しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 Ⅰテモテ5章 <本当のやもめ>

2019-10-25 | Ⅰテモテ

黄花「やもめの中の本当のやもめを大事にしなさい。」(Ⅰテモテ5:3新改訳)

当時の教会は、身寄りのないやもめたちに経済的支援を行っており、そのために登録制度が設けられていた。いわば現在の生活保護のようなものだったと思われる。ここでパウロは「本当のやもめ」とそうでない者を区別しなさいというが、敬虔で信仰深い生き方をしないのに、援助を当てにするやもめたちもいたのであろう。現代社会とよく似ている。▼私たちがすぐ思い浮かべるのは、エルサレムにいたアンナだ。夫に死別し、八十四歳になっても「宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた」(ルカ2:37同)と記されており、「身寄りのない本当のやもめは、望みを神に置いて、夜昼、絶えず神に願いと祈りをささげています」(Ⅰテモテ5:5同)とパウロが記したそのままの晩年を過ごしていた。このような人こそ、教会が助けるにふさわしい聖徒である。▼もうひとり忘れられないのは、レプタ2枚のやもめだ。「イエスは目を上げて、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れているのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨を二枚投げ入れるのを見て、こう言われた。『まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、だれよりも多くを投げ入れました。あの人たちはみな、あり余る中から献金として投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っていた生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。』」(ルカ21:1~4同)▼主の目は神の御目であり、何もかも見通しておられた。レプタ銅貨2枚が彼女の全財産であることを知っておられたのだ。そしてただ神を信頼し、その助けを心から当てにして、文字通り財の全てを投げ入れたことを知っておられたのであった。私たちは献金するとき、その姿勢がすべて天にいます神の御視界に入っているという事実を、厳粛さと平安に満ちて受け取るべきである。神を大切にする人は、必ず、神に大切にされる。だから何歳になっても神の国と神の義を第一に求め、主を心から愛し、最後まで信仰生涯を走り抜かせていただこう。