しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 Ⅱサムエル23章 <三勇士>

2020-06-24 | Ⅱサムエル記

「こう言った。『主よ。そんなことをするなど、私には絶対できません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか。』彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士は、そのようなことまでしたのである。」(Ⅱサムエル23:17新改訳)

喉が渇いたダビデのために、三勇士がいのちがけで水を汲んで来たとき、ダビデが言った言葉である。私は「いのちをかけて行って来た人たちの血」とのみことばを読むと、イエス・キリストの十字架をどうしても思ってしまう。▼思えば私たちが手にしている神のことば=聖書も、1ページごとに御子の血潮が注がれている書である。ただ印刷された文字が並んでいると考えてはならない、永遠の犠牲としてご自身をささげたひとり子のいのちから成る本なのだ。▼さらに、何千年にわたって、各時代の信仰者たちが、文字通り自分たちの全存在をかけて守り伝えたもの、彼らの涙、汗、労苦が全ページに染み渡る。その一言一句を調べ、意味を追求し、後代に伝えようと自らをささげている多数の人たちが今も存在する。思えば聖書は神の永遠の愛の結晶、同時にそれに答える信仰者たちの愛と献身の結晶でもある。これを大切にせずして何を大切にするか。▼「たえなるいのちのみことばあり、そのうるわしさはたぐいあらじ、いのちに満ち、まことに富む、聖書はたえなるいのちのふみ、聖書はくすしきいのちのふみ。みことば頼りにゆるしを得よ、みことば受け入れ、安きを得よ、ほかにあらじこの御救い、聖書はたえなるいのちのふみ、聖書はくすしきいのちのふみ。」(インマヌエル讃美歌390)