to go somewhere, to be something

楽しいこと、好きなことをのんびりと書いていきます。
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2015年5月1日 長崎・五島旅行 3日目(その7 稲佐山)

2015年05月24日 21時02分22秒 | 旅行

ホテルで一休みした後、日本三大夜景を見に、稲佐山山頂に向かいます。

レンタカーで山頂に向かいます。途中からは建物なくなり、緑深い山の中を登っていきます。

 

山頂駐車場の入り口に到着しましたが、すでに数台が入場待ちの状態でした。この日は中腹の大駐車場からシャトルバスが出ているということなので、そちらに車を停めることにします。中腹駐車場もシャトルバスも無料です。

 

稲佐山山頂は、さすがに結構混雑していました。平日でこの混雑であれば、土日祝日はすごい混雑だと思います。

 

それでは、2015年5月1日の稲佐山からの夜景をご覧ください。

 

 まずは展望台下から15㎜単焦点レンズで。これだと遠すぎてきれいさが伝わらないですかね。

 

 

 月を入れてみました。

 

 

 

 ということで、35㎜レンズに変更します。

結構いい感じになりました。

 

 

 

展望台最上部に移動します。

 

 

 

 長崎港の入り口方面。コスタセレーナ号が出航していきます。

 

女神大橋。

 

 

長崎駅方面。

 

 

ところで、ほとんどの人が写真を撮影しており、ほぼ半数がスマホやタブレット、残り半分がデジタル一眼または一眼レフという感じですが、不思議と三脚を使用している人はほとんどいません。

夜景は三脚なしでは絶対にきれいに撮影できないと思うのですが。

確かに三脚を持って行ってセットするのは面倒だし、混雑しているときは邪魔にもなりますが、迷惑にならないように使用する分には問題ないと思うのですが。

 

ちなみに手持ちだとこんな感じです。

 

 

こちらは三脚使用。

 

 

この日は昼間はかなり暑買ったのですが、夜の稲佐山は気温も下がり、風も強いのでかなり冷え込みます。カーディガン+ウインドブレーカーでも寒いくらいでなので、夏でも上着持参をおすすめします。

 

 

ところで、撤収するため三脚をたたんでいると、こんなものを見つけました。

展望台の床に埋め込み敷きのライトがあるのですが、そのうちの一個だけがピンクのハートになっているのです。

 

展望台には大勢の人がいますが、他に気づく人はいません。

何かいいことがあるでしょうか。

 

 

                        <4日目に続く>

 

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2015年5月1日 長崎・五島旅行 3日目(その6 大野教会堂~長崎)

2015年05月23日 17時41分41秒 | 旅行

次に、大野教会堂に向かいます。

出津からは車で10分ほど北に行ったところにあります。

 国道から案内に従い細い道に入り、急な崖にへばりつくようなつづら折りの細い道路を登っていくと、大野教会堂の下に到着しました。

しかし、見た限り、近所に駐車場はありません。道も細く、路駐できそうなスペースもありません(最もほとんど車は通らなそうですが)。仕方ないので、教会堂に上る道の下の少し広いスペースに車を停め、大急ぎで見学することにします。

 

車を降りると、猫がいました。

 

猫は、導くように教会堂のほうに行きましたが、行ってみるとどこかに消えてしまっていました。不思議な猫です。

 

大野教会堂は、ジャングルのような森を切り開いた小さな広場に建っています。

 

 

 

 

 

 

これが、ド・ロ神父が考案したというドロ壁です。

自然石を土を混ぜた漆喰で固めたもので、自然石の色合いがきれいです。

 

 鍵がかかっているため、中には入れませんが、ガラス越しに見ることはできます。

 

それにしても、この場所、なんというか、陰気な感じがして、長くいたいとは思えませんでした。

鬱蒼とした森の中にあるのも理由でしょうが、整備されていないのも大きな要因だと思います。

世界遺産候補なのですから、駐車場も含めた周辺整備は急務だともいます。

 

 

 

これで外海地区の観光は終了、長崎市内に戻ります。

今日の宿は夕食がついていないため、途中で食べていくことにします。

長崎市内に戻る途中、新長崎漁港のそばにある、宝洋丸という回転寿司に立ち寄ります。車なので、長崎市内に入ると身動きとりにくくなりそうなので、郊外で食べていこうという考えです。

 

 

ここは、ガイドブックのものっていて、グルメ系サイトの評判も悪くないので期待していたのですが・・・。正直がっかりでした。ネタはだし昆布並の薄さで、しかもしなびています。漁港のそばにもかかわらず、地魚系の品ぞろえもほとんどなし。値段が安い以外にメリットが見当たりません。

満腹になる前に店を出てしまいました。値段は安かったですが。

 

 

 次に、隣にあるがんばランドへ。

ここは、産直市場+スーパーマーケットで、結構大きな施設です。

ちなみに、長崎の方言で、「頑張らないと」を「がんばらんば」といいますが、それをもじったネーミングと思われます。

昨年行われた長崎国体も「がんばらんば国体」という愛称がついていました。

 

ここで、夜食用にビール、ミネラルウォーター、パックの寿司を購入します。産直の寿司だけあって、パックの寿司は、正直言って先ほどの回転寿司よりもおいしかったです。 

 

 

 これで長崎市内に戻り、本日の宿に向かいます。本日の宿は、稲佐山の中腹にある「ルークプラザホテル」です。

 

 

稲佐山への道路は住宅の立て込んだ細い道で、しかもバスが頻繁に通るので気を遣います。

 

 

 

「ルークプラザホテル」はかなり格式の高いホテルのようで、建物も豪華で余裕のある造りです。その格式の高さゆえか、団体ツアー客や外国人はほとんどおらず、静かな雰囲気でゆっくりできました。

 

部屋は最上階、8階の禁煙ルームです。山側なので眺望はありませんが、かなり広いです。建物の古さはありますが、よく手入れされており気にはなりません。

 

 

8階エレベーターホールからの風景です。港側の部屋であれば、この景色を見ることができるわけです。

 

 

                         <その7に続く>

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2015年5月1日 長崎・五島旅行 3日目(その5 出津教会堂)

2015年05月22日 19時58分51秒 | 旅行

出津は潜伏キリシタンが存在した土地で、明治になってフランス人のマルク・マリー・ド・ロ神父がこの地に赴任し、出津教会堂を建設しました。

それだけではなく、当時は貧しかったこの地の産業振興、女性の自立に私財を投じて力を注ぎました。

現在、それらの施設が出津文化村として、見学できるようになっています。また、出津教会堂と関連施設として世界遺産候補にもなっています。

 

まずは、国道に近い、外海歴史民俗資料館の駐車場に車を停めます。

 

ここからは麺額ルートがしっかり整備されており、迷うことはありません。

 

崖沿いの整備された道を進みます。

 

 

しばらく進むと、漆喰で固めたおおきな瓦屋根の建物が現れます。

 

 

旧出津救助院です。

 

 

ここは、ド・ロ神父女性の自立支援のために建設した授産施設です。

内部は撮影禁止ですが、ガイドの方の説明を聞くことができ、いろいろと知ることができました。

ヨーロッパから取り寄せた機械を改造してかんころ餅を切る機械を作ったとか、ワイン貯蔵技術を応用した地下倉庫とか。

ここでは外国人向けのマカロニも生産されていたそうです。一方、日本人向けには素麺が製造されていたそうで、頭の高さの梁にはちいさい穴がたくさん開いていて、そこに棒をさして手延べしていたとのこと。

これが、先ほど道の駅で食べた、ドロさまそうめんの起源だそうです。

あとは、当時のレンガも一部残っていますが、当時は厚いレンガを焼く技術がなかったため、国産レンガは薄いとか、非常に勉強になります。

 

 

ちなみに、ド・ロ神父の実家は貴族で、日本に来るときには24万フランをポンと渡されたそうです(現在の価値で20億くらい)。その私財を出津のために投じたわけです。

 

出津に関してはあまり予備知識なくやってきましたが、ここに来るだけで相当の知識を得ることができます。

 

 

次は、出津教会堂に向かいます。

 

出津教会堂は、旧出津救助院からは少しはなれた高台にあります。

 

出津教会堂は、見学にあたり事前の予約が必要ということで、この日に予約をしておきました。長崎の教会群インフォメーションセンターのホームページから予約をすることができます。

 

ところが、行ってみると、どこにも受付らしき場所も人もいません。予約されていないのかと思って、長崎の教会群インフォメーションセンターに電話してみると、今日は担当の人が休み、入口の鍵は開いているのではいって見学してくださいとのこと。

これでは事前予約の意味がないようにも思いますが、団体客の集中防止や教会行事の時間帯を避けるという意味では効果があるのかもしれません。

 

しかし、この出津教会堂、なかなか精悍なフォルムをしています。

 

屋根が低いのは外海の強風に耐えるためとのことです。例えは適切ではないかもしれませんが、低くて幅の広い安定した形は、航空母艦を連想します。

 

入口には小学生の女の子が寝転んで遊んでいたりするのですが、電話の通り鍵はかかっていなかったので、中を見学させてもらいます。

 

内部も独特な造りで、天井は両端が丸くなった漆喰の平天井、まげわっぱの形といえばわかりやすいでしょうか。

 

この角度だと、城郭のようでもあります。

 

 

出津教会堂を見学した後、先ほど来た道を戻ります。

 

 

 

途中で見つけた不気味な光景。体液を吸収して動いているようで気持ち悪いですね。

 

次に訪れたのはド・ロ神父記念館。救助院の鰯網工場だったところです。

 

 

 ここは、ド・ロ神父が持ち込んだいろいろな道具類が展示されており、非常に興味深いです。

タップ切とか、簡単な医療器具とか、実際の作業に必要な道具が残されています。あとは、助産婦教育用の人体模型とか。

 当時の日本の、このような辺境の地に、個人の力でこれだけのものが入ってきていたことに驚かされます。この事実はもっと広く知られてもよいと思うのですが。

 

 

最後、外海歴史民俗資料館へ。ド・ロ神父記念館の入場券で見学することができます。ここは、まあ普通の資料館です。

 

思いのほか、非常に勉強になった出津文化村でした。

 

それにしても、ここまで、昨年九月も含め、多くの教会を訪問しましたが、共通しているのは迫害と潜伏の歴史です。

禁教による迫害を避けて二百数十年も潜伏したまま信仰を守り、明治になってからの激しい弾圧にも屈せず、自分の命をも惜しまず、解禁後は金銭的肉体的負担を厭わず教会を建設した人々。

なぜ人々はそこまでしてキリスト教を信仰するのか、非常に興味のあるところです。

 

 

 

                      <その6に続く>

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2015年5月1日 長崎・五島旅行 3日目(その4 長崎~道の駅 夕陽が丘そとめ)

2015年05月21日 19時56分37秒 | 旅行

長崎では再びレンタカーで移動します。

今回利用するオリックスレンタカーの営業所はJR長崎駅前にあるため、長崎港から徒歩でJR長崎駅まで向かいます。

しかし、長崎市内の歩道、小砂利風の舗装になっていたり、石畳風になっていたり、しかも隙間や段差が大きいところも多くあり、キャリーバッグでの移動が非常にしにくいです。段差に車輪をとられるたびにいちいち持ちあげなければなりません。

 

これでは、車いすや、買い物用のキャリーバッグにつかまって歩くお年寄りはかなり苦労するのではないでしょうか。

 

 

JR長崎駅前に到着。

 

 

ここは終着駅、頭端式のホームのため、改札から停車中の列車を見ることができます。

885系、白いかもめ停車中。787系の黒いかもめもあるので、さながらホームユニとビジユニといったところでしょうか。

 

 

 ホームが長いのは、その昔、東京、大阪からの優等列車が発着していたころの名残です。

 

東京駅発の寝台特急が華やかなりしころ、その先陣を切って出発したのが16:30発、栄光の列車番号1レ、長崎・佐世保行「さくら」でした。

 

 

 そして、長い間逢ってみたいと思っていた、キハ66系がごろごろしていました。

 

キハ66系、1974年に筑豊地区に投入された国鉄の気動車です。普通から急行までの運用を前提とした車両ですが、何よりの特徴は、当時の国鉄、いや日本の鉄道全体を見てもはるかに優れた、冷房付で両開二扉+転換クロスシートという座席配置です。当時の国鉄の急行でも4人掛けボックスシートが当たり前の時代、このシート配置は異色の存在でした。当時、転換クロスシート採用で特別料金なしで乗車できたのは、阪急6300系、京阪3000系、西鉄2000系くらいで、関東では皆無でした。

 

関東でこれに匹敵する特別料金不要の車両の登場は、1982年の京急2000系まで待たなければなりません。しかし、現在ではつめこみ優先となっており、後継車両は登場していません。

現在、JR九州では魅力的な車両が多く存在しますが、キハ66系はその原点、ともいえる車両です。筑豊地区電化に伴い、現在では全車この長崎地区に移動し、大村線を中心に運用されています。車齢すでに40年、いつまでも走り続けてほしいと思います。

 

ところで、長崎駅ビル「アミュプラザ」の裏手に回ると、留置線を間近で見ることができます。

 

 

 

 

キリがないので先に進みます。

オリックスレンタカー 長崎駅前店は、JR長崎駅前広場の北側の角にあるガソリンスタンドの中にあります。

手続きの後、車両を受領します。マツダのデミオでした。

 

 

ここから、外海をめざします。

まずは長崎市内のメインルート、国道206号を北上します。が、長崎市内、よそ者には非常に運転がしにくいです。

路線バスが多く、2~3台連なって運行されています。バス停は広くなっているところがほとんどですが、先頭のバスが停車しても後続のバスは道路上に残ったままで、流れが止まります。そして、道路中央には軌道があるため、右折車があるとこちらも流れが止まります。つまり、渋滞する要素が重なっているわけです。

 

道ノ尾を過ぎで左折するとようやく渋滞はなくなります。国道202号に入り、海沿いを進み「道の駅 夕陽が丘そとめ」に到着。

この道の駅、相撲灘を一望にする絶景の場所にあります。

 

 

はるかに五島の島影も見えます。

 

 

 

先ほど、上五島からの高速船から見えた建物です。

 

 

今日は昼食を食べていないので、ここで軽く食事をします。レストランのバイキングを食べてみたかったのですが、すでにオーダーストップの時間を過ぎているため、売店で購入することにしました。

 

 

 

ドロさまそうめん。やや太めで、あごだしのつゆとよく合います。

なぜドロさまなのかは後で分かることになります。

 

 

 そして、地元産の生ウニ。

甘くて、非常においしいです。この辺の甘めの醤油ともよく合います。

 

 

 

 食後のデザートは、長崎名産の伊木力みかんのシャーベット。

 

 

次は、この道の駅からも見ることができる、出津に向かいます。

 

                      <その5に続く>

 

 

 

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2015年5月1日 長崎・五島旅行 3日目(その3 鯛ノ浦~長崎港)

2015年05月20日 19時02分38秒 | 旅行

鯛ノ浦港は小さなターミナルですが、一応売店や簡単な食堂はあります。

 

ちなみに、ホテルマルゲリータでもここまでの送迎はあります。

 

 

この高速船は、人間だけではなく、いろいろな荷物も運んでいます。

長崎に行くらしい、上五島産岩がきの箱が積まれていました。これを食べてみたかったですが。

 

帰りの船も「ありかわ8号」です。往路と違い、約6割程度の乗客で三人掛けを二人で使用できたので余裕がありました。

 

 

鯛ノ浦港をはなれます。

 

 

鯛ノ浦の入り江を出ても、今日は海は穏やかでうねりもほとんどありません。

 

 

海流の関係か、帰りはそれほどエンジン全開という感じではなく、波しぶきもそれほど上がりません。波に乗って滑るような感じで高速船は進みます。

 

 

 

ひと眠りすると、もう西彼杵半島が大きく見えていました。

真ん中に見える建物は、「道の駅 夕陽が丘そとめ」と思われます。

 

 

 

稲佐山が見えてきました。長崎まではもうすぐです。

 

 

長崎港入口にある、神の島教会と岬の聖母像が見えると長崎港に入ります。

 

 

 

女神大橋の先には長崎市街が見えてきました。

 

 

ところで、この日は長崎に大型クルーズ客船が入港していました。

イタリアの「コスタセレーナ号」114,500tです。

 

 

 

三菱重工 長崎造船所のドックでは、修理中らしいLNG船と、建造中の大型客船が。

 

 

往路でも見かけた、九州商船の奈良尾行フェリー「万葉号」とすれ違います。さすがに長崎港はにぎやかです。

 

長崎港の桟橋に到着。

 

 

非常に蒸し暑いです。

 

コスタセレーナ号の巨大さが良くわかります。

 

 

 

                        <その4に続く>

 

 

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