徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

二番目の夢(第一話 新たなる闇)

2005-07-06 15:26:57 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 こんがり焼けたトーストとはるが入れてくれたコーヒーで久々にゆったりとした休日の朝を迎えていた修の前を、若向きのTシャツとジーンズ姿の一左が横切った。

 「どちらへ…?」

修が訊くと一左はニタッと笑ってサッシの外を指差した。
似たような格好をした雅人が待っている。プレイヤーから流れるお気に入りの曲にノリノリの様子で。

 「また新しいゲームですか? あいつ今月はピンチだとか言ってたのに…。」

 「なに私が買うんだよ。よさげなのが出たんだ。」

 一左は楽しそうに言った。修は仕方ないなあとでも言いたげに肩をすくめた。
 このところ祖父と孫は対戦ゲームにはまっていて、新作と聞けばいそいそと肩を並べて出かけていく。
 微笑ましいといえば微笑ましいのだが、何しろ浦島太郎のような一左にとっては世の中すべてのものが目新しいものばかりで、雅人のお勧め品は必ず手に入れようとする。
 雅人は決して人にものをねだるようなことはしないが、祖父が自分から買うと言い出せば断る理由はないわけで。

 「ま…体に堪えない程度にしてくださいよ…。」

 分かってるよと言いたげに一左は修に手を振って出て行った。

 ずっと眠っていたせいか彼の精神年齢は実年齢よりはるかに若く順応性も高い。
しかも不思議なことに身体の方も10年は若返っている。
多少変な遊び癖はついたものの、元気でいてくれるのは修にとっては有難いことだと思っている。


 
 二人が出かけてしまうと透が肩を叩きながら食卓に現れた。

 「おはよう。修さん。…はるさん。僕もコーヒー頂戴。」

奥から顔を覗かせたはるにそう頼んで透は食卓の椅子に腰掛けた。

 「おはよう。おまえは一緒に出かけないの?」 

疲れたように首を回している透に修は訊いた。

 「なんか頭痛くて…。風邪かなあ…。あれ…笙子さんは? 」

 「笙子はただいまタイに出張中。」

 はるが新しく点てなおしたコーヒーを持ってきた。
修のカップに二杯目を注いでから透のカップを満たした。

 「出張って…ひとりで?まさかまた…?」

 「そう…そのまさか。半分は史朗ちゃんとデートだね。」

愉快そうに修は笑った。『笑い事じゃないだろ!』と透は思った。

 「ねえ…言いたくないけどさ。史朗ちゃんて人とはもう何年越しでしょう?
一ヶ月と持たない他の連中とは違うよ。気をつけたほうがいい。」

 「そうだね。アルバイト時代からだからかれこれ6年くらいにはなるかな。
いい子だよ。頭もいいし仕事もできる。性格も問題ない。」

 『そういう問題じゃない!』と言いたかったが、修には通じそうもないので諦めた。
余計に頭が痛くなったような気がした。

 「本当に風邪かな…?ちょっと前から僕も時々痛むんだ。
たいした痛みじゃないけど…。気にはなってる。」

 修が言った。風邪の症状とは少し違うようなので最初は疲れだろうと考えていた。
しかし、それほど疲れていないときにもその小さな痛みは起こり、まるで信号のように断続的に続く。病的なものというよりは合図のようにも感じられて気にかけてはいた。

 「しばらく様子をみようと思ってたんだ。透。何か症状が変わったりしたら教えてくれ。」

修にそう言われて透は分かったというように頷いた。




 数日後、タイから帰国した笙子からマンションの方へ寄って欲しいと連絡が入った。
『皆へのお土産一杯買ってきたんだけど、今週はそっちへ帰れそうにないから…。』
そんな内容だった。

 玄関の扉を開けると修のではない男の靴が揃え置かれてあった。
史朗が来ているということが修には分かった。

 修が真っ直ぐキッチンへ入っていくと笙子がダイニングとリビングを隔てる衝立の向こうから現れた。
 
 「修。ごめんね。忙しいのに呼び出しちゃって。こっち来て。史朗ちゃんが来てるの。
修に話があるんだって。食事しながら聞いてあげて。」

 「僕に?史朗ちゃんが?」

 修は言われるままリビングの方へ向かった。見慣れているはずの史朗を見た瞬間、例の頭痛が修を襲った。修はちょっとこめかみを指で押さえながら史朗のいるテーブルについた。

 「お邪魔してます。」

史朗は修の顔を見ると子供のようににこっと笑ってと頭を下げた。
修は史朗の口元にあからさまな跡を見つけたがあえて何も言わなかった。
笙子が修のために夕食を温めて運んできた。

 「なに?話があるんだって?」

 「はい…そうなんですけど…。」

 「修。先に食事を済ませて。ちょっと長くなりそうなの。」

笙子の用意してくれた料理はいつもながらいい出来ではあったが、ますます酷くなる頭痛で修はあまり食が進まなかった。

 「どうしたの?頭痛いの?」

 「うん。少しね…。」

笙子が軽く額に触れた。少し痛みが和らいだ。
 
 「笙子。悪いけど…下げてくれる…。」
 
 「いいわよ。無理しないで。」

笙子が料理を持っていってしまうと、修は再び史朗に訊ねた。

 「さて…史朗ちゃん。話してくれる?」

 「はい…実はこれを読んで頂きたいんです。僕の父宛に届いた手紙なんですが…。」

 史朗は少し厚めの封書を取り出した。 
修は封書を受け取ると手紙を取り出して読み始めた。

 手紙には季節の挨拶から始まって長い無沙汰についての詫び、現在の故郷の様子などが大まかに書かれてあり、さらには一族の長が亡くなって問題が生じているというようなことがしたためられていた。そして、文面の最後に『鬼』と彫られた印が押されてあった。

 「これを書いたのは君の大叔父さんのようだけど…。」

 「らしいのですが…。御存知のように僕の父母はすでに亡くなっていまして…親戚もいないはずなんです。
僕としては何がどうなっているのか。さっぱりで…。」

 史朗は本当に困っているようだった。

 「ただ、ひとりだけ親の代からの知り合いがいます。その人も天涯孤独のはずですが、どうも同じような手紙を受け取ったらしくて…。」

 「それがね…。修。玲子の彼氏なのよ。」

 笙子が言った。

 「玲ちゃんの?」

 修は少し意外に感じた。玲子というのは笙子の妹で良妻賢母型の典型的なお嬢さまである。
笙子とは対照的でおよそ何のトラブルとも縁がなさそうに思えた。

 「両親も兄も二人のことには反対してるんだけどその理由が妙なのよ。
藤宮は鬼の一族とは縁を結ばないというの。」

 『鬼の一族…。』修は記憶をたどった。しかし、頭痛のためか霧がかかったように何も思い出せなかった。

 「…ごめん…すぐには思い出せない…。
史朗ちゃん…この文面ではただの近況報告のようだけど、もし、何かまた連絡が来るようだったら教えてもらえるかな? 僕の方でもできるだけ調べてみるから。」

 「はい。御面倒おかけして申しわけありません。」

史朗はまた頭を下げた。

 「じゃあ、僕はこれで…。修さん…有難うございました。」

史朗は立ち上がると、一礼して出て行こうとした。

 「史朗ちゃん…?」

修がティッシュを差し出した。史朗が訝しげな顔をすると、修は拳を自分の口にあて噴き出しそうになりながら言った。

 「口紅…。」

史朗が真っ赤になった。

 


次回へ
 

一番目の夢(第四十五話 最終回 新たなる事件への序章)

2005-07-05 12:05:20 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 本儀式が終わって数ヶ月、二人も後継者を送り出したというのに修は相変わらず会社と紫峰家の間で忙しい日々を送っていた。

 あの日修は、うろたえる長老衆を前にして追い討ちをかけるような事はしなかったし、無論、過ぎたことを執拗に咎めたりはしなかった。伝授する者として簡単に相伝の経過と終了を報告しただけだった。
 それなのに、一左と次郎左が過去の罪を恥じて突然引退を宣言し、透と雅人が継承者として真に独り立ちするまでの間、修を暫定的に宗主の座に据えることを提唱したのだ。
勿論、本人を除いては誰にも意義などあろうはずもなくそのまま決定されてしまった。

 『まあ、軽く見積もってもあの二人なら一人前になるのには十年以上はかかるな。』
黒田がそう言って笑った。

 修にとっては笑い事ではない。所詮、儀式は儀式。透や修が完全に奥儀を使いこなせるようになるまでには本当にそれくらいはかかりそうだ。
 奥儀に限ったことではない。そのほかの儀式やしきたり、行事についても二人はまだほとんど何も知らない。修がやってきたことを見ていて少しずつ覚えてはいるものの、修がいなければ何も先へ進まない。独り立ちなんてまだ先の先か…。

 取り合えずいまは何をするにしても修がひとりで背負い込まなくてもよくなったので、それだけでも随分と助かっている。すべてを熟知している本物の祖父があれこれと手を貸してくれる。孫たちの修練にも積極的に付き合ってくれる。これまでとは大違いだ。

 一左はおおらかで逞しく、おまけに人懐っこい性格で茶目っ気もある。長い年月の悪夢を補って余りあるかのように、あっさりと孫たちとの生活に馴染んで余生を楽しんでいる。雅人が仕込んだ対戦ゲームもなかなかの腕前らしい。

 何よりもこの祖父は孫たちに対して愛情深く、すでにいい大人である修には少々くすぐったいほどだ。紫峰家の雰囲気がずっと解放的で明るくなった。



 周りが平穏無事だと闇喰いのソラとしてはご馳走を獲るためにちょくちょく町へ出掛けなければならなくなって、面倒くささから時々笙子のマンションに居候を決め込む。
 入れ替わり立ち代り新しい恋人なる彼女もしくは彼が現れることに最初は戸惑ったソラだが、この頃慣れたせいか全く気にしなくなった。

 『そりゃ何人も出入りするけど実際鍵持ってるのは修だけだぜ。』
黒田のところで透、雅人、悟、晃の4人組を相手に時々そんなおしゃべりをして帰っていく。

 もともと黒田のオフィスは黒田個人専用の仕事場で他のスタッフは別の階で働いているのだが、いまでは一族の若手の集う場所になってしまい、実際の仕事場をとうとうスタッフのいる階に移した。仕事のない時に若い連中の話を聞くのもちょっとした楽しみではある。



 三左の問題が解決されて一族の気持ちが落ち着いてくると、身内の関心は修と笙子のことに集中し始めた。
 笙子が次郎左や輝郷に対して、あれは三左の目を欺くための作戦ですとはっきり打ち明けたにもかかわらず誰も納得しなかった。

 「よほど結婚させたいのね。ちょっと遊びが過ぎたかしら…。」

笙子はコーヒーに浮かんだクリームをかき回しながら溜息をついた。

 「ごめん。迷惑…だよな?」

修は申しわけなさそうに訊ねた。

 「そんなことないけど…。私たちそれこそ3歳くらいから一緒にいるんだもの。
お互い空気みたいなもんだし…いまさらね…。」

笙子はもう一度溜息をついた。 
 
 「空気でもいいけどな…僕は…。」

修がぽつりと呟いた。笙子は驚いたように修を見た。

 「いまと同じで…逢いたい時に逢って…話したいことを話して…そんな形でいいよ。
君が他の人を好きになっても…僕は別に構わない…いまだってそうだろ?
だけど君と僕なら本当に必要なときにはお互いに助け合っていけると思うんだ…。」

修は笙子を見つめた。

 「私…浮気するわよ…。」

 「うん…。」

 「完全な別居結婚になるわ…。」

 「だって君…浮気するなら…その方が便利だと思うけど…?」

 修が笑いながら言った。
『本当にそれで成り立つなら…世にも変わった夫婦だわ』と笙子は思った。



 三十年近く紫峰家に覆い被さっていた闇が晴れ、祖父と孫たちの新しい生活が始まった。
気が向いたときに帰ってくる嫁さんと相変わらず親戚の小父さんを名乗っている透の親父さん。
まあ平凡と言えるかどうかは別として、彼らも含めてそれなりに楽しい家庭を作っていけばいい。
 
 修はこれで二度と自分が『樹』として戦うことはないだろうと思った。
なぜなら『樹』としての自分の力は紫峰を護り支える為だけのもので、世間とは全く無縁のものと考えていたからだ。
 紫峰一族が外部の者に対してその力を発揮したのははるか昔のことで、それももう世間からはとうに忘れ去られている。

 そう…忘れ去られているはずだった。

 『樹』というその名前。

 紫峰本家から遠くはなれた小さな村で陰惨な事件が起こるまでは…。





一番目の夢 完了
二番目の夢へ







一番目の夢(第四十四話 『 生 』 )

2005-07-04 10:30:00 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 『再び使われることのないように祈る。』
修がそう言った時、笙子と黒田の脳裏に『今だ!』と言う号令が響いた。

 炎の触手が修の身体に届くその瞬間に確かに修の身体は脱皮した。黒田は急ぎ修を胎児化させ、笙子は自分の子宮へ胎児を導いた。

 その間、不思議なことに笙子も黒田も自分がいま何をしているなどという意識はなく、コンピュータに制御された機械のように坦々と動いていた。気が付くとすべてが終わっていてまるで夢でも見ていたような感覚があった。

 「うまくいったようだね。」

 突然、眠っていたはずの一左が口を利いたので二人は飛び上がらんばかりに驚いた。

 「長いこと力を使っていなかったからね。自信はなかったが…。」
 
 修によく似た話し方と表情がいままでとは全く別人だということを物語っていた。

 「一左大伯父さま…起きてらしたのね。」
 
 笙子が言うと一左は修にそっくりな笑顔を見せた。三左に支配されていたときとは容貌も異なって、誰が見ても修の祖父に間違いはなかった。

 「ご無事で何よりです。御大…。」

 黒田は感激したように一左の手を取った。

 「面倒かけたね。黒田。笙子さんも…。
御腹の具合はどうかね? 修は元気にしているかね?」

目を細めながら笙子の膨らんだ御腹の辺りを見つめた。

 「大丈夫ですわ。まだ少し皮膚の再生に時間がかかりそうですけれど。
早く出せと暴れていますわ。」

 「そうかね…。よかった…。
透…雅人。どれ…こちらへ来て顔を見せてくれ。」

 それまで呆然と突っ立ていた二人は一左の呼ぶ声で我に返り、言われるままに一左の傍へと駆け寄った。不安げな二人の顔を見て一左はますます温かい笑みを浮かべた。

 「修の自慢の子どもたちだな。なるほど…甲乙付け難い。
心配しなくていいぞ。お父さんは笙子さんの御腹の中だ…。」

二人は互いに顔を見合わせた後、笙子の方を窺った。
笙子はにっこり笑って御腹をさすって見せた。

一左は少し離れたところに力なく腰を下ろしている次郎左に目をやった。

 「次郎左よ。おまえの後見としてのやり方が何もかも間違っていたとは思わんよ。
おまえはおまえなりに一族の安泰を考えて事なかれを決め込んだのだろう?
 戦えば徒に犠牲者を増やすと…何しろ誰も修ほどの力を持ち合わせていないからな…。

 修がおまえに言ったことは気にするな。修の樹としての記憶は断片的なものだ。
後はおまえの心を読んだに過ぎんよ。」

 「俺はただ…宗主のおまえを犠牲にしても一族の者たちが無事なら致し方ないと考えたんだ。
あやつがまさか…身内を次々と殺していくほどのワルだとは思ってもみなかった。
今思えばなんと愚かなことを…いい大人が雁首揃えて三左の前から逃げ出したわけだからな。

 ただひとり立ち向かえと悪鬼の前に残された修にしてみれば、俺たちのしたことはあまりに酷い仕打ちだったのだろうて…。」  

 次郎左は後悔頻りだった。

 「さて…次郎左…潔斎所の準備をしてもらえるか?
そろそろ修を出してやらねば…。」

 「ああそれは俺がやりましょう。」

黒田が祈祷所の裏手の方へ駆けて行った。

 「ならば、樹への捧げ物として作ったあれを出してきてくれ。今年新調して納めた筈だが…」

 「承知した。しかし…丈が合うだろうかな?」

次郎左も祈祷所の奥の供物部屋へ向かった。

  
 

 祈祷所の裏手にある潔斎所は祖霊を祀るときに宗主や後見が身を清める場所だが、独自の祖霊祀りを宗教とは考えていない紫峰では儀式や行事専用の風呂場のようなものである。
 跡取りが生まれると産湯をつかわせたり、病後の厄除けなどにも使われる事があり、ここで湯を使うことは祖霊の護りを受けることと考えられている。

 用意ができたという黒田の知らせで皆は潔斎所に集まった。5~6人は入れるかという湯船の手前に小さな籠が置かれ、柔らかなタオル地の布が敷かれてあった。

 「笙子さん…産むのかね?」

 一左は訊ねた。産むのであれば男たちは外で待機していた方がいいだろうと考えたのだ。
笙子は笑って答えた。

 「産むのは…まだ無理ですわ。短時間過ぎて私の身体がそこまで整っていません。
籠に移動させます。」
  
 籠の前で両膝をつくと笙子は両手を下腹の前へ差し出した。やがてその両手の上に乗るほどの嬰児が姿を現した。嬰児が泣き声をあげた。透たちは息を呑んで小さな修を見つめた。

 「修…おめでとう…。」

笙子はそう呟くと嬰児を籠に寝かせた。
黒田がその子を抱き上げて湯を使わせようとすると一左が手を差し出した。

 「私が…。修が生まれた時に立ち会ってやれなかったからな。」

一左は嬰児の肩を支えると、湯船にそっと浮かべてやり、小さな身体を清めてやった。

 「修…よく耐えたな…。たったひとりで…よくがんばった…」

 目を細め本物の祖父は幼子をいとおしげに抱きしめた。
黒田が真新しいバスタオルを脱衣場のソファの上に敷くと、一左は嬰児のぬれた身体を拭いてやりながらその上に寝かせた。

 透が小さな顔を覗き込んだ。雅人もちょっと赤ん坊に触れてみた。赤ん坊は二人を見つめ愛らしい笑みを浮かべた。

 「こんなに小さかったんだ。修さんも。」

 「赤ん坊ってこんなに柔らかいんだね。」

笙子が微笑んで頷いた。そのまま捨てておけばおけばやがて消えてしまう命。何かあればすぐにでも壊れてしまいそうな身体…。

 「そうだよ。透。雅人。生まれたばかりのおまえたちはきっとこんなふうに修には見えたんだ。
だからおまえたちをほっておけなかった。
 だけど…そのとき修はまだ小学生…。それからの修の苦労をおまえたちは決して忘れてはいけないよ…。」

一左は二人にそう諭した。二人は深々と頷いた。

 次郎左が畳紙に包まれた樹への供物を運んできた。それを機に黒田は修をもとの姿に戻すことにした。

 「さあ…そろそろ当主にご帰還願いましょうか。」

 黒田は修の細胞の一つ一つに急激な成長を促した。やがて赤ん坊は幼児へ、幼児から少年へ、少年から青年へと成長した。少年時代からの修の姿はおぼろげながら二人の記憶に残っている。
あの小さな赤ん坊からは想像もできないような成長を遂げた修は、いま伸びやかな肢体をソファの上に横たえていた。

 激しい運動を終えたかのように大きく肩で息をした後、修はそっと目を開けた。
心配そうな四つの目が覗き込んでいた。

 「やあ…。透…雅人。ただいま…。」

 二人は思わず修に飛びついた。二人の重さで修は起き上がれずにいた。

 「修さん!お帰り!」

 「大丈夫?」

笑顔半分困ったような顔ををしている修に雅人が訊いた。

 「ああ。大丈夫…大丈夫だけど…ちょっと待って。タオルくらい巻かせてくれ…。
笙子…あっち向いてて。」

笙子は今更遅いわよと言いたげに肩をすくめると背中を向けた。
黒田が目を逸らしながらくすくす笑った。

 一左は次郎左から畳紙を受け取ると修に差し出した。

 「話は後だ。修よ。樹の御霊へ奉納された祭祀の衣装を着なさい。
外へ出て一族に相伝が無事済んだことを報告しなければいけない。」

 修は頷いた。黒田が手伝って透や雅人に衣装の着付けなどを口伝しながら手早く準備をした。



 祈祷所の扉が開かれた。
外ではようよう騒ぎも収まって、身づくろいをしなおした長老衆が祈祷所の前に控えていた。
先導の役目を果たす悟と晃の二人がまず姿を現した。彼らは外扉の両側へ控えた。

 現宗主と後見が並んで現れた時、皆は息を呑んだ。真の宗主が戻ってきたことを長老衆は即座に察知した。同時に、その後の自分たちへの処罰が気になりだして気持ちが落ち着かなかった。

 黒田と藤宮の長が続いた後二人の継承者。
最後に祭祀のための衣装を纏った修の姿を目にした途端、長老衆の心に罪の意識と恐怖が沸き起こった。

 祈祷所の扉が固く閉ざされた。

 扉の前中央に報告のために立った修は、不安に右往左往する長老衆の心を哀れむかのようにいま静かに彼らの姿を見つめていた。
 



次回一番目の夢最終回へ












一番目の夢(第四十三話 『 滅 』 )

2005-07-02 20:49:57 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 祈祷所に漂う冷気と霊気。透も雅人も歯の根が合わないほどに震えていた。
酷く寒いというわけではない。これから起ころうとすることへの漠然とした恐怖心が無意識のうちに二人を震えさせているのだ。

 さすがの透も修の様子がいつもと違うことには気が付いていた。前修行のときに感じた樹の御霊に対する違和感よりも、もっと受け入れ難い雰囲気がいまの修はあった。

 「わしを殺せば、おまえ自身の身体とて無事では済まぬぞ!」

悪あがきとも取れる三左の脅しに、修の口元が僅かに笑みを含んだ。

 「頑丈なよい檻であろう?三左よ。その身体欲しくばくれてやろう。」

 「檻…だと?」

三左は訊き返した。

 「飛んで火にいる夏の虫というではないか。おまえは自ら檻に入ったということだよ。
檻で悪ければ棺桶か…。」

 透は耳を疑った。修は三左に奪われた自分の身体を棺桶と言った。

 「修さんは…まさか…。」

 雅人が頷いた。

 「そのまさか…だよ。」

 『嫌だ…そんなのだめだ…。』透は叫び出したいのをやっと堪えた。握り締めた拳の中が身体の震えとは逆に汗ばんできた。
 『僕らに生きろといったのはあなたじゃないか…。』

透の心の叫びを捉えたのか修は透を見て微かに微笑んだ。しかしすぐに三左の方に向き直った。

 「おまえを冥界だの霊界だの…そんな所へは往かせない。
紫峰の当主として…そしておまえのような者をこの世に生み出してしまった祖霊の責任として…。

 おまえの存在を絶つ。」

 「やめろ!おまえは命が惜しくないのか?
この身体がなければおまえは元には戻れんのじゃぞ! 子どもたちはどうする?
捨てて逝くのか?」

 三左は喚いた。何をどう喚き散らそうと修は眉ひとつ動かさない。肉体を離れたその身体から凄まじいまでの霊の波動が感じられる。青白く揺らめく炎のように全身から天へめがけて立ち上る。

 「樹の御霊!…いいや修よ。 頼む。 三左を許してくれ!
せめて…せめて…冥府へ送るに止めてやってくれ! 愚かな奴だが俺の弟だ。」

 それまでほとんど口を利かなかった次郎左が膝を屈して伏し拝んだ。
凍てつくような冷たい視線が次郎左のほうに向けられた。

 「手加減はせぬと…言いおいたはずだが…? 下がれ…余計な口出しは無用だ…。」

抑揚のない淡々とした声が次郎左を窘めた。

 「お怒りは最もと心得る。親を殺され、身内を殺され…だが俺もまた身内を殺されたひとりとして言う。 命乞いはしない。 しないが…。」

 「間違うな次郎左! これは修の復讐ではない! 紫峰祖霊として樹の責任を果たすまでのこと! この悪鬼をこれ以上野放しにしてはならぬ。

 おまえたちが過去にこの者の悪行をを放置したことがそもそもの始まりだ。
悪しき力を恐れ、身内という尤もらしい理由をつけて、宗主を始め長老衆や能力者たちのすべてがこの者から逃げた。 奥儀を修得していたはずのおまえもそのひとりだ。

よもや忘れはしまい!」

 怒りが修の全身を覆っている。炎はますます青く激しく燃えさかり祈祷所を突き抜けんばかり。
次郎左はガタガタと震え出した。『なぜそのことを…なぜ知っている。修が生まれる前のことではないか…?』誰からも聞けるはずがない。
 
 「まだあるぞ。再び三左が舞い戻り、一左に憑依したと知りながらおまえたちは何をしていた?
一左からは絶えず信号が送られてきていたはずだ。

 知らぬとは言わせない!

 一左が黒田に信号を送るまでに何年もかかったのは、おまえたち長老衆が送られてきた信号を無視し続けたせいだ。」

 その場の誰もが耳を疑った。一左が閉じ込められて助けを求めていることを、長老衆は初めから知っていたというのだ。過去の経緯を知らない黒田が一左の信号をキャッチするまでの二十数年、一左は見捨てられた存在だったということになる。
 
 次郎左は返すべき言葉を失った。『修ではない…修であるはずがない。』
ではこの男は誰なのだ…。本当に樹の御霊だというのか…。次郎左の頭は動揺と混乱で真っ白になった。

 「紫峰の長老にあるまじきそれらの罪をいまは問うまい…。
人は弱いものだ…殊に身内のこととなれば…善人も悪に染まることもある…。

 私の邪魔をするな…こやつを救うに値する何ものもない。」

 修はうなだれる次郎左にそれだけ言うと三左の方に顔を向けた。

 三左は何とかして逃げ出そうと修の身体でもがいていたが、檻となった修の身体はがっちりと三左の魂を囲い込んで決して逃しはしなかった。

 「透。 雅人。 よく覚えておくがいい。再び目にすることはないかも知れぬ。
このような奥儀が…再び使われることのないように祈る。」

 修の全身を覆っていた青白い炎が一段と激しくその勢いを増し、修がその目を自分の肉体に向けた瞬間、鋭い炎の触手が三左の檻となった身体を襲った。
 三左を中に封じ込めたまま、青い炎は燃え上がり、断末魔の叫び声を上げる三左とともに修の身体を燃やし尽くした。
やがて、蒸気のように細かい粒子となったすべては跡さえ残さずに消えていった。

 透も雅人もあまりの光景に息をするのさえ忘れていた。
はっと我に返って修を方を見ると修はすでに消えかけていた。

 「待って。修さん。」

 二人は同時に叫んだ。修の方へと走り寄った。

 「逝かないで! お願いだよ。」

 縋るようにして修を引きとめた。
修はいつものように二人に笑顔を見せた。
 
 「大丈夫…心配ないよ…。」

 子どもの頭を撫でるように軽く二人の頭に触れた後ふっと姿を消した。

 修の消えてしまったその場所を二人はぼんやり見つめていた。
大きな喪失感が二人を包んだ。
悲しくてどうしようもないのになぜか涙さえ出てこなかった。





次回へ
 

 



















一番目の夢(第四十二話 生と滅 )

2005-07-01 17:15:36 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「不思議に…思わないか?」

修の魂が修の姿をした三左に語りかけた。

 「おまえがどんなに暴れてもこの祈祷所は少しも壊されていないだろう?」
 
 三左は思わず辺りを見回した。言われてみれば、あれほどの衝撃を受けても壁板一枚割れていない。長い年月の間に刻まれた傷や汚れはそのままであるのに三左の攻撃による破壊の跡は無い。

 「紫峰の祈祷所は祖霊を祀った神聖な領域だ。
この壁や床板を護っているのは、歴代の宗主が遺していった念の『シールド(楯)』。

 生きている間は己を捨てて宗主の責務を果たし、死に際してなお紫峰とその一族の安寧を願い、子孫の為に守護の力を遺して旅立つ。

 紫峰の宗主とは本来そういうものだ…。徒に覇権を争う類のものではない。

その座を狙うおまえに宗主の重責を担う覚悟があるか?」

 問われて三左は思わず怯んだ。三左が狙うのは宗主が手にする権力と財力。覚悟だの責任だのはどうでもいい。要は追放された自分が紫峰のすべてを手にするという胸の空くような快感を味わいたいのだ。

 「わしを追放した奴に問え!そいつはわしにそんな責任を与えたくなかったんじゃろうよ。
そんなものはどうでもいい!
 わしはこの紫峰の財力と権力を踏み台にして外の世界に打って出る。
この手に巨万の富を掴むのじゃ!」 
 
 意気込む三左の目を修は静かに見つめた。恨みと憎しみと欲望に狂った三左の心。
この救われぬ魂が世にある限り災いの種は尽きない。 

 「おまえはおまえのしたことの責めを負わねばならぬ。」

 『生意気な!』三左は思った。『おまえ如きに殺られてたまるか!』
幼い頃から穏やかで控えめな男だった。何を考えているか分からないようなところは確かにあったものの、三左に対しては礼を尽くし、偉そうな態度は一度も見せたことはなかった。
 ところがどうだ。今やこの男は三左からすべてを奪おうとしている。『虫も殺さぬような顔をしてよくもわしを陥れた。』

 無数の念の砲弾が怒り狂う三左の身体から放たれた。それは惑星に降り注ぐ彗星のように激しく修に襲い掛かった。  

 修は微かに笑みを浮かべると、別段慌てる様子もなく自分に触れるその一瞬にすべてを消し去った。

 矢を槍をと間断なく雨嵐のように攻撃しても、修の魂には掠り傷ひとつ負わせられない。 

 三左は困惑した。生まれて初めてといっていいほどの恐怖を覚えた。
一左、次郎左がいかに強いと言っても所詮、自分を倒せずに追い出した者たちのひとりに過ぎない。紫峰には彼ら以上の力の持ち主などいないはずだった。

 『樹…。』その名が脳裏をよぎり慌てて打ち消した。そんな馬鹿な事があるはずがない。
千年も昔に死んだ男が現代に甦りを果たすなどありえない。
 三左は持てる力のありったけを込めて、透たちに浴びせたよりもはるかに強大なエネルギーの塊を作り出した。

 「ここにあるもののすべてを粉々に砕いてやる。人も。物も。」

 それはつむじ風のように渦を巻き、唸りを上げて修に向かってきた。
 それまで成り行きを見守っていた透たちも笙子たちもその力の凄まじさを肌にびりびりと感じ、互いに身を寄せ合いながら思わず低い態勢をとった。

 修はまるでボールでも受け取るかのように軽く左手を差し出した。
その手に触れるや否やそれまでの勢いを失った塊は霧状になって宙に消えた。

 「それで…仕舞いか?」

修が訊いた。ショックで動けなくなった三左を見据えながら修は透たちに語りかけた。

 「さてと…透。雅人。
 人は死んだら黄泉へ往くとか、冥界へいくとか、いろいろ言われているが…それは魂が存在してこその話。

 おまえたちに伝えておかなければならない最後の相伝は『滅(完全なる死)』、紫峰最強にして最悪の奥儀。できれば使いたくもない代物だが…。
 
 この悪鬼めはこのまま霊界へ送っても、いつまた舞い戻ってこようとも限らぬ。」

 透はなぜか急激に悪寒のようなものを感じた。見ると雅人も震えている。祈祷所の中がまるで冷凍庫にでもなったようで、暗く冷たい空気が充満していた。

 修の横顔からはいつもの温和な笑みが消え、感情も何も持ち合わせていない無表情な仮面と化している。

 修を理想的な父親のように思っている透は信じないだろうが、この霊気は修がもうひとつの本性を現す前兆ではないかと雅人は思った。
 雅人たちが知っている修は限りなく慈愛に満ち溢れた人だが、もうひとりの彼はおそらく三左以上に冷酷な人。長老衆が怖れるのはその両極面のギャップの激しさではないか。
そう考えると雅人はますます背筋が寒くなるのを覚えた。



 笙子はいま賭けに出ていた。もはや、修は止められない。とにかく自分だけでもスタンバイしておかなければ。笙子は静かに自らの子宮に念を込めた。『生』を司る藤宮の奥儀のひとつ。
 長と決められた幼女だけが厳しい修練の中で習得していく。『この相伝のために私は女性であることを義務付けられ、逆に女であることを捨てさせられたようなもんだわ。』
 長く厳しい修練のために、自分のものではなくなってしまったような感覚さえ感じられるその腹部に軽く手をあてた。
 『それでもそのおかげで修を助けることができれば…まあ…それはそれでよしとしなくちゃね。』

 身体が胎児を受け入れる準備を始めると、笙子は黒田に言った。
 
 「時間がないわ。あなたもすぐに合わせられるように心の準備だけはしておいてね。」

黒田は大きく頷いた。

一左の反応はまだない…。





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