しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <主よ、ダビデの子よ>

2023-02-11 | マタイ
「群衆は彼らを黙らせようとたしなめたが、彼らはますます、『主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください』と叫んだ。」(マタイ20:31新改訳)

これは私たちが主に祈り求める時、どうあらねばならないかを教える箇所(かしょ)である。二人の目の見えない人は、イエスが通られると聞き、「あわれんでください!」と叫び続けた。誰が黙らせようとしても、二人はやめることなく叫び続けたのである。もちろん必死(ひっし)だったし、どこにおられるのかよくわからないのだから、声の大きさだけが頼りであった。それであたりかまわず大声で叫んだわけである。▼主は、私たちが神に祈るときは、このような熱心さが必要だと言われる。あの三つのパンを求めた人の話し(ルカ11:5~10)、不義なる裁判官(さいばんかん)とやもめの訴え(ルカ18:1~8)などがその好例であろう。こと祈りに関しては、私たちは神の前にどれだけ熱心であつかましくあっても、過ぎることはないと主は言われた。いや、むしろ、どこまでもあきらめず、神に近づく態度こそ、信仰の世界にあっては神を喜ばせるものである。「バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」(マタイ11:12同)