三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

聖霊降臨後第8主日の聖餐式

2014年08月08日 | 聖公会の礼拝
炎天下の立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

8月3日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で聖霊降臨後第8主日の聖餐式に参列した。午前10時、振り香炉と十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。福音朗読は、イエスの奇跡「パン五つと魚二匹」(マタイ14・13-21)。中川英樹司祭は「イエスが神の国について語る時、いつも小さいことに価値を置かれてた。強さではなく弱さ、完成されたものではなく未完のものに、イエスの思いはあった。そして、『からし種』のような小ささが、神の働きのために用いられてきたのです」と話された。

「本日の福音にも『パン五つと魚二匹』という小ささがあります。神はその小ささの内に、ご自分の意思を果たされ、神の国が現れていることを証される。そこでは全ての人々の存在が尊敬されている。能力や権威という大きさではなく、その人の存在そのもの、何ひとつ飾るものを持たないその小ささが価値とされる。この小ささの只中に、神の国は存在します」。私は中川司祭の説教を聞き、「大きさ」や「強さ」を尊ぶ「大日本主義」を批判した石橋湛山(1884-1974年)の論説が思い起こされた。

「『汝らのうち大ならんと欲う者は、汝らに使わるる者となるべし、また汝らのうち頭たらんと欲う者は、汝らの僕(しもべ)となるべし』とは、まさに今日、日本が、四隣の異民族異国民に対して取るべき態度でなければならぬ。しからずしてもし我が国が、いつまでも従来の態度を固執せんか四隣の諸民族諸国民の心を全く喪うも、そう遠いことでないかも知れぬ」(『大日本主義の幻想』より)。1921年、湛山が聖句(マタイ20・26)を交えて発した警告は、現代ニッポンの増長をも予見していたのである。


夏休み。明日(8/4)はオープンキャンパス

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲2(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:244「命の糧よ 世人のために」、続唱聖歌:371「移りゆく世にも」、奉献聖歌:508「子どものささげる わずかの糧」、陪餐聖歌:249「旅人らの日々の糧」、派遣聖歌:317「われら主をたたえまし」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「石橋湛山評論集」 松尾尊兌編(岩波文庫・1984年)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 五旬祭後第7主日聖体礼儀 | トップ | チマッティ神父の「月命日」ミサ »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。