元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

「人の役に立つ」「好きなことをやる」は人生の目的か手段か(朝ドラ・おかえりモネ)

2021-10-24 08:59:30 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 自分の人生を振り返ってこの2つの目的が達成されたとはいえないが大きな手段となったのでは!!

  朝ドラ「おかえりモネ」は、東北震災の影響を受けた人々の精神的面に焦点を当て、そこから立ち上がろうとするモネを中心をした人々の物語である。(※1)この「おかえりモネ」の中で底に流れるにテーマは、大きな意味では人生にとって、狭義には仕事面で、2つがあるように思う。一つには「好きなことをやること」もう一つは「人の役にたつ」ということである。どん底から這い上がろうとしている、幼友達のりょうちんにとっては、人の役に立つというのは、「きれいごと」そのものかもしれない。しかし、生活そのものがある程度うまくいってくると、この2つのテーマは、人にとってどうしても考えてしまうテーマかもしれない。いわゆる「自己実現」するためにはどうするかということである。
 (※1)朝ドラ「おかえりモネ」はついに最終週に入った2021年10月24日に書いています。

 東北大震災時にはモネの生まれた亀島には船しか運搬手段はない(今は橋が架かっている)が、この大震災時に亀島に戻れず気仙沼市の側から炎が出る亀島をみることになるモネ。震災時皆と一緒にいなかったということが記憶として残ったが、妹のミーちゃんには「お姉ちゃんは津波を見なかったもんね」とズバリいわれてしまう。そこで、モネにとっては、皆と一緒に寄り添いながら、「人の役に立つ」ということが人生をかけた目標となる。

 また、永浦家には、3代にわたって「言い伝え」がある。それは「好きなことをやりなさいね」ということばである。モネの母が、永浦水産(カキ養殖)を営む永浦家に嫁ぎ小学校の先生をやめようか迷ったとき、モネの祖母(モネの母にとっては義母)が言ったことばがそれであるという。それでモネが妹ミーちゃんと一緒にいるとき、モネの母が何度も、義母から言われたことを思い出しながら言って聞かせるのが、この言葉である。

 自分が70歳過ぎて、これらの言葉の意味を振り返るに、「人の役に立つ」は人間である限り、言葉に出すか出さないか、あるいは突き詰めて考えるに、意識していない場合も多いのであるが、常に行動の裏にあるものと思う。特に就職面接にときに「人の役に立つ」ということが、意識しているかいなかにかかわらず再現されるように思う。私は、親にすすめられて、地方公務員になり、そのため「人の役に立つ」ということが常に意識の中にあったように思う。しかし、ここからが問題となる部分であるが、当時、事務系の地方公務員の場合は、数年ごとに職場も職種みたいなものまで変わるといってもよい。人事のことをしていたら、次は税金を取り扱う、次は商工業の振興策を練るといったように、次々と変わっていく。この仕事は、「人の役に立つ」と思うような仕事に着いても、もうその頃は異動である。地方の消費生活センターは、悪質商法に騙され契約をどう解除するかなどを説いて回る仕事であったため、まさに「人の役に立つ」というのがぴったりの仕事だったように思うのだが、それも3年間。

 世の中、そうぴったしの仕事をしている人は少ない。むしろ、そう大上段に振りかざすのではなく、商業をやっているひとは、何かしら商品を通じて相手に喜んでもらえる場面があると思うし、製造業に携わっている人は、この自動車等を喜んで使ってもらえると考えて仕事をしていくのだと思う。その点では、役に立つという「自己実現」の方法は、どこにもあるのではないか。ただ、モネの場合は、震災を経験したことから、だれにでもある行動原理「役に立つ」の部分が強く意識されるようになったのではないかと思う。

 また「好きなこと」をするというのは、先ほどもいったが、私の場合、職業柄数年で異動のため、これだというようなことを見つけても次に異動せざるを得ないこと。その中でも、消費生活センターの仕事は「人の役に立つ」と同時に悪質な商法に騙せれないように説いて回るような「講師」が自分の天職(好きなこと)と思っていたが、それも3年間と言うのは先ほどお伝えしたとおり。

 よく考えてみたら、自分は高校卒業の頃、だれにも仕えない税理士・会計士のような「士業」にあこがれていたのを思い出し、60歳定年が近いときから、地方公務員の時にちょっとかじったことのある「労働基準法」に興味を覚え、より新しく有資格ともなった社労士への挑戦をした。そして、社労士合格が定年に間に合い、社労士を開業した。花が開いたとは言えないが、この中からひとつの「教示」を得た。士業がだれにも仕えないというのは嘘である。外から見ていればそうかもしれないが、そうではないことが分かった。私は人づきあいが下手であるが、仕事を取るためには、言い方は悪いが、ある程度のおべんちゃらは言わなければならないのである。これは苦痛である。誰にも仕えずというのは、ある程度は真実であるが、結局、人と付き合いネットワークを張り巡さなければ、うまく回っていかないというのも真実なのである。これは、どの職業もそうではないかと思い至ったのである。
 
 ある本で読んだことではあるが、仕事が合っているいないというのは、ちょっとの期間だけして判断するのは間違いで、一応の仕事の流れを把握してからそれがうまくこなせるようになってから、初めて判断することであり、その辛抱している間に、おもしろみは見つけるものであるという。その過程で必ずどこかに面白みはあるというのである。技量を学ぶ昔ながらの職人に特にいえるのではないか。これも一理ある。

 この「人の役に立つ」「好きなことをする」というのは、「おかえりモネ」の冒頭部分で述べたように作者が知ってか知らずかはともかくこのドラマの底辺を流れる土台であり、確かに、人生この2つが交わった点で生きていければ越したことはない。しかし、自分の人生を振り返り、そう思うようにいかないのが現実である。外から見ていて、あれが向いているかもしれないと思っても、中に入ればそうでないこともある。私の人生どこまで続くのかわからないけれど「この道は違うのかもしれない」と思いながら、この私の人生は終えていくのではないか。それでもいいのではないか、人生はうまくいかないことの方が多いと思う。次の山を越え、また次の山を越えること、そして・・という山を超えるのが、実は人生の「目的」ではないかと思うのである。小さな山、大きな山を越えながら進む、時には連続する山に疲れ果て、また大きな山に遭遇し横道にそれ、後ずさりすることもあるかもしれない、しかしそれでも人生は進む=時間は止まらない。それでもいいのでは。その苦しい経験を含めて、それらの経験を紡いでいくのが、誰でもないあなたのだけの唯一の貴重な「人生」。決して焦ってはならないと思う。
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