「今まで信じていたものから裏切られるのは、心の羅針盤を失うようなものですが、しかし時間の経過とともに、悲嘆力は養われていくのです」(高木慶子氏「それでも人は生かされている」より)
被害にあった苦しみはとうてい当事者でしか分からないものだと思いますが、今までに様々な被害者の出会いの中から、いろいろのことを教えられ、力をもらったことさえあります。それは悲嘆力のようなものなのでしょうか。
被害にあった苦しみはとうてい当事者でしか分からないものだと思いますが、今までに様々な被害者の出会いの中から、いろいろのことを教えられ、力をもらったことさえあります。それは悲嘆力のようなものなのでしょうか。