中江兆民は明治8年頃に勝海舟と12回会っています。中江兆民はフランス留学から帰ってきて一時外国語学校の校長をするのですが政府のやり方と合わず退職して元老院の書記官となります。勝海舟も明治政府の参議兼海軍卿を辞めると元老院議官になっています。職場が同じと言えば同じですが、年齢差や職位は全然違います。中江兆民はどうも明治政府のやり方に疑問を持ち、勝海舟に意見具申したり人の紹介を頼んだりしたようです。二人とも西洋列強の知識や技術に関心を持ち学びながらも思想的なところでは日本やアジアの考え方を大切にして守らなければならないと考えていたようです。ただたんに紹介であったのではなく話し合ううちに意気投合したように思われます。こういった出会いー人生は邂逅ーは大切ですね。いつの時代も人との出会いが大切です。
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