華麗な写真の中心にいるのが天璋院篤姫ー大御台として江戸城大奥を統べる天璋院篤姫の写真です。一見艶やかに見えますが、その生涯は苦難の連続でした。幕末の武家社会で薩摩藩分家の姫として育ち本家の養女に、そして公家の養女となり22歳で徳川将軍家13代将軍家定の正室になりました。本来分家の娘が将軍の正室などありえない話ですが、時が幕末、混乱する時世の中で政の道具に扱われ、けっして好まれる存在ではありませんでした。嫁いだ先の家定も2年余りで亡くなり24歳で落飾して大奥大御台として天璋院となります。徳川幕府が傾きかけ討幕軍が迫り、何度か里へ帰る機会がありながらも帰らず、江戸城明け渡しの時は総責任者として大奥を閉じました。明治以降は賊軍となった徳川家の存続に奔走して徳川宗家16代家達の養育に尽力して家達が成人して近衛家から嫁を貰いその指南役もやりながら徳川家の奥を取り仕切り49歳でこの世を去りました。
与えられた場を逃げることなく前向きに生きた天璋院篤姫ーいつの時代もこのような人物が時代を支えているのです。
与えられた場を逃げることなく前向きに生きた天璋院篤姫ーいつの時代もこのような人物が時代を支えているのです。