to go somewhere, to be something

楽しいこと、好きなことをのんびりと書いていきます。
尚、当ブログにある文章、画像の無断転載はご遠慮いただいております。

2010年2月27日 鬼怒川・会津 その2(ねこ駅長 ばす)

2010年02月28日 21時57分11秒 | 旅行
会津田島で一息入れた後、会津鉄道の旅を再開です。

11時49分発会津若松行普通列車は、AT-501単行でした。






室内は、最近の車両らしいシンプルな作りです。







ボディペインティングの理由が車内に表示されていました。






1ボックスに1~2人程度の乗車で会津田島を出発します。半分は観光客といった感じでした。その走りは意外にも軽快です。ワンマン運転ではなく、使い込んだがま口型カバンを下げた初老の車掌さんが、こまめに車内を回ります。





また天気が悪くなりました。







塔のへつり駅は、静かな林の中にたたずむ小さな駅でした。枝に付着した水滴が凍ってきれいです。







湯野上温泉駅付近では、大川の渓谷を見ることができます。大川は会津盆地で只見川と合流し、最終的に阿賀野川となって日本海に注ぎます。
湯野上温泉駅で乗車した人からは、囲炉裏のにおいがしました。








芦ノ牧温泉駅で下車。終点会津若松まであと少しです。








さて、芦ノ牧温泉駅で降りたのは、当然、ねこ駅長「ばす」に会うためですが、今日はいるでしょうか?






待合室に巨大な毛玉発見、ではなく「ばす」です。






「ばす」は2009年時点で推定14歳とのことで、結構な高齢です。また、てっきりオスだと思っていたのですが、メスということでした。




貫禄充分の長毛。小さな駅舎の中は売店となっており、「ばす」グッズを売っています。








「ばす」はお休み中だったので、一旦駅を出ます。

芦ノ牧温泉駅は、元は国鉄の会津線というローカル線で、その時には上三寄という駅名でした。芦ノ牧温泉自体は大きな温泉地ですが、この駅からは車で10分程度かかる場所にあります。駅の近辺は集落がありますが、駅前には何もなく、客待ちのタクシーもいません。名前以外は芦ノ牧温泉とは関係のなさそうな静かな駅です。







そんな閑散とした駅前通りで、一か所だけ賑わっているところがありました。




牛乳屋食堂さんです。私はほとんどラーメンを食べないのでよく知らないのですが、相当の有名店のようで、各地のナンバーの車が次から次へとやってきます。店の前には交通整理の人までいました。でも、会津鉄道で来たのは我々だけでしたが。



せっかくなので、ラーメンを食べていくことに。ただ、折り返しの列車まで45分しかなく、20~30分待ちということで気をもみましたが、なんとか間に合いました。

味は、ラーメンの味を評するほどラーメン通ではないので詳しい説明はできませんが、あっさりしていて美味しかったです。






ラーメンを食べた後再び駅に戻ると、団体さんが到着していて、ばす駅長は仕事中でした。







この団体さん、この後湯野上温泉まで会津鉄道に乗車していきました。バスツアーでは有名な大手のツアーでしたが、会津鉄道の収入につながるプランが組まれていることは良いことだと思います。


また、ばす駅長目当てのツアーも実際あるそうで、グッズの売り上げも含め、会津鉄道にとってまさに招き猫といったところでしょう。



行く前には、やらせっぽくなっていないかということが気になっていたのですが、実際に行ってみるとそんなことはないように思われました(ばす本人がどう思っているかはわかりませんが)。

むしろ、ばす自身が自分の立場を理解しているように思いました。ねこもこのくらいの年齢になると人の考えを理解し空気を読めるようになるのかもしれません。






さて、そろそろ帰りの列車が来る時間です。反対側ホームに、交換待ちの会津若松行トロッコ列車が到着します。






真ん中のトロッコ車両は2月に運行を開始したばかりで、ばす駅長のペインティングとなっています。












今回、会津鉄道に乗って感じたのは、懸命に増収努力をしているということ。地方のローカル私鉄なので、経営は楽ではないと思いますが、その中でなんとか話題を作って、少しでも多くの人に乗ってもらいたい、そんな気持ちを感じました。






ばす駅長がお見送りにホームへ来ました。







会津鉄道の健闘と、ばす駅長の健康を願いながら、芦ノ牧温泉駅を後にしました。



(その3に続く)










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2010年2月27日 鬼怒川・会津 その1(キハ8500系)

2010年02月27日 23時52分12秒 | 旅行
と、いうわけで、ふと思い立ってキハ8500系に会いに行ってきました。


雨の降る中、北千住7時21分発の東武線快速でスタートします。

6050系は今では珍しい、2扉4人掛ボックスシートですが、最近のJRのなんちゃってクロスシートとは異なりとても座り心地が良いです。概して、一昔前の東武の車両は、シートの座り心地が良いですが、最近の車両は残念。

この日もスキー、登山、ゴルフ等の乗客ですべてのボックスがうまっていました。このような用途からして、4人掛が適しているのかもしれません。
あとは、区間快速はやめて終日快速運転にしてほしいですね。


関東平野を北上するうちに天気は回復し、男体山が見えてきました。







下今市で列車分割を見るのはお約束。






列車は会津田島行きですが、鬼怒川温泉駅で下車します。良い天気になりました。






鬼怒川温泉駅前です。昔はこんなやつはいなかったと思いますが・・・
後方の龍は、春節で来日する観光客目当ての飾り付けのようです。











そして、キハ8500系、AIZUマウントエクスプレス号。「北アルプス」には1度乗ったことがありますが、会津に来てからは初めてです。端正な姿は変わりません。
この車両目当てと思われる人たちも結構来ていました。









しかし、近くで見ると、汚れ放題で塗装もかなり劣化しており、悲惨な状態です。







元名鉄車両であることの証。昔のことは覚えていませんが、ほぼ原形をとどめているのではないでしょうか?








室内はこんな感じです。室内も痛みは激しいですが、クオリティの高さは健在でした。







シートです。最近の、理屈ばかりで結局座り心地のあまりよろしくないシートとは異なり、柔らかくストロークも深いです。ただ、場所によっては完全にへたってしまっていましたが。







これは元々北アルプスの山々を表していたのでしょう。







そして、この車両の最大の特徴は視界の広さ、それを演出するフロントビューと大きな窓。四隅に大きなRをつけた窓は、パノラマsuperなどにもみられた、この時期の名鉄車両の特徴です。










さて、AIZUマウントエクスプレス号は、2本の特急の接続を受け、立ち客もいる状態で鬼怒川温泉を出発します。温泉観光客が7割、列車目当てが2割、地元の人1割といった感じでしょうか。



走り始めると、カミンズ製エンジンは健在、ディーゼル車にありがちな出足のもたつきなどはなく、勾配もグイグイ、いやスイスイと登っていきます。新藤原~会津高原尾瀬口のこう配区間でも全くストレスは感じさせません。力を持て余している感じです。



車内では温泉客たちの酒盛りが始まっています。





鬼怒川温泉では雪もなく、天気も良くなり非常に暖かでしたが、湯西川温泉のあたりから急に雪深くなります。湯西川温泉で結構下車し、立ち客はいなくなりました。







会津との国境が近付くにつれ、天気も悪くなり、積雪も増えていきます。温泉客たちは絶好調です。







会津高原尾瀬口駅から、会津鉄道になり、この線最大の駅、会津田島で途中下車します。温泉客たちはすっかり出来上がっていました。この列車はJRに乗り入れ、土日は喜多方まで行きます。







会津田島には会津鉄道の車両基地があります。
キハ8500系は2編成あり、通常1編成のみ運用されるため、もう1編成はここにあるはずと思っていましたが、やはりありました。






この編成とは、後で思わぬ形で出会うことになるのですが、それは次回以降に。

(その2へ続く)

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2010年2月23日 東大寺法華堂

2010年02月23日 23時48分09秒 | 旅行
修復工事が始まるそうで。

http://www.todaiji.or.jp/contents/guidance/guidance5.html


東大寺法華堂(三月堂)は、国宝密度日本一だそうで、12体の国宝仏像を安置する上、建物自体も国宝です。不空羂索観音立像はもっとも好きな仏像の一つなのですが、数年前に始めて訪れた時は、驚きました。


薄暗く、狭く、古色蒼然とした堂内に無造作に置かれた仏像群は、言っちゃ悪いですが倉庫のようで、ちょっとかわいそうに思ったものでした。その時点で床板をはじめかなり劣化していたので、やっと修復かとも思いますが、建物や仏像の歴史から見れば数年は物の数ではないのでしょう。




いずれにしても、ある意味壮観な光景を見られるのもあとわずかです。
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2010年2月22日 飛騨高山の思い出

2010年02月22日 20時01分11秒 | 旅行
飛騨高山へは過去3回行ったことがありますが、そのうち2回が鉄道で、車で動くことの多い私にとって珍しい訪問先です。もっとも、安房トンネルとか北陸道がなければ車で行くことは考えられない場所ですが。


しかし、鉄道で行った2回とも、素直には行っていなかったりします。



1回目は、特急「北陸」で富山へ行き、そこから高山線の普通で高山へ入り、帰りは急行「たかやま」に併結の臨時「のりくら」で名古屋へ出て新幹線で帰ってくるルートでした。

富山でだいぶ待ち時間があり、その間に急行「能登」を見送ったので、「能登」でも良かったのでしょうが、多分、その時EF58+20系の特急自体が珍しかったので、そちらにしたものと思われます。

初めての寝台特急の印象はほとんど覚えておらず、水上で補機がついたのも、長岡での方転も覚えていないのですが、夜が明けると車窓に見えた日本海は印象に残っています。



「北陸」も「能登」も3月で廃止になります。











2回目は、職場の旅行で、スケジュールは旅行会社任せだったのですが、なぜか名古屋から特急「ワイドビューひだ」ではなく、新名古屋から「北アルプス」という行程でした。キハ8500系は、バブル期特有の豪華さと名鉄らしさを兼ね備え、とても快適だったことを覚えています。

その後、特急「北アルプス」は廃止され、キハ8500系は会津鉄道へ移籍しましたが、こちらも3月で引退とのことです。





結局飛騨高山とはあまり関係のない、懐古話でした。





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問答無用

2010年02月18日 23時26分12秒 | 芸能音楽の10
『八丁の 堀の中村 主水かな』 

                     虎  漫筆


藤田まことさんのご冥福をお祈りいたします。


藤田まことさんといえば、必殺の中村主水なわけです。
私が必殺を見ていたのは、前期の後半くらい、このころの必殺には、「救いようのない諦観」といった雰囲気を全体に醸し出しており、そこが魅力でした。
その後、メジャーになった必殺は、勧善懲悪物になってしまい、あまり面白いとは思わず、ほとんど見ていないのですが、このころは非常に面白く、金曜日の夜は8時にワールドプロレスリング、9時は風呂、10時は必殺が定番でした。



その中でも最高傑作と思っているのが、「新 必殺仕置人」、その1回目のサブタイトルが「問答無用」です。


仕置人から足を洗っていた中村主水が仕置の対象となります。問答=主水なわけです。しかし、念仏の鉄と再会し再び仕置人に復帰する-こんな話からから始まります。


放送回数は今では考えられない41回、そしてその最終回。

職業柄、ハッピーエンドにはならないわけですが、壮絶な最終回で、巳代松は捕えられ拷問を受けた挙句、生ける屍、鉄は単身敵地に乗り込むも腹を刺され手を焼かれてしまいます。そして、仕置を果たした後腹上死してしまいます。

そして、中村主水は、生き残ります。最高にかっこいい見せ場を作って。



「あんたの思った通りだよ、諸岡さん」


そして最後は、何事も無かったように袖の下にほくそ笑む主水のカットで終了。

今はDVDで見ることができるのが嬉しいところです。






またひとつ、昭和が過去になりました。










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