緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

生命といのち

2015年07月21日 | 医療

自分自身の最期は、
「生命の終わり」として捉えているなあと思います。

でも、家族や大切な人の最期は、
「いのち」として捉えている自分に気づきます。








最期の医療を決めていくプロセスの中で、
このことを意識していると、
それぞれの方の葛藤に近づく一歩になるように思います。




最期は延命はいらない、
自然がよいと決める自分自身と

一分でも、一秒でも生きていてほしい・・
簡単には決められないと思う家族。



家族の重荷は、
いのちの重さでもあります。


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10 コメント

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最近経験しました。 (yume)
2015-07-21 00:54:22
看護師です。
患者さんは、延命はいらないよとおっしゃったのですが、ご家族は、そうしようと言い切れず悩まれたことがありました。

いのちをどうとらえるか、立場が違うと、異なりますね。
ご家族が患者さんの気持ちを尊重できるまで、時間をかけることが大切だと思いました。

今回のものは、とても、タイムリーな内容でした。
ありがとうございました。
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Unknown (Unknown)
2015-07-22 12:12:05
せんせ、
大失敗しました。

うっかり不用意に病院の待合室で読んでしまい、
ポロポロ泣けてしました。

家族の思いは十分想像つきます。。。
心配かけたくない思いと、好きにさせてよという思いと、
これからどうバランスをとっていったらいいのでしょうね。
正解も模範回答もないのかもしれないですね。
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Unknown (ゆき)
2015-07-24 03:19:16
7年前、肺癌の母を看とりました。
母の最期も、家族の判断で、母の望んだ形とは違うものになりました。

ただ、母が一定の道標を差し示してくれていたことが、考えの出発点になりました。

母の思いを尊重するか
それでもなお、違う選択をするのか。

本人の意思を知っているのといないのでは、その覚悟に雲泥の差があるように思います。


願わくば、家族の揺れる思いを受け止める環境が整えられていますように。

そして、病気を前にしての選択ではなく、そういう話題を常日頃から語れる場と情報提供の場が数多く出来るようにと願います。
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先週の金曜日、父が逝きました。 (ぴょん)
2015-07-24 10:21:11
先週の金曜日、父が逝きました。

6月末に介護施設で、誤嚥性肺炎で発熱し、一旦、施設のドクターの処方の薬で熱が下がりましたが、7月4日に再度発熱し、施設近所の病院に救急搬送されました。

肺炎は治った物の、91歳の父は、嚥下が良くならず、「胃瘻に向けてお話をしましょう。」と言われましたが、91歳の父には胃瘻は、やめましょうと家族の意向を相談した2日後の17日の朝に逝ってしまいました。

逝ってしまう人の年齢と、その生き方、家族の死生観。。。

思い悩んだ数週間でした。。。

何人家族をみとっても、100点満点にはとても及びませんが、、

生きている家族は、その生きている時間をいかに懸命に生きるかで、こころの決着を徐々につけていくしかないですね。
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yumeさん (aruga)
2015-07-24 22:12:37
そうでしたか。
私たちの回りでも少なくない葛藤だと思いました。
最近の出来事をシェアしてくださり、ありがとうございました。
同じ方向を向いているような気持ちになれたことが嬉しかったです。
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Unknownさん (aruga)
2015-07-24 22:19:37
短い記事でしたのに、意をくんでくださり、ありがとうございました。

>心配かけたくない思いと、好きにさせてよという思いと、
これからどうバランスをとっていったらいいのでしょうね。
正解も模範回答もないのかもしれないですね。

基本姿勢は、患者さん自身の気持ちを最優先するということです。そこに、ご家族の気持ちがついていかない、葛藤があるとき、患者さんがバランスを取ろうとするというより、話し合い、語り合い、そのプロセスで困難なことを乗り越えようとご家族をもサポートしていきます。
難しいのは、そうした話し合いが患者さんがお元気な時ではなく、直面したときに初めて話し合いが始まったり、その時は、患者さんの意向をたずねることができなくなっていたりすることが少なくないという現実です。
答えを得ること以上に、この対話のプロセスが大切だと実感しています。
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ゆきさん (aruga)
2015-07-24 22:23:50
お母様の意思を知るということは、本当に宝物のようなことだったと思います。コアをもっていれば、枝葉が少し違っていても、それはお母様の意思を生かしていることにつながると思います。

家族も第2の患者さんという言葉もあります。
患者さんと言われると、ちょっと・・違う・・と思われる方もいらっしゃいますが、それくらい負荷が大きいということなのだと思います。

ご指摘の通り、普段から自分の死生観を伝えたり、大切にしていることを話し合ったりすることは、本当に大切なことです。
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ぴょんさん (aruga)
2015-07-24 22:30:20
コメント寄せてくださり、本当にありがとうございます。

ご主人のこと、ぴょんさんご自身のこと、お父様のこと・・今まで、ブログ繋がりでしかないにも関わらず、ぴょんさんの心の深いところまで、ここにコメント頂いたり、ブログにおじゃましたりして垣間見させていただいてきたように思います。

さらりとお書きになられていますが、この何年もの間、ぴょんさんが経験されたことが、ぴょんさんの今を作ってきたのだろうなあと思いながら読ませて頂きました。

こころの決着・・簡単なことではないですが、少しずつ、そうしたふところが深く、柔らかくできあがっていくのかなあと思いました。

お父様、お幸せだなあと思いました・・
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Unknown (Unknown)
2015-07-25 00:42:43
すみません 名前を入力し忘れました

皆さん ご両親を看取ってらっしゃるのですね。

私の場合は、、
逆縁の不幸ということになるのでしょうか。最大の親不孝ですね。
しかも家族間での会話をずっと避けてきていましたし。。。

家族を自分の看護の犠牲にしたくない。
お金は、私の治療費より今後も生き続ける家族のために使って欲しい。
後々、私のために後悔を残してほしくない。
でもきっと家族はそうは思わないのでしょうね

これまで本音で話し合ったことのない家族で、
どう本音を出しあえるようにしたらよいのやら、、、
しかも、自分を犠牲にする生き方しか知らない人たちなので、なかなか言い出せないです。

願わくは、お互いに後悔の残らないくらいに十分な
コミュニケーションのとれる時間が残されていますことを。。。

。。。どうやっても、親不孝にかわりはないですね。。
どう表現したらよいのでしょうか?
"残念"? "悲しい"?
前向きに表現するにはどう表現すればよいのでしょうか?

長文失礼しました。
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Unknownさん (aruga)
2015-07-26 23:39:48
ご家族との関係性は、歴史があるものでしょうから、変えなくては。。と思っても、中々変えられないものと思います。
患者さんのお立場でいらっしゃるようでしたら、ご自身の将来のことを、ご自身の言葉で残しておかれれば、ご家族のご負担を軽くできるでしょうし、そうできなかったとしても、ご自身が、それはそれでよいと思うことができればよいように思います。

一貫していることは、患者さんが決めたことが優先されること、そこにご家族なりの葛藤はあること、その葛藤を乗り越えるには対話が大切ですが、葛藤がないそれはそれでよいこと、最後は自分自身がこれでよいのだと肯定的にとらえられることでしょうか・・ 

わかりつらくて、ごめんなさい。中々、行間を含めながら書き切れませんが・・
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