中野笑理子のブログ

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他人の空似

2019年01月31日 | 日記
今日の「5時に夢中!」のコメンテーターは、岩井志麻子先生と新潮社出版部長の中瀬ゆかりさんのピンチヒッターでなんと、平山夢明先生が!
毎週録画して見ておりますが、たまに平山先生が出演されるのです。
平山先生とお会いしたことは一度もないのですが、いつも何故かどこかで会ったような気がしていました。

何故なんだろう、身近に似た人もいないのにと思ってよくよく考えてみますと、アッと思い出しました。
それは、たまに食べに行くお好み焼き屋さんのご主人でした。
ご主人の顔を見ていつも、どこかで会ったような ……と思ったのですが、ずっと謎だったのでした。

ちょっととぼけたようで優しい目の平山先生のお顔にお好み焼き屋のご主人の顔が重なって、完全に一致しました。
ジグソーパズルの最後のピースがピッタリはまったように嬉しかった、今日の「5時に夢中!」なのでした。

うどんランチ

2019年01月30日 | 日記
今週は月曜からずっと、お昼は鍋焼うどんを食べております。
月曜日はお餅入り鍋焼うどん、昨日は粕汁仕立ての石狩風鍋焼きうどん、そして今日はアサリとキムチの鍋焼うどんでした。

蓋を取ると火山のマグマのように、地獄谷のように、グツグツと煮え立っている熱々の鍋焼うどん。
ふうふう言いながら食べていると冷えきった体がポカポカしてきて、食べ終わる頃にはうっすら汗ばむほど温もってきます。

今日は来るお客さんが皆、鍋焼うどんを注文するのでコンロの数が足りずに3人組のおじさんのひとりは他の定食を注文する羽目になり、「ほなじゃんけんして負けた奴が定食な」と言って即座に却下されていました。

そんな大人気の鍋焼うどん、今日も食堂の中は各テーブルから立ち上る湯気でいっぱいなのでした。

ビタミン補給

2019年01月29日 | 日記
風邪対策にみかんと金柑を毎朝食べていますが、夏の暑さと台風の影響なのか今年のみかんは甘いものが少なく、しかも例年に比べて少しお高い気がします。
小粒のみかんが好きなのですが、売っているものはLサイズが多く、あってもMサイズで小粒はなかなか見当たりません。
少し前までは駅前にトラックでみかんを売りに来ている人を見かけたのですが、そんなみかん売りの人も見なくなってしまいました。

ビタミン補給にはみかんと金柑だと思っていましたが、調べてみると金柑はなんと15位、みかんはベスト20にも入っていませんでした。
身近な柑橘類のトップは11位のネーブルオレンジ、1位はアセロラ、柑橘類よりもキウイフルーツやイチゴの方が上位でした。

そんな今日、電車を降りてバス停に向かっていると、向こうから来た小粒のみかんをいっぱいに詰めた透明なビニール袋を手にしたお嬢さんとすれ違い、思わず「どこで買ったの?」と聞きたい衝動にかられました。
近くのお店を覗きましたが、袋いっぱいの小粒みかんはどこにも売っておらず、あのお嬢さんはどこであれを手に入れたのだろうとバスの中でも小粒みかんが頭から離れないのでありました。

最後の挨拶

2019年01月28日 | 日記
母が元気だった頃から夫と3人でお墓参りの度に、よく行っていたお店がありました。
春と秋のお彼岸、そしてお盆と最低でも年に3度、新開地にあるそのお店は甲子園からは少し遠いけれど、何かにつけてよく行っていました。
去年母が車椅子生活になって認知症が進んでからは、夫と二人揃って出かけることが難しくなり最後に行ったのはもう半年以上前でしたが、お店のお父さんもお母さんもお元気で母のことを心配して聞いてくれ、「たまにはふたりで息抜きせなあかんよ」と言って、新しく近くにできた温泉のパンフレットを見せてくれたのでした。
そして店を出る時も「頑張り過ぎんようにね」と言ってくれて、「また息抜きしに食べに来ますね」と笑って挨拶して帰った、あの日。
まさか、あれが最後の挨拶になるとは思いもしませんでした。

定休日でもないのにシャッターが下りていて、「長い間ありがとうございました」という閉店のお知らせの貼り紙の前で呆然と立ち尽くしました。
お隣の洋服屋さんに聞くと、お店は昨年の11月に突然閉められ、そのお母さんは今月5日にお亡くなりになっていたのでした。
娘さんが手伝いに来られていて、家族で50年近く続けられていた、いつ行って何を食べても美味しく、心落ち着く楽しいお店でした。

その日は大阪で用事があり、用事を終えたらお昼もとうに過ぎていて、お腹も空いていたので、どこか近くの適当なお店で食事をしようかと思ったのですが、次はいつふたりで外出できるかわからないので少し遠いけれど大阪から新開地まで足を伸ばしたのでした。
そして知った思わぬ閉店。
もしかしたらお母さんが、「もう私達ここにはいないよ」と教えてくれたのかもしれません。

「またね」「さようなら」
そんな挨拶を毎日しているけれど、その挨拶がまさか本当に最後になってしまうなんて殆ど気づかずに過ごしています。
またわかったところでどうすることもできないし、いつまでもあり続けるものなんてこの世にはないこともわかっているけれど、やっぱり別れは寂しいものです。

お母さんのご冥福をお祈り致します。

足を運ぶこと

2019年01月27日 | 日記
大阪の書店で行われた本の刊行トークイベントに行ってきました。
実家と会社と自宅の往復ばかりで大阪へも神戸にもなかなか出掛けることが出来ない毎日ですが、日曜お昼間の数時間、なんとか行くことが出来ました。
トークイベントは大盛況で立ち見の人も多く、始まるとあっという間の1時間でしたが、トークの後に著書にサインをもらって帰ってきました。

出版不況についての質問で、最近の本を読まない人が増えたということは、人が本に助けを求めなくなったからではないか、という答えが印象に残りました。
何かにつけて本を読み、悩みや悲しみから救われている人間もいるとは思うのですが、今は何でもネットですぐに調べてわかった気になってしまう人も多いのでしょう。
けれどネットですぐに手に入る情報は、その人だけでなく誰でも簡単に見ることができて知り得る情報でしかない。

例えばネットで本やお芝居のあらすじや実際に読んだり見たりした人の感想を見るのと、自分自身がお金を払って本を読んだり劇場で生でお芝居を見るのは全く違うことだけれど、ネットで見ただけでわかったような気持ちになっている人が増えているのかもしれません。

実物に触れるというか、人でもモノでも自分で実際に足を運ばないとちゃんとわかり得ないものがある。
時間をやりくりして無理をしてでも、やっぱり外へ出て行かないといけないなぁと思った一日でありました。

ステキな本屋さんも知ることができました。