しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <心の直ぐな人々>

2022-01-31 | 詩篇

「主よ 善良な人々や心の直ぐな人々に いつくしみを施してください。」(詩篇125:4新改訳)

善良な人々や心の直ぐな人々とは、救われて新しく生まれ変わり、御霊とともに歩む者を指している。▼すべての人は罪を犯し、神の義に届かない状態にあるから、本質的には善良でも正直でもありえない。しかし主の救いにあずかれば、「キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました」(Ⅰコリ1:30同)という状態になるので、はじめて善良で素直な性質を宿すことができるのである。▼イエス・キリストは御霊により信仰者の内に宿られるので、救われて御聖霊の内住を体験した人が、真に善良な人だといえる。その意味で御霊と共に歩む生涯ほど幸せなものはない。彼には毎日天から御使いが派遣され、山々がエルサレムを囲むように(本篇2節)保護されるので、どのように厳しく困難な事態になっても平安と喜びで過ごすことができる。「主に信頼する人々はシオンの山のようだ」(本篇1節)とは、それを象徴的にあらわしたものといえよう。▼ペテロはヘロデ王によって牢に入れられ、死刑の判決を受けた(使徒12章)。だが全き平安のうちに熟睡していた。そして御使いによって奇蹟的に救い出されたのだった。同じ主が今も私たちと共におられるとはなんという感謝であろう。

私は今、三方を山々に囲まれた静かな町に住ませていただいている。南のほうだけが平野として開け、海に面していて、そこに注ぐ川がゆったりと流れている。といっても河口までは12、3キロほどあるのだが・・・。その山々は高くても300メートルほどで険しくなく、実に穏やかな風景だ。▼冬、春、夏、秋と山はそれぞれの色調を帯び、きれいで味わい深く、見飽きることがない。ちょうどそのように、天の父は私たちにいつくしみのまなざしを注ぎ、その命を受けた御使いたちが教会の回りを山々のように囲んで、いつも保護していてくれる。信仰の目にはそのことが信じられるのである。クリスチャンほど幸せで安心な人々はいないと思う。なぜなら青空を仰ぐとき、そこに天の宝座や天使たちの存在を意識し、山々をながめて創造主をほめたたえる気持ちが生じる、そういう毎日を送ることができるからである。▼かつて二千年以上も前、都上りの歌を編んだ人々も同じ霊性だったのであろう。だから詩篇を味わっていると、あたかもその人たちと肩を組んで賛美しながらエルサレムに向かっているような気持ちになる。もちろん、やがて天に行ったときは実際に光の中で彼らと一緒になり、大賛美、大礼拝を献げるのである。