しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <ほめたたえよ、ほめたたえよ>

2022-03-10 | 詩篇

「ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で 主をほめたたえよ。」(詩篇148:1新改訳)

本篇を味わっていると、神をほめたたえる声がさながら竜巻または旋風のように天地を駆け巡り、渦潮のように、あるときは激浪のように万物を震わせ、その振動が心の底まで伝わって来る。▼ここでは1~6節が天にある被造物への呼びかけ、7~14節が地にある被造物への呼びかけである。ほめたたえよ、ほめたたえよ、ほめたたえよ、と記者は天の御使いたちはもちろん、あらゆる被造物に呼びかけ、命じる。小さな人間が、感動のあまり、もろもろの天とその中に存在するすべてにハレルヤを叫び、命じるとは何という光景であろう。▼神の前では身分や上下の違い、生物、無生物の区別など意味をもたない。天地宇宙、過去現在未来も意味がない。おおよそ考えられる存在、ありとあらゆる個体、事象は主をほめたたえなければならない。それが存在している理由だからだ。人よ、自己の小さなことに悩む愚かさをやめよ、天地万有の大合唱に身を投ぜよ。

「獣よ すべての家畜よ。這うものよ 翼のある鳥よ。地の王たちよ すべての国民よ。君主たちよ 地をさばくすべての者たちよ。・・・主の御名をほめたたえよ。」(10~13)▼モーセ律法では、地上の生物や国民も汚れたものとそうでないものに分けられた(レビ記)。が、ここではその区別が消えていて、全被造物が主の御名をほめたたえよ、と命じられている。それはイエス・キリストの出現により、完全なあがないが成就したときのことを歌っているからだ。パウロもそのことを記す。「その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」(エペソ1:9,10同)▼すでに十字架により、御子の血潮によって神と被造物の和解が成り、大団円のときが迫って来た。その中心にいますのは神のこひつじ・キリストと、そのからだであるはなよめである。私たちはその宴(うたげ)に新婦として招かれた。その心備えができているであろうか。若い男、若い女、年老いた者、幼い者から選ばれた私たちは、今すでに主の御名をほめたたえ、主の御名だけをあがめる生活に入っているか。来るべきときに備えて。