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渋沢栄一の徳川慶喜に対する評価

2021-05-31 21:55:33 | 日記
「慶喜公のご性格については敬慕にたえないのは、維新のときに大政奉還を立派に覚悟されたこと。そして自身が京都(朝廷)からのお召しによって参内しようとしたとき、部下たちが鳥羽伏見で戦端をひらいたため、錦旗に発砲したというので「朝敵」の名をとられたときも、いっさい弁解もせず、負け惜しみもいわずにすぐさま江戸へ帰って謹慎恭順をあらわされたことです。
 あのとき、そもそも公が自分のために弁解される気持であったならば、公には他意がなかったとしても、その下にいる者は何とか理窟をいう気になって、天下は乱たかもしれません。当時、公は世間から『徳川の家を潰しに入った』とか、『命を惜しむ』とかさまざまな悪評を受けられたのを一切かえりみず、何のいい訳もされなかったばかりか、今日に至ってもこのことについては何もいわれません。これは実にその人格の高いところで、私の敬慕にたえないところです」(「渋沢栄一自伝」より)

徳川慶喜の評価は人によって様々です。あだ名も「剛情公」であったり「二心殿」であったりいろいろありました。渋沢栄一にとって徳川慶喜は尊王攘夷運動で幕府から追われ京で一橋家に救われた恩義は大きいでしょう。人はその人物との関係性で評価は変わってくるものです。
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