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一乗寺で、、、むしやしない

先日大原に行った帰りに寄った「一乗寺」。
一乗寺で欠かせないのは、書店巡りの聖地=「恵文社」
棚を眺めていると、個性的な棚つくりに時がたつのを忘れるほどですが、そうはいってもお腹は空くもの(笑)
ふと思いついて、恵文社から駅を挟んで 印刷工房「りてん堂」に行く手前にあるのが、いつか前を通った時に行列ができていた「648471.com」に行ってみました。
京言葉で「虫養い」と言えば「一時的に空腹を紛らすこと」ですが、その言葉どおりの食材に気を配った軽い焼き菓子やケーキのお店です。


いただいたのは、ワッフル型にお餅を置いて、牛肉の時雨煮やおじゃこをおいて こんがり焼いた「和モッフル」



デザートも豆乳を使ったバニラ・アイスに黄な粉&黒蜜 


恵文社詣で空いた小腹を押さえるのにぴったりでした 

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「大原問答」の勝林院

三千院のお庭を眺め、お昼まで時間があったので チョッと先まで足を延ばすと、律川を越えたところにあるのが、後鳥羽天皇と順徳天皇を祀る大原陵(おおはらのみささぎ)。
さらに「大原問答」で知られる勝林院に進む道の脇にチョコンとあるのが、熊谷直実腰掛石と鉈捨藪跡。

大原問答が行われた当時、法然が「念仏を唱えることで極楽往生ができる」と浄土教を広める一方で、「念仏停止を訴える過激な僧徒が仏罰と称して法然を襲撃するのではないか」と伝え聞いた弟子で、「板東一の剛の者」 と称された蓮生(俗名;熊谷直実 くまがい-なおざね)は、法衣の下に鎧を着込み 帯には鉈を忍ばせているのを見咎めた法然。
「帯に差しているものは何か」と尋ね、「僧形に不似合いのもの故、捨てよ」と命じて近くの藪に鉈を捨てさせた…と伝えられます。

勝林院は「声明」の根本道場として開かれた寺で、柱や梁などに立派な木彫が施されています。





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三千院

かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にある三千院

8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源をもち、のちに比叡山東麓の坂本に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に現在地に移ったとあり、平安時代末期の1148年(久安4年)作で国宝の「阿弥陀如来及両脇侍坐像」を奉る往生極楽院は、平安時代からこの地にあった阿弥陀堂で、三千院がこの地に移転してきたときに取り込まれたもので、今に知られる「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は1871年以降使われるようになったものだそうです。






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久しぶりの、、、大原

普段は事前にキッチリ計画を立てることが多いのですが、今回は最終日の予定以外は全くの「白紙」

前の晩に「坂本から比叡もいいし、昼食に難はあるけど、鞍馬温泉もいいなぁ…」などと相談はしたものの、何も決めずに 朝、駅前のバス停でちょうどいいバスがあって飛び乗ったのが大原行き。

随分前に行った記憶はありますが、ホント久しぶりの大原です。出町柳から高野川に沿った道を宝が池から八瀬に分かれると 山が迫ってきて洛中とは打って変わった山里の風情。 鯖街道の両側に名産の赤紫蘇の畑が広がります





壇ノ浦で安徳天皇と共に入水しつつも果たせず、剃髪し寂光院に身を寄せ寂しく暮らす建礼門院に献じた、貴人の実が身に着けられる紫色の食物が大層気に入り、「むらさきは漬け」と名付けそれが転じたと伝えられる「柴葉漬け」のお店が並んでします。



三千院の参道脇にはヤブ椿の実。


林の先に広がる山の向こうは奥比叡です


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