しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <エルサレムの娘たちよ>

2024-06-30 | みことば静想
「エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい。なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来るのですから。そのとき、人々は山々に向かって『私たちに向かって「私たちの上に崩れ落ちよ」と言い、丘に向かって「私たちをおおえ」』と言い始めます。生木にこのようなことが行われるなら、枯れ木には、いったい何が起こるでしょうか。」(ルカ23:28~31新改訳)

ムチで打たれ、肉が裂け、血にまみれた背中、いばらのトゲから出て顔を滴り落ちる血の筋、よろめきながら歩くイエスの後ろ姿に大勢の女性たちが泣きながらついて行く。だが主イエスはふり返り、わたしのために泣かなくていい、娘たちよ、自分と子どもたちのために泣きなさい、と言われた。▼主の目には大患難時代、エルサレムに世界の軍隊が押し寄せ、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵巻(ぢごくえまき)となってくり広げられる殺戮(さつりく)の光景が映っていたにちがいない。「世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです」(マタイ24:21同)と弟子たちに語られた主のおことばが実現する日がそれである。ゴルゴタに向かう主イエスの御口から出た言葉は、じつは私たち現代人にも向けられたメッセージであることに、何人の人が気づいているだろう。▼このとき、キリストは全人類が犯した罪に対する神の怒りとのろいを一身に負い、十字架で死のうとしておられた。その苦痛、ゲヘナに焼かれるのに等しい苦しみを味わう神の子羊の胸中を思い見なければならない。▼だが、主はそれさえも忘れるほどの苦難がエルサレムに襲いかかることを悲しんでおられた、というしか表現の言葉がないのである。まさに古今未曾有(ここんみぞう)の苦難、人類史上、後にも先にもない苦しみのとき、それがエルサレムに下る審判の日である。▼人々よ、神の日がそこまで来ていることに目を開きなさい。あなたの永遠の運命が定まるとき、それに対する備えの時間が残りわずかになっていることを。