しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <コルネリウス一家の救い>

2023-11-17 | 使徒の働き
「そしてイエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。」(使徒10:42新改訳)

ペテロはローマ人コルネリウスにはじめてイエス・キリストを宣(の)べ伝えた。そして彼の一家は異邦人として最初に聖霊を受ける、という大変な恵みにあずかった。ここはその顛末(てんまつ)を記した貴重な章である。▼ペテロが見せられたまぼろしにあった「あらゆる四つ足の動物、地を這(は)うもの、空の鳥」(12)はユダヤ人から見た異邦人の象徴的姿(しょうちょうてきすがた)であった。つまり非ユダヤ人は、人間でないどころか、見るのも触れるのも忌まわしく、吐(は)き気をもよおす存在でしかないのである。長年、神の選民として過ごしてきたイスラエル民族の心に形成された優越感(ゆうえつかん)の壁は、厚さと高さと固さにおいて想像を絶するものであった。▼しかしイエス・キリストが出現したことによって、この壁が打ち壊(こわ)され、あらゆる民族が完全に同じ価値をもつ者として救われる時代が到来した。その出発点が本章である。▼今日、世界では絶え間ない民族紛争と戦争が続いており、お互いのあいだにある差別、敵意はすさまじいものである。これらがすべてなくなるのは、キリストが地上に再臨し、世界の王としてエルサレムに着座されたときであろう。「みなキリスト・イエスにあって一つ」とのみことばが文字通り成就するのはそのときだからである。その人の内面に本質的、霊的に「十字架が立つ」以外に、真の愛による平等はなくならない。外側からヒューマニズム的法律により、平等が定められても、人間の心の差別はなくならない。キリストの再臨が待たれる理由はそこにある。▼いずれにせよ、イエス・キリストの福音が出現したとき、それは時間の問題になったのである。