三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

待降節第1主日のミサ<後編>

2012年12月05日 | ミサ聖祭
調布サレジオ神学院、地下聖堂の扶助者聖母像
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

前編の続き>。金子賢之介神父は説教の中で聖母マリアに言及された。「この待降節に当たって考えること。それはマリア様のお姿です。馬小屋から十字架に至るまで、マリア様はイエス様と共におられたのです」。85歳の金子神父は説教を始める前に「私は目を患い、耳も遠くなりました」と仰っていたが、それを感じさせないほどの溌剌とした口調だった。「今朝は冬の青空が広がっていますが、私には“天衣無縫”の青いマントをまとった聖母のように見えます」。

「聖母の“天衣無縫”の青いマントのもとで、私たちは生きている。そのように空を眺めていると、私にはマリア様のこんな言葉が聞こえてくるような気がします。『大丈夫。私はあなたの傍にいますから』。どうか待降節中は空を眺め、聖母のマントのもとにいることを思い出してください」。金子神父の一言ひとことが、私の心に強く響いた。ところで、この拙いブログをご覧の方々は、ある特徴にお気づきのことと思う。それは、青空を背景にした教会の写真である。

私のマズい撮影技術を補うには青空が不可欠だが、実は「聖母の青いマントに包み込まれた教会」を意識していた。中世の欧州では「守護の外套のマドンナ」像が盛んに造られた。聖母が両手で広げたマントの中に民衆や王侯貴族が身を寄せる意匠だ。また、マントの青い色は「天の真実(真理)」を表すという。私は青空を仰ぐたびに「聖母のマント」を思っていたので、今日の金子神父の説教に強い感銘を受けた。ミサ後、聖堂を出ると青空が広がっていた。 Ave Maria!


<待降節第1主日を迎えたサレジオ神学院>

◆主な参考文献など:
・「聖母マリヤ」 植田重雄著(岩波新書・1987年)
・「聖母マリア」 シルヴィ・バルネイ著、遠藤ゆかり訳(創元社・2001年)
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