元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

秀吉にみる人心掌握術の極意・情と知で「人を動かす」=コミュニケ力・動機づけ・目標管理・企画力・競争

2023-09-18 14:50:42 | 職場・組織等

 社員教育の能力開発に対する「題材」=逸材の人物が秀吉!!<管理監督者研修>

 本棚を整理していたら社員研修時代の講師として、 自分が書いた文章がでてきました。現在放映されている「どうする家康」では、「欲望のかたまり」的な怪演、「秀吉」を俳優のムロツヨシさんが演じています。なぜ秀吉は天下を取り得たのか。この文では、脚色じみていて単純化していますが、彼がコミュニケーション力、動機づけ、目標管理・企画力の「人を動かす天才」であり、「情と知の管理」に優れていた点で、社員の能力開発の題材として、彼の話は良いネタになったのです。これは、今も変わらないと思われます。

1 秀吉は「人を動かす」天才                                              NHKの大河ドラマは97年は毛利元就です。96年は秀吉でした。※これらから97年の記述である事が分かる。

 実は、その前に、緒形拳さんが同じNHKの大河ドラマで、太閤記の主人公、秀吉をやっていらしゃいます。20年以上(記述当時の97年から起算しての話)の前の話です。※亡・緒形拳のはまり役だったのはご存じのとおり

 これほどまでに、秀吉がなぜ放送されるのか。農民から天下を取った天下取り、出世物語だけではない、一般には、現代にも通じる生き方をそこに見ることができるからではないかと思われます。

 としては、秀吉からは「人の管理、人を動かす天才」であったことから、人心掌握術「人を動かすノウハウ」をそこから学ぶことが出来るからではないかと思われます。

〇 を動かす天才であったことを示すこんな例があります。手柄をたてて、はじめて城持ち大名となった、すなわち信長の命を受け長浜城の城主になったときのこと。今まで木下藤吉郎と名乗っていましたが、信長が「せっかく城主になったのだから、もっと良い名前がいい。何がいい」といいました。先輩の大名に羽柴長秀と柴田勝家という方がいました。その先輩のいる前で、『尊敬する先輩方、羽柴様の「羽」と柴田様の「柴」を取って、「羽柴秀吉」と改めたいと思います。』とやったのだ。今まで、下っ端と思っていた秀吉が、自分と同じ城持ち大名になる、彼らにとって、これほど複雑な気持ちはありません。しかし、そういった複雑な気分のところで、ハッキリ言って面白くないーそこへ尊敬する先輩から名前をもらってと言われるとまんざら悪い気もしない。柴田さんとは最後まで対立してしまうのです(信長亡き後の後継者争い~賤ケ岳の戦い)が、その時、柴田さんは「同僚としてがんばろうや」と肩をたたいたといわれています。こんな人とのつながりをうまく、心の変化を敏感に感じ、気配りの勧めをやったのが秀吉さんです。

2 秀吉の「人を動かす」才能                                          〇 さて、秀吉の人を動かすポイントは、3つあります。                                〇 一つは、人間関係、コミュニケーションの天才であったことが挙げられます。秀吉がよくやったのが「ニコポン」です。ニコッと笑ってポンと肩をたたく。これは、人間関係をうまく保つことに役立つ、人間関係の潤滑油となる。とにかく、このニコポンに代表するように、人間関係、コミュニケに気を配ったというのが一点。

 2番目に、動機づけがうまかった。人を動かすためには、人をその気にさせなきゃ人は動きません。信長の指示したことを部下に伝えるとき、自分の言葉で伝えた。咀嚼して自分の言葉で伝えた。そしてなるほどと思わせ、その気にさせた。他の武将たちは信長は結論だけしか言わないので、その真意が分からずなかなか説明することができないが、秀吉は、信長の真意を理解し嚙み砕いてうまく説明・納得させ協力させた。(この例は、後で項を改めて「3」で説明)

〇 3番目に、秀吉は企画の天才であった。これは、人の掌握術からは若干外れるとは思いますが、なんで人をうまく動かしたかと聞かれるとこれをあげざるを得ません。人を動かすためには、そのやってもらう企画そのものが、人が納得できるものでないと、ひきつけるものがないと人は動きません。この点において、秀吉は天才的な企画の持ち主であった。                                                  

〇 ご存じだと思いますが、墨俣(すのまた)の一夜城の話、敵地に一夜のうちに城を建てたという話はご存じだと思います。まむしの斎藤道三の孫の龍興の時代 斎藤さんの土地に攻め入る、その足掛かりとして敵地に、川があってここまでは織田の領地、川の向こうが斎藤さんの領地、この斎藤さんの領地に一夜のうちに城を作ってしまった。これは、川の上流であらかじめ必要な形で木を切っておいて、今でいうプレハブ住宅の「ユニット」にして、組み立てがでるように木に組み込みをいれて、立てる直前までにしてから、それを筏にして上流から流す。川下の墨俣で取り上げて組み立て、一夜のうちに城を出現させた。城というよりは砦のようなものと思われるのだが・・・。プレハブの発想がなかった時代に、この想像力、企画力のすばらしさは天才です。この企画力があったからこそ、皆が力を合わせた、納得できるものがあって、成功に導いたといえるのではないでしょうか。

3 清州城の城普請                                                〇 そこで、秀吉の人を動かすのがうまかったという代表的な例として、清州城の城普請の例を挙げてみます。これも有名な話ですので、ご存じの方もいると思います。あるとき、台風で城の堀が壊れた。20日たっても堀の修理はできません。信長は気が短いのでなんでできないのかと普請奉行をしかりつける。それを聞いていた秀吉は、私なら3日で修理しましょうという。                                              

 これには、前準備がいった、自分で石を積んでみた。それでもって全体にかかる日数を計算してみた。3日で出来るという確信をもった。できない原因は、漫然と仕事をやっているからだと思った。10チームに班を編成して、10か所に作業を分割してそれぞれに責任を持たせて行わせた。分かり安く言えば、例えば、100メートルに亘って崩れているとすれば、そこに100人の作業員を投入するば・・・漫然と行っている限り、先が見えない、やった仕事の量が分からないとなる。しかし、これを10チーム(1チームは10人)に分けると、1チームの仕事量は、10メートルである。ここからそこまでと分かるのだ。目に見える仕事になるのだ。今でいう目標管理です、3日でやり終えるためには、一日の仕事はここまで終えなければならない。一日の目標が見えてきます。それによって、3日で完成させてしまった。これをみて、松下幸之助は事業部制の発祥であると言わしめている。チームを分割して目標管理をやる、事業部ごとに独立して目標管理をしていくという、事業部制の発生・由来をそこに見ていらっしゃいます。

 それともう一点は、みんなのためであるという動機付けをしている点です。解任された前の普請奉行が来て、「お前たちは、一生懸命やっているけれども、結局は秀吉の手柄になるだけだよ」と言います。これに対して秀吉は何と言ったか。秀吉はこう言います。「敵がいつ攻めてくるかも分からないのだ。このままでは、いっぺんにやられてしまう。負ければ影響は俺たちばかりではない。俺たち侍が負ければ、あんたたちの女房、子供もどんな目に遭うか分からない。結局はみんなのためなんだ。」と説明したのだ。これが動機付けけとなる。他人事と思っていたのが、自分たちのためだということになれば、がぜん人は動き出す。このように秀吉は、動機づけの天才であったのです。

 さらに加えて、秀吉は信長に約束を取り付けた上で、一番で目標を達成したチームには、褒美を取らせるようにしたのです。これは、競争技術の導入です。国鉄からJRにしたときには、地方ごとに企業を分割しました。同様に、秀吉は、10組のチームの親方を呼び集めて、その旨伝えたのです。そこで、各親方は一番を目指して競い合ったのです。これによって、仕事の漫然化を解消することが可能となったのです。

4、情の管理・知の管理                                                さて、作家の童門冬二さんが「情の管理・知の管理」の本の中で、夏目漱石の草枕の冒頭を引用して説明を加えていらっしゃいます。

 山道を登りながら考えた。・・知に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい。・・・・

 つまり、「情と知の管理」をうまく運用というか、使っていかないと人の世を生きていくのは難しいと言っています。この清州城の城普請の例は「知による管理」です。目標管理、納得できる説明など、これは知による管理です。しかし、それだけではありません。どの秀吉の例を取りましても、コミュニケーションの取り方が非常にうまかった。清州城普請においても、自分の家に作業員を招待し飲まして食わせたのです。それによって、コミュニケーションを図った。この人ならという気にさせたのです。人は知=理屈だけでは動きません。この人ならという、信頼感、一体感があって初めて人は動くのです。                                             

 この点で、秀吉は、情・智をうまくミックスさせて、人を動かしていった。童門冬二さんがいう情・知の管理をバランスよくミックスさせて、人を動かしていったのです。※                               

 皆様も、この秀吉の例から、人心掌握術を読み取り、活力ある職場、また明るい家庭に、よりよい人間関係を築いていただければありがたい。

〇 ご清聴ありがとうございます。

※ 企画・想像力もこの点で最も必要な能力であるが、これも突き詰めれば「知による管理」ではないか。

◎ この「秀吉」の記述は、97年当時のものです。多分、童門冬二氏の「情の管理・知の管理」からや他の同様の本からの引用等が多いものと考えられます。実は、その題材等は、自分でも今ではどこから持ってきたのか不明の部分が多く、ひとつ一つを検証することが不可能です。検証の上、ちゃんと載せなければならないところですが、それより、今の時代にも、これを出すことの意義があると考えました。童門冬二氏には、この点、お断りいたしておきます。改めてすみません。(他の作家さんのも一部はあるかもしれません。)               

                        

 


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