元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

経験・感情・思考を受け入れやすい言葉(小説・法話)として伝える<瀬戸内寂聴の功績>

2021-11-14 09:00:13 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 寂聴さんは言葉伝達の使命があるゆえに様々な体験を重ねたのでは!<愛した、書いた、祈った>

 瀬戸内寂聴さんの訃報に接して、今いろんな場面で彼女の功績について論じている。文学的素養もなく宗教家でもない私が述べるのは、はばかれるところであるが、人生の終盤に差し掛かり「人生の探究者」として、彼女の存在の意義について書いてみたい。

 瀬戸内さんを知ったのは、若いころ、人生や心の持ち様などについて、いろんな作家やエッセイストが書いた雑誌に寄稿されていたのを見た頃からであるように思う。驚いたのは、仏門に入り頭を丸め、現生とは隔絶するのかと思った時だった。しかし、そうではなく、小説家としてまた僧侶として、その後も精力的に活躍されたのはご存じのとおりである。

 仏門に入ったのも許されぬ恋からの脱却であるというのも驚いたが、それほどまでに様々な体験をしてきた方である。経験によって感情の起伏を覚え、そしてそこから考え・思考する。だれでも人生を生きる以上、多かれ少なかれ、この経験・感情・思考というのは必ずある。しかし、彼女の才能というか偉大さは、そこにとどまらずに、ことばとして書き、ことばとして伝えたことにある。いいかえると、小説にして書き、法話としてみんなに伝えたことではないだろうか。そして、皆とそれを共有して、共に泣き笑い寄り添うことにより、その共感により救われた方が、また幸福に満たされた方が数知れずいるはずである。平凡な私の人生に比べれば、彼女の場合は、何倍もいろんな体験があるように思う。それは、言葉の才能を持った瀬戸内寂聴であればこそ、彼女に与えらえた「使命」だったように思うのである。我々一般人は、言葉にすれば嘘くさくなるし、思ったこととはちょっと違うこともあり、うまく表現できないもどかしさを感じる。彼女の場合は、きわどい言葉であっても、何となく受け入れられる表現だったのである。

 人は社会の一般常識というもので縛られ、ルールに従うように強制される世の中である。若い時ほど情熱が多く、踏み外す人生もある。同じように人生を体験した瀬戸内さんだから、そして言葉の才能を持った彼女だから、伝えられる言葉があった。児童に日本各地を訪ねたかを問われ、答えはイエスで、実際にそこに行って「見て、触って、そして食べ物は食べなきゃおいしいかは分からない」といい、経験の大切さを伝えた。

 自分の体験をもとに、言葉で人への思いやり・人とのつながりを自然体で伝えるという、人への影響ははかり知れないものがあった。本当に「すてきな人」をなくしたように思う。ただ、今は、技術も進み、本や音声で彼女に会おうと思えばいつでもできる世の中になったので、その偉功を十分味わっていきたい。

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