中野笑理子のブログ

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有り難くも煩わしい

2018年01月23日 | 日記

親戚は慶事と法事だけでいい。

そんな事を思いつつある、今日この頃。
母の入院を隠すわけではないけれど、大々的に喧伝するものでもないので、本当は親戚へはあまり知らせたくはなかったのです。
けれど電話がかかってきて、母は元気なのか、元気ならば電話に出せと言われては、本当のことを言うより他はなく。
すると当たり前だけれども病院はどこなのかと聞かれ、付き添いのいない間に見舞いにやって来て。
認知症ではなく普通の精神状態ならば、母も喜んだかもしれないけれど、お見舞いに来てくれたことさえ覚えていないというより、わかっていない状態なのです。

心配してくれるのは、有難いと思っていますよ。
けれども病院について、治療法について、他にもあれこれと言われてましても困るのであります。

親しき中にも礼儀あり、じっと我慢して大人しくハイハイと聞いておりますと立ち入ったことまで、もーッ、うるさいッ!
生暖かい目で見守ってくれるだけで、いいんです。
何か出来ることがあったら言ってね、ありがとう、それだけでいいんです。
それをね、私の1日のスケジュールや付き添いに割ける時間のことやら問いただして、不充分な点をあげられましても、働きながらで精一杯なんです。

やんわり断ると、お節介なことを言って悪かったわね、に始まって良さげな病院があれば探すとか、頼んでませんし。
口も金も出さないでくれるのが、何より有難いのです。
出来れば電話も手短に、済ませて欲しいのです。
仕事して病院にも通ってると思うからと言って、夜遅くそして朝早くから長々電話やLINEを入れないで欲しい。
家に帰るともう消耗しきって、対応するのもしんどいのです。
どうかどうか、ほっといて下さい。
そんな事を言いたくなってしまう、親戚からの連絡。

入院する前から何度言っても母に直接連絡をして、訪問する日を約束していた親戚。
母は電話を切ったら電話があったことさえ覚えていませんから、当然私の耳にも入りませんし、その事で前もって連絡して訪ねたのに誰もいないと私に文句を言うならば、直接私に連絡をして欲しいと何度言っても母に電話をしていた親戚。

その頃からアラートはたってたんですけどね、もう今後は決して何も言うまい、と心に誓うのでありました。