元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

ドラマ「マイ・セカンド・アオハル」のドラマ設定<人生を変えたい>「過去の記憶をプラスに変換(斉藤一人)=心理学の潜在意識から有効」

2023-11-02 06:39:47 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 ユング心理学のトリックスター・シャドー・コンプレックスの概念は!!

このドラマの設定がふるっているのだ、だれでも一度は考えたことはないだろうか?                      

<主人公白玉佐弥子の語り>                                            〇 人生を変えたい                                                      〇 そんなことを思ったことが誰しも一度はあるのではないだろうか                             〇 少なくとも私はある                                                 〇 自分は何者にもなれると信じて疑わなかった10代                                  〇 自分は何者にもなれないことを思い知らされた20代                                  〇 そして自分の人生があらかた見渡せるようになった30代                               〇 だから私はヨシッ、17歳の私へ、あんた30歳過ぎて大学受験するんやで

<非正規社員の白玉佐弥子は労働契約の解除を申し渡され、仲のいい正規社員の根村眞子のおごりで酒を飲む>

〇私の人生こんなはずではなかったはずでは・・・(白玉佐弥子)                              ◎多かれ少なかれ 皆んなそんなふうに 思いながら生きているんだって (根村眞子)                         ◎いろんな「こんなはずじゃなかった」に折り合いをつけていくのが年をとるってことだからさ (根村眞子)

〇むかつくからホントのこと言うの やめてもらっていいですか。(白玉佐弥子)

  人生において、ほとんどの人が、あの時こうだったらと思う場面があると思う。このドラマの主人公白玉は、みそじになって大学進学を決意したのだ。まだまだ若い時期であれば、確かにその場面まで戻って再度やり直すことは出来る。

    しかし、我々高齢世代になると人生をやり直すとなると、老い先短い年齢から考えて、「ちょっと難しいわ」となる。ではどうするか。斎藤一人氏は、「自分さがしの旅」(著書)の中で、自分の過去を振り返って、その記憶の中にとどめてきたことを、ひとつ一つと「いいことに」変えてくことを提案している。一人氏は、中学卒業して社会人になった。彼曰く、中学出は、早く社会に出たので、高校出よりは早く社会を経験しており、その点で逆に優位だという。実際彼は「納税日本一」で有名になったし、著書の中で斎藤流の人生観を語り、多くの人に支持されるようになっている。一般的に常識的に「高校は卒業しなければ」とか「大学に行っていなければ」とかいうのは、それもあるだろうけど、彼に言わせれば、そういった考えは覆せるものだという。

 「すごい」と皆に言われたかったら、こういった「自分探しの旅」をしてきて、マイナスの記憶をプラスの記憶に引っくり返すことだというのだ。そう意味で、過去は変えられるのだ。高校中退した人は、高校中退の良さを自分なりに考える。高校の勉強は役に立たないと思ったからとか、中学卒業の一人さんよりは、高校の経験があるから得したとか、自分なりに納得することだというのだ。一人さんがよく言っている「方程式が出来ないと・・・」とか先生がいったとかいうが、それが必要な人を除いて、少なくとも一人さん自身は使ったことがないという。そんなものを持って自信を失っては、だめだというのだ。

 「記憶の中で黒を白にひっくり返さなければならない」=その理由は、心理学的に、正確に言えばユング心理学で説明できます。トリックスターということばがあります。人生や仕事が順風満帆な時に、突然、失敗するような、見えざる何物かの存在です。その見えざるトリックスターは、その人の無意識の中に潜んでいると考えられるのです。この失敗は、失敗というよりも無意識のうちに自分で呼び込んでいるのです。「こういった良いことは、ずーっと続くはずはない」と潜在意識の中で、考えていることがその原因で失敗してしまうと言います。

 また、ユングは、シャドー(影)という概念を持ち出します。シャドーとは、あなたも知らない「もう一人のあなた」のことです。子供のときからおとなしく育った人は、暴力的なことを「悪いこと」として、意識的に抑圧して、意識の底に沈めます。こうして、潜在意識の中に閉じ込められた、抑圧された部分がその人の「シャドー」となるのです。同僚のごますりが見過ごせないという人がいます。彼は子供のころから曲がったことが嫌いで、正直・誠実を基本として生きてきましたので、相手に媚びるようなことは無意識化に押し込められていたのです。これが「シャドー」の概念です。

 さらに、コンプレックスの概念もあります。鼻が低いとか足が短いという口に出して言えるものではなく、もっと自分の意識の中で弱点とは認めがたいがために、無意識の中に抑圧している複雑な感情のことのです。そのために、表向きには何ら影響がないようでも、こころの奥底では、それに囚われて何らかの現実の事象に影響を与える場合があるのです。このようにユング心理学では、意識の下にある潜在意識が根底にあって、それが頭をもたげて、意識はしてないんだけども顕在化して、現実の事実関係に影響を及ぼすというのが主たる主張です。

 だから、一人さんがいうように、過去の記憶をたどって、悪い記憶があれば、それを良い記憶に変えていくというのは、一理あるのです。

 最後に私の例で恐縮です。高校の頃、大学に進学の際に理科系の大学か、文科系なのか悩んだ時期がありました。今から考えると、ちょっとしたつまらない理由で文科系を選んだのです。当時、自分はどちらかというと理工系の人間です、今でも思っています。・・・が、理科系・文科系どちらかに片寄った人でもなかったようです。理工系の人間であると認識していた自分、ノーベル賞級の頭は持っていなかったのですが、それを選んだとしたら、それなりの見識をもって人生を歩んでいたように思います。そんなこんなで、今でも、なぜ理工系を選ばなかったのか、心に引っ掛かりがあったのです。

 文系の大学(経済学)を卒業したので、地方自治体の行政職に就職が可能となり、また第2の人生としては短い間でしたけど社労士活動を経験させていただきました。今になって思えば、こういった人生経験ができたのも、経済学を専攻したおかげだと思っています。やっと、この年になって初めて、あの高校の頃、文科系の大学を選んでたのも、正解だったのかと思う次第です。今になって、やっとその選択に自信が持てたようです。当時の頃では、思いついても、なかなか記憶をひっくりかえすのは難しかったと感じています。高齢化した今になって、やっと「良い記憶」として残るようになりました。

 よく考えれば、私の魂的には、前世において既に理系を選んでおり、この世においては文系を学ぶことを考えて、この世に生まれてきたのかもしれないということもあり得るのではと考えるようになったのです。

参考 ユング心理学入門 山根はるみ著 ごま書房

   自分さがしの旅 斎藤一人著 KKロングセラーズ

 


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