中野笑理子のブログ

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鴨葱

2018年11月30日 | 日記
昼休みに行く食堂のメニューはお弁当と定食の2通りで、どちらも日替わり。
お弁当は1種類、定食はメイン3種のうちからひとつを選びます。

なので毎日必ずある定番メニューというものがありません。
例えばカレーもニンニクと生姜のすりおろしから始めて仕込むので、お昼を食べに行った時に香りで「明日はカレーがあるな」とわかります。

このところ定食3種の中のひとつに必ず鍋焼うどんが登場するようになりましたが、もちろん毎日同じ鍋焼うどんではないのが嬉しいところ。
牡蠣の寄せ鍋風や海老天入り、キムチと豚肉など鍋焼うどんの具も日替わりです。

今日の鍋焼うどんは、鴨葱鍋焼うどんでした。
グツグツいっている土鍋の蓋を取ったら、ふわぁ~と広がるいい匂い。
その匂いだけで空きっ腹がさらにグゥ~と鳴って、急いで食べて火傷しそうになる熱いうどん。
ひきかけた風邪も治りそうな熱々の鴨と葱のおうどんを、汗をかきながら食べました。

冷めにくいというだけでなく土鍋に入った鍋焼きうどんというのは、普通の丼に入っている熱いうどんよりも特別な感じがして、昼からこんな贅沢をして良いのかしら、しかも鴨! という気分になります。
けれど鍋で煮ているのに、どうして鍋焼きというのかが謎であります。

温度差

2018年11月29日 | 日記
ようやく冬らしい寒い夜が来ました。
11月も明日で終わり、いよいよ年末シーズンの到来です。
そんな11月の終わりに気づいたこと、それは例年に比べてカレンダーの集まりが遅れている、ということであります。

いつもなら11月中旬頃から続々と届いていた来年のカレンダーや手帳の出足が、今年は今のところサッパリなのです。
来年は年号が変わるということも影響しているのかもしれませんが、ひょっとしてと思ったことがあります。

今年は地震と台風で大きな被害がありました。
その被害や損失の影響が、まだ尾を引いているように思えてなりません。
損害保険に入っていて金銭的な補償はあっても、損壊した建物や重機の修理や新調に必要な資材や人手の不足等がまだ多くあります。

大阪の万博誘致が決まりましたが、東京のオリンピック誘致決定後のような好景気を果たして期待できるのか。
個人の住宅でも、台風被害の修理がまだ完成していない家もまだ多くあります。
社会で働く人々の疲れを癒す自宅の修理が元通りになっていないということは、大きな問題であると思います。
ご飯を食べて、お風呂に入って、眠るという生きていく上での基本となる場が完全でなく休息を充分に取れないとしたら、好景気で需要があったとしても頑張れるのか、と思うのです。

人はどうしても目立つものに目がいってしまいがちだけれど、その元になる目立たないものを疎かにしては砂上の楼閣になってしまいます。
喉元過ぎればではないけれど、新しい災害や事件が次々と報道されていくなかで今年の地震や台風の被害がまだ残っているという事実を忘れたように、サァ万博だと言われても皆がそれに向かって一丸となれるものなのか。
経済的な温度差がさらに大きくなるのでは、と不安を禁じ得ないのでありました。

山茶花

2018年11月28日 | 日記
毎朝夕通る道の山茶花が咲き始めました。
椿かもしれないと思いましたが、葉っぱが小さく花びらが散るので山茶花だと思います。
椿の葉は山茶花よりも大きく、花は散らずにポトリと落ちるそうです。

今年は金木犀の花があっという間に散ってしまい、香りを楽しむ間もありませんでした。
山茶花は咲いてる花よりも蕾やほころびかけが多く、この先まだもう少し楽しませてくれるようです。

年明けを待ちきれず開けてしまった佐藤愛子さんの日めくりの今日のイラストも偶然にも山茶花でした。

永久のカレンダー

2018年11月27日 | 日記
30年近く使っていた腕時計が、止まってしまいました。
電池交換をすればまた動き出す、かどうかはわかりません。
というのも数年前にオーバーホールに出した時に型番が古く部品がもうないと言われた経緯があり、その時は違う型番の時計の部品でなんとかなったのですが、結構な修理代がかかりました。
電池交換も純正電池でなくてはダメでその都度メーカーに持ち込んでいましたが、今までの電池交換やオーバーホール代を計算したら、そこそこの腕時計が買えていたかもしれない金額です。

それでも使い続けていた理由は、亡くなった父に買ってもらった時計ということと、閏年や西向く侍の日付調整が要らないということからでした。
発売当時の広告コピーをはっきり覚えていませんが、確か「100年先まで調整要らずのカレンダー」という意味のことが書かれていたと思います。
その名もPERPETUAL CALENDAR、直訳すると永久のカレンダーです。

100年先まで日付調整が要らないということは、将来自分の子供や孫にも使ってもらえるかもしれない。
当時の私は独身で結婚の予定もなかったくせに、そんなことを思った記憶があります。
単純に100年間は使えるものだ、と思い込んでいたのでありました。
その間の電池交換やオーバーホールなんて、思いもつきませんでした。

それでも大切に使ってきた時計ではありますが、メーカーに持ち込む手間を思うとサテ、この先も使い続ける自信が揺らいできたのでありました。
絶妙のタイミングで、これまた何十年も前に自分で買った腕時計が出てきて、こっちはメーカーに持ち込まずとも時計店で電池交換ができ元気にチクタクと時を刻んでくれるので、カレンダーはついていませんが今はとりあえずその時計を使っているのですが。

電池交換だけで済めば大した金額はかかりませんが、もしも部品不良であればまた結構な修理代がかかってしまうことは必至。
さてどうしたものかと、かつての相棒を手に思案する夜でありました。

手紙を書く

2018年11月26日 | 日記
久しぶりに便箋にペンで手紙を書きました。
もっと早くに書くべきであったのに、義母の葬儀と母の入退院が重なり、あれよあれよという間にずいぶん経ってしまい、反省しきりであります。

そんなに急ぐ返信であればメールすればいいのに、と思う方もいるかもしれません。
けれど、メールやLINEなら簡単に発信できても、パソコンやスマホ画面で読む手紙と封筒で届く手紙は、同じ内容でも印象が全然違うんだな。

松任谷由実さんの曲で「青いエアメイル」という好きな歌があるのですが、その人の書いた文字を見て切なくなるなんて、メールでは味わえない感情だと思うのです。

新聞も本も紙媒体でなくなる日が来るかもしれないと言われたこともありましたが、手書きの手紙も紙の新聞も本もなくならないで欲しい、いやきっとなくならない、なくしちゃダメだ、と強く思うのでありました。