元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

ウマが合わない=相手のちょっとしたいやな態度・容姿・言葉等から始まる!<心理学的分析>

2015-10-19 16:57:27 | 職場・組織等
何かをきっかけにして「許せない」となるが、相手の価値観を変えることはできないだろう!!

 本当にウマ(馬)が合わない人っているんだなと思いました。高齢者どうしで、障害事件に発展したいたましい事件を耳にしました。聞けば ゲートボールクラブで1・2を争う腕の持ち主で、性格は真反対だったとか、世界観も違ったようですが、それなどがトラブルの基となり発展した結果、塩酸をかけられるという悲惨な結末になるとは、おどろきです。

 ウマが合う・合わないという何かしらこれといった決定的なものがないのに、なんとな~く嫌いになっている。人間関係はそんなものかも知れません。政治の世界でも、職場でも、たどれば派閥のボスどうしがウマが合わなかったとか、よく聞く話しです。あなたは、会社の中にいて、あなたとウマが合う(なんとなく好きな人)、合わない人(なんとなく嫌いな人)は必ずいるはずです。それが基で決定的な事件等が発生して、大嫌いになったとか、最初の話しの高齢者の傷害事件のように大きな事件を引き起こすことだってあり得ます。私も過去の反省の上に立って、これを書かせてもらっていますので、あまり大きいことは言えません。ウマが合わないとは、いったいなんでしょうか。

 「ウマが合う人、合わない人」(樺亘純著、PHP文庫)では、ウマが合わないという現象を次のように心理分析をしている。

 「あいつとは、どうもウマが合わない」 そう言う時、私たちは決してうれしそうではない。人を嫌いになると、自分が不快に感じるだけでなく、その相手も不快になり、周囲にもその不快感は伝染する。
 また、誰かを嫌いになることは、不快に感じるだけでなく、人間関係を狭めることである。その結果、日常生活や仕事に制約が加わり、一種の「苦手意識」や「弱み」を抱えることになる。よく考えてみれば、人を嫌いになるということは、だれの利益にもならないはず。なのに私たちは、しばしば人を嫌いになり、「イヤなやつ」「顔も見たくない」などと悪口を言い合う。
 その人を嫌いになったのは理由があるはずだ。態度がイヤだった、容姿がイヤだった、言葉がイヤだったなどなど、嫌いになる理由は、好きになる理由同様さまざまである。ある瞬間に得た印象によって、それ以上その相手に近づきたくない、接触したくない、あるいは攻撃したいという心理が生じ、これが「嫌い」という気持ちとして定着するのである。現時点以上に不快にならないように、あらかじめ行動を制約しようという心理が「嫌い」という感情のベースにあるのだ。こう考えると、「嫌い」という感情は、自分がそれ以上に不快に感じたり傷ついたりしないように、心を守る働きをもっていることも分かる。だからといって「嫌い」という感情を全面肯定するわけにはいかない。
(以上、前著からそのまま引用)

 まだウマが合わないだけの初期症状であればまだいい。それが発展して本当に嫌いになりそれは組織のスムーズな運営に支障が生じる。初めはちょっとしたイヤな感情が沸いたにすぎないだけであって、本当はお互い「情報を交換」すればいいと思う。本人たちも分かっているのに、意地の張り合いというかそれが続くとますますそこから踏み出せずに、ますます溝にはまってしまい、「ウマが合わない症候群」が発生するのである。職場であれば、いやーな雰囲気がただようことになる。こんな人同士を抱えている職場にとって、マイナスの作用の影響があることは間違いない。
 職場であれば、毎日顔をあわせているので、無理にでも付き合わなければならず、そうなれば時には感情が爆発して、あいつは許せないとなることもある。しかし、相手の性格や世界観を変えることは、自分以上にできないのである。当の本人は、相手が全面的に悪いと思っており、相手そのものが変わるべきであると考えているのであるが、相手も同様に考えているのであるから難しい。

(以上、ウマがあわないとは、自分の経験からも併せて、樺氏の心理学的視点から述べさせていただいた。次回からはその解決策があるのかどうかについて考えてみたいが、果たして解決策はあるのだろうか。⇒ウマが合う、合わないとは<その2>  )

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