヘムの園を散策すると、今にもフロジャク神父と出会いそうな気配がする。近代的に建て替えられた諸施設を見て、「一粒の麦もし死なずば」の聖句が脳裏に浮かぶ。1934年のクリスマスに創立された秋津教会は、ベトレヘムの園病院の近くにある。メイラン神父は病舎を訪れ、死と隣合せの患者を慰め励ましたという。1949年、「歩く宣教師」と謳われたメイラン神父は、秋津教会の旧司祭館で帰天。私は結核で仆れた人々の霊魂を思い、深閑とした聖堂内で祈りを捧げた。


現聖堂献堂:1979年

<付記>
フロジャク神父ゆかりの教会である徳田教会、及び上野教会の記事も、あわせてご覧ください。

◆主な参考文献など:
・「創立者フロジャク神父の小伝」 五十嵐茂雄著(ベタニア修道女会・1976年)
・「ベタニア修道女会とフロジャク神父」 清水須巳子著(清水弘文堂・1991年)
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