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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

生神女誕生祭の徹夜祷

2013年09月25日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

9月20日(金)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、生神女(しょうしんじょ)誕生祭の徹夜祷に参祷した。主日や祭日の前夜に行われる徹夜祷(晩祷)とは、時課の晩課・早課・一時課を組み合わせ、翌日の聖体礼儀に備える奉神礼のこと。「生神女誕生祭」は正教会の12大祭の一つで、ユリウス暦に基づく毎年9月21日に、「『救い』を与えるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)を生むマリヤの誕生を、正教会は救いの始まりとしてお祝いします」(『生神女マリヤさま』より)。

正教会も生神女マリヤに「執り成し」を祈る(これを「転達」という)。「その転達の力は偉大です。マリヤさまは、私たちの最高の模範として、神を信じ、神の言葉を受け入れ、愛に生き、人のために祈り続けておられるのです」(前掲書)。これを「生神女庇護」といいい、正教会の神学者ロースキィの言葉を借りれば、「彼女によって永遠に属する善が按配されるのである。従って彼女によってこそ天使も人間も恩恵を授かる」と表現されようか。正教会は毎年10月14日を「生神女庇護祭」として祝う。

午後6時、徹夜祷の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が入堂。蝋燭の灯りだけが輝く聖堂内の最奥に、「印(しるし)の生神女」のイコンが幻想的に浮かび上がっている。この日は大祭の徹夜祷のため、リティヤという特別な祈祷が行われた。これは聖所中央の祭台に載せられた五餅(5つのパン)や葡萄酒などを司祭が祝福し、「大祭のよろこびを直接信徒たちと共にわかちあう」のである。まさに生神女マリヤ誕生祭のイヴだった。なお、この日の徹夜祷の所要時間は約130分。


灯りが洩れる大聖堂入口
“ 生神童貞女や、爾の生まれは全世界に喜びを知らせたり ”

<付記>
日本正教会発行の子供向け教材『生神女マリヤさま』より。「正教会がマリヤさまを『生神女』という時、それは、神さまが人となったという『藉身(せきしん。受肉の神秘のこと)』の事実を明らかに宣言しているのです。このように、正教会において、マリヤさまは必ずイイスス・ハリストスとの関連の中にいます。マリヤさまを単独でハリストスと切り離して考えることはありません。だから、単に『聖母』ではなく『生神女』という言い方が大切にされているのです」。

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「生神女マリヤさま」 (日本ハリストス正教会教団 全国宣教委員会・2012年)
・「キリスト教東方の神秘思想」 ウラジーミル・ロースキィ著、宮本久雄訳(勁草書房・1986年)
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五旬祭後第11主日の聖体礼儀

2013年09月13日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

9月8日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で五旬祭後第11主日の聖体礼儀に参祷した。午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭、そして仙台のセラフィム大主教、さらにロシア正教会のサワ主教が厳かに入堂。華やかなミトラ(宝冠)を戴く主教品が3人そろった光景は壮観だった。この日は聖体礼儀後にロシア正教会の故セルギイ総主教(1867-1944年)の着座70周年記念の祈祷、及びダニイル府主教の誕生日祝賀が行われた。

1943年9月8日、セルギイ府主教がロシア正教会の新総主教に選立された。これによって、18年ぶりに総主教制が復活。教会を迫害していた独裁者スターリンは、ドイツ軍の侵攻によって「ロシア正教会の協力と支援が不可欠」と認めざるを得なかった。セルギイ総主教は宗教弾圧と戦争に苦しんだが、それ以前は日本で宣教していたこともある。さて、聖堂内は哀歌「永遠の記憶」の切々たる調べが流れ、故セルギイ総主教のためのリティヤ(永眠者記憶の祈り)が終わりつつあった。

続いて、ダニイル府主教75歳の誕生日祝賀が行われ、ロシア正教会のキリール総主教から「サーロフの聖セラフィム記念勲章」が授与されることになった。前述のサワ主教は総主教の名代として来日されたのである。ダニイル府主教は「これまでの人生を振り返ると、思いもよらぬ神の恩寵がありました。皆さん、神の恵みを実感しながら、ご一緒に長生きしましょう。アミン!」と挨拶された。喜びの歌「幾年(いくとせ)も」が流れ、私も美味なるアンティドル(注)のお裾分けに預かった。


東京復活大聖堂、正門のアーチ
“ ハリストスや爾の僕婢の霊を諸聖人と共に・・・ ”

(注):「聖体礼儀が終わった後、参祷者は切り分けられたパンをいただきます。このパンは『アンティドル』と呼ばれます。これは、『賜物の代わり』という意味で、御聖体のために使ったパンの残りを、領聖しなかった人々のために分与していたことに由来します。今では参祷者全員がもらう習慣となっています」(日本正教会サイトより)。ちなみに、正教会の聖パン(プロスフォラ)は「鏡餅」を小さくしたような形の発酵パンである。ふっくらとした食感で美味しい。

◆主な参考文献など:
・「ロシア正教の千年」 廣岡正久著(日本放送出版協会・1993年)
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「神さまの国へ ~聖体礼儀について」(日本ハリストス正教会教団 全国宣教委員会・2009年)
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生神女就寝祭の聖体礼儀

2013年09月01日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

8月28日(水)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で生神女就寝祭の聖体礼儀に参祷した。「生神女就寝(しょうしんじょしゅうしん)」。生神女は聖母マリアのことだが、「就寝」をカトリックの「被昇天」と同義とするのは難しい。正教会の神学者オリヴィエ・クレマンによれば、「マリアは罪のけがれなく生まれてきたわけではなく、すべての人と同じように、アダムの子孫には避けられない死の宿命を担っていた」。まず、マリアが「無原罪」とされていないことに注意する必要がある。

京都ハリストス正教会の及川信神父は「就寝」を次のように説明される。「マリアが永眠なさった時、主イエスがお迎えに来られて、その霊(たましい)を神の国へと伴われた、と理解しています。霊とは言っても無形の空気のようなものではなく、有形の体のある存在として認めています。そのため、オーソドックス(正教)の就寝の聖像には、小さなマリアを抱くキリストの姿が描かれています」。ちなみに、クレムリンの有名なウスペンスキー大聖堂は、日本語で「生神女就寝大聖堂」と表記される。

午前8時、聖体礼儀は誦経(祭日経?)から始まった。平日にもかかわらず、50人ほどの会衆が集まった。就寝祭も聖金口イオアンの聖体礼儀によるが、特に生神女のトロパリ(讃詞)やイルモス(連接歌)が歌われたようだ。また、長い誦経の場面が少なく、なおかつ説教も省かれたので、所要時間は約100分と短かった。ふとニコライ堂の高い天井を見上げると、幾筋もの光が差し込んでいた。それらは天使の梯子(Angel's ladder)のように神秘的であり、私は「聖母の被昇天」を連想してしまった。


ニコライ堂境内の亜使徒聖ニコライ記念聖堂(右)
“ 生神童貞女や慶べよ。恩寵に満たさるるマリヤや・・・ ”

<付記>
日本正教会発行の子供向け教材『生神女マリヤさま』より。「『生神女就寝』とは、マリヤさまの死を意味します。確かにマリヤさまは『死にました』が、しかし正教会では、『生命の母として生命に移った』、すなわち『復活を先取りした』としてお祝いするのです」。なお、カトリックでは8月15日に「被昇天」を祝うが、正教会ではユリウス暦に基づき、8月28日が「就寝」となる。

◆主な参考文献など:
・「東方正教会」 オリヴィエ・クレマン著、冷牟田修二・白石治朗共訳(白水社・1977年)
・「オーソドックスとカトリック」 及川信著(サンパウロ・2011年)
・「生神女マリヤさま」 (日本ハリストス正教会教団 全国宣教委員会・2012年)
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五旬祭後第7主日の聖体礼儀

2013年08月16日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

8月11日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で五旬祭後第7主日の聖体礼儀に参祷した。この日は猛暑で、聖堂内は扇風機が大活躍。午前10時、聖体礼儀の開始を告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。ア・カペラの聖歌がドーム内に響き渡る。第一部の奉献礼儀(約35分)では、聖所内の升壇上で府主教の「着衣式」が行われた。リヤサ(スータンに相当)の上に、何枚もの祭服が「重ね着」されてゆく。蒸し暑い聖堂内で、私はただ瞠目するのみ。

ボルトニアンスキー作曲「ヘルヴィムの歌」の天国的な調べが流れ、第三部の信者のための聖体礼儀(約92分)が始まった。聖変化の瞬間、鐘塔の鐘が打ち鳴らされ、聖歌隊によって感謝の歌「主や、爾(なんじ)を崇め歌い」が流れた。この時、会衆は一斉に伏拝(土下座のような姿勢)。聖変化での伏拝を目撃したのは、今回が初めてだ。感謝の歌が終わると、再び起立の姿勢に戻る。その後、生神女(しょうしんじょ。聖母マリアのこと)を讃美する「常に福(さいわい)にして」が歌われた。

福音朗読は、イエスが盲人を癒された場面(マタイ9・27-35)。北原史門神父は「この奇跡は身体的な意味に留まりません。目が見える人は心の目が閉ざされ、救いを求めないことになりがち。まずそれを認め、悔い改めから始めましょう」と話された。この日は最後にお祝い事があった。80歳を迎えた司祭2名、及び長らく教会に奉仕してきた信徒を労うためである。贈り物のイコンを掲げたダニイル府主教は「アクシオス!」と唱え、聖歌隊もそれを三唱。喜びの歌「幾年(いくとせ)も」が続いた。


府主教庁前のダニイル府主教(左)
(府主教の白いベール付の帽子は「クロブーク」という)

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「ギリシャ正教」 高橋保行著(講談社学術文庫・1980年)
・「神さまの国へ ~聖体礼儀について」(日本ハリストス正教会教団 全国宣教委員会・2009年)
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続・東方正教会の徹夜祷

2013年07月31日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

7月27日(土)、正教会の東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)で徹夜祷(主日前晩祷)に参祷した。主日や祭日の前夜に行われる徹夜祷(晩祷)とは、時課の晩課・早課・一時課を組み合わせ、翌日の聖体礼儀に備える奉神礼のこと。今月13日に続き、私にとって正教会の晩祷は2回目。聖堂内は照明が消え、献燈台の蝋燭の火だけが輝く神秘的な世界となった。ランパード(燈明)に照らされたイコンに、やや愁いを含んだ表情の生神女(しょうしんじょ。聖母のこと)が浮かび上がっている。

「君や祝讃せよ」。午後6時、徹夜祷の開始を告げる輔祭(助祭)の高誦と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。晩課の冒頭で歌う「首誦聖詠(起端の聖詠。歌詞は詩編104に基づく)」が流れると、聖堂内を香炉で清める全堂炉儀が行われた。乳香の特徴的な香りが漂う。大連祷の後に歌う「カフィズマ」は「坐誦経」とも呼ばれる。正教会の祈りの基本姿勢は起立だが、この歌の後は座ることを許されたので、「坐誦経」という名称になった。「アリルイヤ(アレルヤ)」の声が響き渡る。

「生神女讃詞」が歌われた後、第二部の早課となる。ここでも連祷と誦経(しょうけい)が繰り返されたが、早課の中心は福音経の読みである。この日は外国人司祭が(ロシア語で?)誦読された。その後、信徒たちはカトリックの拝領行列のように並び、台上に置かれた福音経とイコンに接吻、司祭から祝福を受けた。突然、大きな雷鳴が轟いた。ちょうど聖堂内は蝋燭だけが灯っていたが(停電に非ず)、モイセイ(モーセ)が十戒を授かったシナイ山もかくや、と思われる徹夜祷になった。


暮れなずむ空と大聖堂
“ 我等日の没(い)りに至り晩(くれ)の光を見て・・・ ”

<付記>
前回と同じく、この日も私は徹夜祷の式順を見失い、早課の途中(福音後のカノン辺り)で「迷子」になってしまった。機会があれば、入口受付の聖堂奉仕会の方々にお尋ねしてみよう。なお、この日の徹夜祷は約1時間55分を要した(午後8時頃に終了。実際に「徹夜」はしません)。

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「ギリシャ正教」 高橋保行著(講談社学術文庫・1980年)
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