徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

二番目の夢(第十一話 鬼面川の祭祀伝授 )

2005-07-20 22:15:00 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 鬼が住む所と言えば古来さまざまな土地に、いろいろな伝説が残ってはいるけれど、最も身近な場所は自分の心の闇の中だ。
 この鬼はちょっとしたきっかけでそこに生まれ、人知れず成長する。胸の内に鬼を飼っている本人でさえ気付かぬうちにいつの間にか手に負えないほど大きくなっていることもある。
 大きさに差はあれ、どんな人の胸にも存在し、ひとたび生れ出たら完全に消しさることはできない。ただ押さえ込むことができるだけである。

 他人から見れば非の打ち所なく、誰からも愛され、尊敬され、慕われているはずの修にさえ心に持つ闇はあり、巣食う鬼もまた存在する。
 時折、頭をもたげる鬼を押さえつけ、なだめ賺して眠らせる。自分の中に蠢くこの鬼との戦いは修が生きている限り果てしなく続き、決して終わりを見ることはない。

  

 葬儀は道夫が本家の人間ではないこともあって簡素に行われた。弔問客も本人とは馴染みの薄い人ばかりなので焼香を終えるとすぐに引き上げ、ほとんど身内だけでの野辺の送りとなった。

 初七日の法要も重ねて行われたが、これも焼香が終わると身内でさえもさっさと帰途についた。
どうやら道夫という人にはあまり人望がなかったようだ。

 法要の振る舞いも旅館からの仕出しで簡素に済ませ、酒の廻った年配の人たちは酔い覚ましの昼寝をしにそれぞれの好きな場所へと散っていった。

 「せっかく来てもらったのにえらい目に合わせたで悪かったなあ。疲れなさったろうが。
いろいろ手伝ってもらってすまんかった。」

 彰久や修たちを前に、孝太は申しわけなさそうに言った。
隆平も丁寧に頭を下げた。
 
 「なに。 気にしないで下さい。 僕等も身内でお客じゃありませんからね。」

彰久がそう言うと孝太は嬉しそうに笑った。

 「隆平さんに聞いたのですが、孝太さんは鬼面川の祭祀に詳しいお方だとか…?」

 修が孝太に訊いた。彰久が驚いたように修を見た。

 「ははは…少しばかり勉強しただけで。大祖父さんの代までは祭祀も細々続いとったようですが、先代がはよ亡くなったで、後をする者がおらんようになって。俺も見よう見まねですがね。」

 「失礼ながら、史朗くんと僕の前でそれを再現してもらえませんか?」

 彰久が言うと孝太は驚いたように訊いた。

 「祭祀と一口に言ってもいくたりもあるので。 全部お見せするとなると相当な時間がかかりよりますが…? それに俺のは独学ですから正しいかどうか…。」

 「是非にもお願いします。 僕たちには確かめたいことがありまして…。」

 彰久と史朗は孝太に深々と頭を下げた。孝太は恐縮した。

 「俺のでよければやらしてもらいますけど…。それじゃ…鬼の頭の塚の社へ…。」



 鬼の頭の塚はさすがに観光の目玉だけあって綺麗に整えられ掃除も行き届いていた。
隣接する社も小さいながら美しい造りでよく手入れされてあった。
隆平が鍵を開け皆を中へと案内した。
彰久、史朗と修たちは拝殿に額づくとそれぞれの様式で拝礼した。

 「それでは…始めさせてもらいます。」

孝太は緊張した面持ちで拝殿に向かった。隆平は脇で介添えを務めた。

 鬼面川の様式では拝殿で儀式を始める際にはまず御大親(みおや)に対し、諸式を行ってよいかどうかの伺いをたて、その許しを得て諸式を執り行う。 伺いをたてる文言、所作は定められたとおりに行わなければならない。
 
 彰久、史朗の目は厳しく孝太の所作に向けられていた。

 透や雅人も黙って見ていたが、鬼面川の儀式の運び方が紫峰や藤宮のそれとは全く異なるので、過去に縁のあった一族でありながらこれほどの違いがどこから生まれるのか不思議に思った。

 孝太はかなり熟練しているようで、よどみなく所作を運び文言を語り、諸式をこなして行った。

 「…拝し奉り…。」

 「違う!」

突然、彰久の厳しい声が飛んだ。孝太は驚いて彰久を見た。隆平も思わず身震いした。
 
 「華翁…やって見せてあげなさい…。」

 彰久に言われて、史朗が前に進んだ。
孝太の所作と史朗の所作は本当に微妙な動きが異なるだけで、傍から見ればどこがいけないのか分からないくらいだった。しかし、彰久は史朗の所作に満足げに微笑んだ。

 「孝太さん…今一度同じところを…。」

 彰久の表情には有無を言わせぬ強いものがあって、孝太は素直に頷いて史朗の所作を真似た。

 「では次へ…。」

 それから何度も何度も孝太の所作には厳しい叱咤の声が響き、史朗がそのたびに手本を見せた。
普通なら、なんだこいつら偉そうにと思われるところだが、彰久も史朗も異常なまでに熱を帯びており、孝太も必死でその声に応え続けた。

 すべての所作を覚え終わるまでに何時間かかったことだろう。
彰久が合格を出したときには、孝太は息を切らし、汗にまみれ、立ち上がるのもやっとだった。

 「孝太さん…。よくぞここまで自力で学ばれました。」

いかにも嬉しそうに彰久が言った。史朗も満足げに微笑んだ。

 「いやあ…有難うございました。分からぬ所も多かったので助かりました。
それにしてもどこで祭祀の所作や文言を…?」

 不思議そうに孝太は訊ねた。彰久の一家がこの村を出たのは父親が子どもの時である。
それなのに彰久たちは正確に祭祀を語ることができる。

 「父が子どもの時に先代から教わったのではないかと思います。勿論、それが祭祀であることは本人はほとんど知らなかったでしょうが…。僕たちは作法として習いましたけれど。」

 彰久は修を見ながらそう言った。修が少し微笑んで頷いた。

 「孝太さん…隆平くん。 僕も史朗くんもすでにこの村を出た人間ですから、長としてこの村へ帰ることはできません。 ですが…どうしても同じ鬼面川の人間として申し上げておかなければならないことがあります。」

 彰久は真剣な顔で孝太と向き合った。孝太は居ずまいを正した。

 「まず第一に鬼面川は特殊な力を持っている人の集まりではないのです。
 確かに鬼将つまり将平には不思議な力がありました。しかし、その子閑平にはそれほどの力がありませんでした。

 閑平が将平と同じように祭祀を行えたのは、天の力、地の力を借りたからなのです。
あなたが学んだその所作と文言には、その人自身には力がなくても天と地と御大親の力を最大限に利用するための力が込められています。

 天に感謝し、地に感謝し、御大親に礼を尽くすことで、誰でも鬼面川の力を使えるはずです。
力を持っていない人でも心根がよく信頼に足る人であれば長に立てるべきです。

 次に、誰が考え出したか知りませんが、鬼が決めるなどという儀式は絶対在ってはならないことです。仮に鬼というものが本当に存在したとすれば、自分をを封じる者を自分で選べということになります。
 そのような馬鹿げたことを続けていたら、この村はいつか鬼にとっての楽園と化すでしょう。
鬼面川の存在意義が失われることになります。

 鬼面川の使命は天地への感謝と御大親への礼によって村の安全を祈ること、たとえ鬼であっても亡くなったものへの供養を忘れないこと。 あの古い塚のひどい有様はなんですか? 
あれでは鬼でなくとも祟りたくなりますよ…。

 是非 あなた方若い世代が鬼面川を正しい方向へと導いていってください…。」
 
 彰久の言葉に孝太と隆平はいちいち頷いた。
この二人なら、きっと鬼面川を立て直せるだろう。 鬼面川の魂の基盤さえ揺らがなければ、たとえ観光化が進んでも鬼面川のなすべきことだけは護られる。
彰久はそう考えた。

 
 「こんな所で何をしとる!」

隆弘の怒鳴る声が響いた。 少し腹を立てているようだった。

 「お客に観光案内だわ。 一族だのに彰久さんたちはここへ来たことがないそうなで。
俺が連れてきたんだわ。 よかろうがよ。」

孝太は知らん振りしてそう答えた。皆に黙ってろと言うように目で合図を送った。

 「それだったら 俺にひとこと言っとけや。 驚くに。 」

隆弘は言った。

 「済まんな。 隆弘さん。 まあ母屋へ帰るで。」

 「まあ晩餉だで。 仕度が出来とるで。」

そう言いながら戻っていった。

 孝太はにやりと笑うと皆の先頭に立って社を出、丁寧に拝殿に礼をした。
隆平が再び鍵をかけた。

辺りはすでに暗く、秋の近いことを告げる虫の音だけが響いていた。
 




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二番目の夢(第十話 悪戯)

2005-07-19 23:26:46 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 「…おお、それであわくって出てきたんだ…。悪いけど電話、また後で掛けるで…ほんじゃな…。隆平! 隆平! おるか!」

玄関の方で騒がしい男の声がした。隆平は急いで玄関に向かった。

 「孝太兄ちゃん! 帰ってこれたの? 寛子小母さんも一緒だったんだね。」

 「道夫が死んだって聞いたもんで急いで店閉めてきたんだ。 寛子さんは駅前で拾ってきたわ。
ほい…新作の菓子。今度店で使おうと思っとる。」

男はどかどかと足音を響かせながら座敷に姿を現した。男の後ろからおとなしそうな中年の女性がついてきた。座敷に見知らぬ男が何人もいるので少し戸惑ったような顔をした。

 「彰久、史朗、これはうちの孫で孝太。他所の町で洋食屋をやっとる。後ろのはわしの亡くなった姉の娘で寛子だ。
 孝太…寛子、この二人が木田の彰久と史朗だ。そちらのお三方は彰久の方の親戚で紫峰さん。」

 孝太と寛子は膝をおって丁寧に挨拶をした。寛子は挨拶を済ますとすぐに朝子の傍へと寄り添ってなんやかんやと話を聞いてやっていた。

 「それじゃ爺さま。道夫は抜け駆けして長選びの儀式を先にひとりでやろうとしていたのか。」 
 末松からいろいろ話を聞いた孝太は憤慨した。結局今日の長選びは中止にするしかないだろうと末松は言った。

 「親爺。ほんで長選びは誰と誰がすることになっとったんだ?」

孝太は父親の数増の方に振り返った。

 「予定では道夫と彰久、史朗、隆平、おまえだで…。」 

 「俺もかよ。親爺の代がおらんじゃないか。まあ…朝子さんと寛子さんと親爺しか残っとらんから仕方ないが…。」

 村の人たちと葬儀屋とで通夜の準備が整えられ、道夫が祭壇の棺に安置されると一同はその前に集まった。隆弘が住職を連れて戻ってきたのはそのすぐ後だった。
 修は彰久が怒り出すのではないかと冷や冷やしたが、さすがに現代に生まれただけあって、寛容に仏式を受け入れていた。

 鬼面川にはもともと独自の葬礼に関する様式と作法があるが長い間に廃れてしまったらしい。
彰久や史朗にとって面川は、鬼面川とは全く異なる一族に成り果てていた。

 『いまさら口出しすることではありませんが…修さん…誰かには伝えておきたいですねえ。』

彰久の顔がそう言っているように思えた。史朗もどこか納得いかない様子だった。



 通夜の客がだいたい引けたのは9時をまわった頃だったか、それまで忙しく隆弘とともに立ち働いていた隆平が台所の脇の小部屋に修たちを呼んだ。

 「孝太兄ちゃんの作ったお菓子です。よかったら一緒に。」

そう言ってお茶を淹れてくれた。

 「孝太兄ちゃんは僕が小さいときからよく面倒をみてくれた人なんです。
こうやって時々お菓子を持ってきてくれます。僕は未だに子ども扱いされてますが…いい人です。」

透はチラッと修を見た。穏やかに笑っていた。

 「実は…孝太兄ちゃんは鬼面川のすべての祭祀を独学で学び、実際に祭祀を行うことのできる人なんです。そのことは他の誰も知りません…。 長になる気がないので黙っているんです。」

 「君は彼から伝授を受けたんだね?」

修は期待を込めて訊いた。隆平は頷いた。

 「僕に力があると気付いた孝太兄ちゃんは父に内緒で少しづつ教えてくれました。
今の面川では廃れてしまった祭祀のほとんどが孝太兄ちゃんの手で文書化されています。
ただ、独学なので細部まで正しいのかどうかが分からないのです。」

 「紫峰の古文書に鬼面川に関するものがあるよ。何かの役に立つかもしれないね。帰ったらコピーを送ってあげよう。」

修は口ではそう言ったものの、できれば孝太と隆平には彰久と史朗から直に学んでもらいたいと思っていた。



 棺に収められた道夫の遺体をじっと見つめていた彰久には、道夫が世に言う突然死とやらで死んだようには思えなかった。
 朝子が傍につききりなので遺体に直に触れることはできないが、朝子が殺されたと口走ったのもまんざら考えられないことではないと感じていた。

 そう考えると、先代つまり彰久と史朗の祖父の死も、隆平の母の死も、当代の死因でさえ、疑わしく思われてきた。

 末松は当代に力が存在しなかったことを問題にしていたが、鬼面川全盛の時代、鬼面川の一族で本当に強力なチカラを持っていたのは将平ひとりだったのだ。
 閑平に多少なりと呪詛の力が備わっていたとしても紫峰家や藤宮家のように代々必ず力を持つ宗主を輩出するというわけには行かなかっただろう。

 どうも面川の人々は鬼面川のなすべきことを誤解しているのではないかと彰久は思った。 



 長選びの儀式が急遽通夜に変更になったために、鬼と対峙することもなかった修たちは深夜近くになってから宿に戻ってきた。明日の葬式の時間だけ確認すると、お互いに挨拶を交わして早々にそれぞれの部屋に引き上げた。

 透も雅人も慣れない土地での騒ぎに巻き込まれてよほど疲れたのか、珍しく布団へ入るなり寝息を立て始めた。
 いまどきの季節でもこのあたりの夜は寒いくらいで、修は二人を起こさないように気を付けながら布団を掛け直してやり、まだどこか子どもの面影を残す二人の寝顔をいとおしそうに見つめてから、そっと部屋を後にした。

 同じ階の踊り場にある大きな張り出し窓風の椅子に腰掛けて修は携帯を取り出した。
聞き慣れた呼び出し音が切れると笙子の声が耳に飛び込んできた。

 『メール見たの?』

 「今気が付いたんだ。 遅くにごめん…。 寝てたかい?」

 『まだ宵の口よ。多分必要になるだろうと思って皆の礼服を送ったわ。朝一で届くはずよ。』

 「ふ~ん…。いつもながら手回しがいいね。有難う。助かるよ…と言いたい所だけど…。

 …史朗ちゃんを嗾けた犯人は君だね? 様子見たさにずっとこちらの方にアンテナ張ってたでしょう? 」

 『あ…分かっちゃった? だって史朗ちゃんてば健気なんだもの。 ずっと修のこと好きだったのよ。』

 「君の恋人でしょう…? 史朗ちゃん可哀想に真っ赤になって泣きそうだったよ。 史朗ちゃんだからまだ許せたようなものの他のを送り込んだら承知しないからね。」

 『他のなんて頼まれたって送らないわよ。 史朗ちゃんが一番。 ね…やっちゃいました?』

 「寝てません! 君ね…普通…夫にそういうこと言うか? 」

 『うふふ…。 あ…そうだ…もうひとりいるわ。 とっても健気で可愛い子が…。』
  
 「笙子…それは許さない。 いくら君でも絶対に…。 冗談にでも…。」

 『分かってるって。 そんなことしないわよ。 じゃあね。 お休み。 ダーリン!』

 「…。」

 携帯が切れた後の音が耳に響いて修の胸を締め付けた。ふーっと溜息をついて修は眉間を押さえた。
 時々笙子は修に対してものすごく意地悪なことを思いつく。愛情の裏返しであることは分かっているのだけれど、さすがの修もやりきれない思いをすることがたまにある。
 
 それでもその笙子の闇の部分が修にだけ向けられていれば、それはそれで受け流してしまえば済むことだ。笙子にそういう面があることを修も十分承知して一緒になったのだから。
 しかし、時には他の人を巻き込むことがある。史朗のこともそのひとつだ。
そして今度は…。

 その時、修は人の気配を感じて自分の部屋の方向を見た。踊り場の入り口に雅人が立っていた。

 「雅人…寝てたんじゃないのかい?」

 「今度は…僕にあんなことをさせるつもりなの? 笙子さんは…?」

 聞かれていたと言うよりは、雅人に知られないでいることの方が難しい。雅人は人の心を読めるし、五感が素晴らしく発達していて、勘も鋭い。

 「まさか…。そこまでの悪戯はしないだろうよ。」

修は笑った。雅人は真剣な表情で修を見た。

 「もしもそうだったら? 史朗さんのように僕を受け入れるの? それとも拒絶するの?」

 「ないない。 ありえないって…。」

修ははぐらかすように言った。

 「真面目に答えて…。僕は史朗さんのようにプラトニックなタイプじゃない。
透のように息子として育ててもらったわけでもない…。」

 修はまた溜息をついた。そのとおりだ。雅人には最近まで母親がいたから、透のように何から何まで修が面倒みてきたわけではなかった。
 修が透と雅人をどれほど平等に扱おうと努力しても、たとえ物理的にはそれが可能でも、こんなに短い期間では親子関係を築くことは不可能に近い。

 「本音を言えば…まだ決心がついてない。だからどう答えていいのかわからないよ…。
世間的に言えば僕は拒絶するべきなんだろうね。

 言葉は悪いけど…そのときの気分で決めちゃうかもな…。抱きたければ抱く…そうでなければ…。 
 なぜだろうね…今だってこんなにおまえたちのこと…おまえのことが可愛くて仕方ないのに…。なぜこんなことしか言えないんだろう…。」

 修はがっくりと肩を落とした。少し涙ぐんでもいるようだった。修に無理難題を押し付けていると雅人には分かっていた。
 本当は何があっても断固拒絶すると言いたいのだろう。相手が透ならはっきりとそう言うに違いない。 けれど雅人には…。
 修は雅人がどんな思いで紫峰家に引き取られてきたかを知っている。
恩のある修のために命を差し出す決意で修の許へやって来たのだ。そんな健気な雅人の想いを無下にはできない。

 「ごめん…。無理言って…。分かってるよ…。どんな答えが出たとしても…修さんは僕のこと…僕と透のことを愛してくれてる。それだけは忘れないよ…。」

雅人は幼い子どものようにそっと修の首に腕を回し頬を摺り寄せた。




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二番目の夢(第九話 犠牲者)

2005-07-17 23:23:09 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 修と透の頭の中で響く鬼の声と雅人が二人の耳にセットしたプレイヤーの音、お互いに干渉し合うレベルに巧くもっていければ、二人の苦痛は治まるはずだ。雅人は慎重に力をセーブしながら音の波長を変えていった。

 「修さん。 何事もありませんか? 大丈夫ですか?」

 玄関から無事を確かめるような彰久の声がした。雅人が返事をしなかったことで異常を察した彰久と史朗は急ぎ部屋へ上がってきた。 

 「これは…鬼の声か…。」

 微かだが、彰久にも、史朗にも唸るような音が聞こえてきた。
修たちの様子を見た彰久は驚いて鬼の声に対する結界を張ろうとした。

 「だめだ! 結界を張るのは一時的な防御にしかならない。 いま修さんたちに触れないで!
巧く干渉し合えば音は消える。 そうすれば二人は自力で防御できる!」

彰久も史朗も分かったというように頷いて成り行きを見守った。
 雅人は真剣に波長を探った。鐘のようなくぐもった音がプレーヤーの音とぶつかり合って次第に弱まっていく。やがて、痛みが薄れた二人は自力で防御を始めた。

 「雅人…有難う。もういいよ…。」

修の声を聞いて雅人はほっと息をついた。透も起き上がってイヤホンをはずした。

 「雅人…本家の様子を覗いてくれ。それに鬼の頭の塚を…何が起こった?」

雅人は頷いて意識を集中した。

 本家では忙しそうに家の人たちが働いている。多分儀式の後の宴の用意をしている。
ここはなんでもないみたい。 鬼の頭の塚は…塚の上の方が砕けてる。 その他は…。

 「塚の前に人が倒れている。 道夫とかいう若い男…だめだね…もう息がないよ。
あっ…誰かがこの人を見つけた…すぐに大騒ぎになるよ。」

 皆は顔を見合わせた。
 
 「本家から連絡があるまでは動かないようにしましょう。力のことを知られてはまずい。」

修が言うと皆は了解したというように頷いた。

 「それにしてもその鬼の声はなぜ修さんと透くんだけに強い反応をおこすのでしょう?
雅人くんはほとんど影響を受けていないようなのに…。」

 史朗が不思議そうに呟いた。雅人が憮然として言った。

 「僕が純血種じゃないからさ。僕の母親は紫峰の血を全く引いていない。
純血種のこの二人とは反応の度合いが違っていて当然だよ。

 さっき…鬼の声の出所が分かった。彰久さんと史朗さんの中から響いてくるんだ。 
波長が近いために本人は気付きにくい状態にあって、傍の方が影響を受けることになる。」

 「電車の中でのポータブルプレーヤーって感じだね? 聞いてる本人はなんでもないけど漏れ聞かされる方は傍迷惑…。」

透が訊いた。雅人はニッと笑ってうんうんと頷いた。

 「誰かがこの二人に呼びかけていたということか? それを僕が受け取ってしまった…と? 」

修がそう訊ねた。雅人は我が意を得たりという顔をした。

 「修さんは、今までにも史朗さんとは付き合いがあったわけでしょう? 
だから、史朗さんへの呼びかけを受け取ってたんだと思うんだ。
 祖父ちゃん程度なら風邪を引いてちょっと頭が痛いってくらいで気付きもしないだろうけど…。
修さんは一族の中でも最高に感度がいいし、よく似た波長を持つ透にも影響が出たってわけ。」

雅人は話し終えると疲れたと言わんばかりに大きく息を吐いて仰向けにねっころがった。

 「いや…なんとお詫びしたらよいのか…。僕等のせいだったんですね。」

彰久は申しわけなさそうに言った。

 「いいえ…彰久さんや史朗ちゃんのせいではありませんよ。
鬼の声がたまたま僕の波長と合ってしまっただけなんですから。
 とにかくあなた方に呼びかけていた者を見つけ出さなくてはなりませんね。
本物の鬼でないことは確かだと思いますよ…。」

修のその言葉に二人は大きく頷いた。 

 ばたばたと足音を立てながら転がるようにして女将がやってきた。

 「紫峰さま…木田さま、えらいことだわ…! 鬼の頭の塚で道夫さんが亡くなられたそうで! まだ儀式には早い時間だのに何だってひとりであんな所へ行ったんでしょうかねえ。

 取り敢えず、皆さんにも大至急本家の方へいらして欲しいとのことで! すぐ車を出しますでね。」

 それだけ伝えると女将は慌しく戻っていった。
 
 「では…出かけるとしますか。」

修はそう言って皆の顔を見た。




 本家の玄関をくぐると、奥座敷の方から朝子の泣き喚く声と数増の窘める声が聞こえてきた。
 
 「殺されたんだわ。 昼まで元気だったんだ。 病気なわけないで!」

 「何言っとる! 医者の先生が突然死だと言ったでないか。」

 お手伝いさんの案内で修たちは一族の集まっている座敷へ向かった。
朝子は自分の息子の死を受け入れられず、相手かまわず喚き散らしているようだった。
 
 彰久たちの姿を見つけるとキッと睨みつけた。

 「疫病神! あんたたちが来たから鬼が怒ったんだよ! 村を捨てたくせにさ!」

 「やめんか! 木田の一家は当代に追い出されただけだ。 好きで出てったんじゃないで。」

数増は怒鳴った。それでも気が済まない朝子は、手を振り上げて彰久と史朗に詰め寄ろうとした。

 修は朝子と彰久たちの間に割って入って、穏やかに朝子を見つめた。
やり場のない怒りと悲しみが朝子を取り巻いていた。人を叩きそこなった朝子の手が修の胸に置かれた。修はその手を取って両手で包み込んだ。

 「叩いていいですよ…。この手で…。あなたの気持ちが楽になるなら…。」

朝子は驚いて修を見た。慈愛に満ちた修の瞳が真っ直ぐ朝子に向けられていた。
何もかも受け入れられたような気がして、肩の力がすうっと抜けていった。
 修は両手を放すと微笑んだ。朝子はへなへなとその場にへたり込んだ。後は叫ぶ気力も失せたのか、息子の遺体の前へと這うようにして近付いていき、ぼんやりと遺体を見守っていた。

 「仏の技だて…。」

 末松が呟いて修を見た。面川の人々は朝子を黙らせた修に不思議なものを覚えた。
鬼面川の言い伝えに残る紫峰家の青年というだけで、他の事は誰も何も知らなかったが、この青年の持つ独特な雰囲気になぜかしら畏敬の念を感じざるをえなかった。
 



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二番目の夢(第八話 鬼の塚 )

2005-07-16 23:38:19 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 早朝数増から長選びの儀式を夕刻に行うので、もしどこかへ出かけるなら四時頃までには来て欲しいという連絡があった。

 泊り客が出発した後のラウンジにはそのまま逗留する修たち以外にはほとんど人気もなく、ゆっくりと予定を組むことができた。

 「鬼をばらばらにして塚に納めたということはそれに関連する塚が複数あるということです。 儀式が行われるのが『鬼の頭の塚』、他にいくつあるかは分かりませんが回ってみますか。」

 「そうですね。 本当の意味で鬼遣らいが必要なのであれば僕らはその位置を確実に知っておく必要があるかもしれませんし。」

 修と彰久が話している間、史朗はじっと村の観光地図を睨んでいた。

 「塚は…全部で八箇所あります。 但し…その中の二つは鬼の使っていた武器を納めたものなので、関係ないと見ていいでしょう。」

 史朗は地図の上に八つ印をつけ、中の二つを×で消した。

 「鬼の頭の塚は村の北に位置し、南に胴塚というように対になって設置されています。
 北東、北西に腕塚、南東、南西に足塚。これらはすべて目印のようなもので、仲間の鬼が村に入ってこないように、村を囲むようにして塚を配置し、その外側に結界を張りました。」

 これまでになくはっきりとした記憶を口にする史朗を見て彰久は何かを感じ取ったようである。

 「今日は調子いいみたいですね。ちょっと慣れてきましたか? 史朗くん。」 

 史朗はちょっと頬染めて修の表情を窺った。修は穏やかに笑みを浮かべていた。

傍で聞いていた雅人がぷいっと横を向いて意地悪く言った。

 「笙子さんだけで飽き足らず、修さんまで誑かしたんだから気分いいよね。」

 史朗はますます真っ赤になって悲しそうに俯いた。 

 財布を取りに帰った透から変な物音のことを聞いた雅人は、すでに史朗のしたことに気が付いていた。人のいい修が決して史朗を責めないだろうことも、受け入れてしまうかも知れないことも雅人には容易に予測できた。
少々鈍感な透の方は『ウソ。マジ?』という顔で修を見た。修が悪戯っぽくニヤッと笑った。

 「口が過ぎるぞ。雅人。 ごめんね…史朗ちゃん。」

 修が謝ると史朗はいいえというように首を横に振った。 

 「雅人くん…。心配しなくても大丈夫ですよ。
史朗くんはあなたや透くんから修さんを奪っていくようなことはしませんからね。
 彼はただ修さんの傍にいたいだけなんです。なにしろ千年も想い続けてきたのですから。
少しだけ彼に居場所を分けてあげて下さい…。」

 彰久にそう言われると雅人も黙るしかなかった。透がぽんぽんと背中を叩いた。



 儀式のある鬼の頭の塚を後回しにして、修たちは時計と逆周りに塚を巡った。史朗が説明したとおり、塚は全部で八箇所あったが、中には崩れて外形を留めていないものもあり、史朗がいなければ通り過ぎてしまったかも知れなかった。
 
 観光地図には鬼の頭の塚と胴塚しか明記されていなかったのを見ると、いくつかの塚は地元の人からも忘れられている可能性が高い。塚がこのようなひどい状態でありながら鬼遣らいの儀式もあったものではないと鬼将の彰久は嘆いた。

 「さてと、だいたい一巡したようですね。後は鬼の頭を残すだけですが…。」

 「修さん…少し休憩しましょうか…。そろそろお昼ですし…。透くんたちも御腹が空いたでしょう。先ほど通った道沿いにいい感じのお店がありましたよ。」

 彰久の見つけたその店は冬場なら若いスキー客で賑わいそうな洋食屋で、Uターンした若夫婦が経営していた。修は塚についてどのくらい皆が知っているか訊ねてみた。

 「そうですねえ。 昔と違って鬼遣らいは一種の観光用の行事になってますからね。
それ自体は皆知ってますけど…塚は鬼の頭と胴塚…後はその地域の古老しか知らないんじゃないでしょうかね。」

 思ったとおり、ほとんどの塚はその存在を忘れられており、土地の古老が世話をしている塚以外は荒れたままになっている。
いかに人に仇なした鬼の塚とはいえ、哀れという他はない。これで祟るなという方が無理である。

 紫峰家とは異なって、鬼面川では宗教的な側面も兼ね備えているため、彰久や史朗は祀られていない塚の処遇が気になって仕方ない様子だった。 



 約束の四時までにはまだ間があるというので、20分くらい前にラウンジに集まることを決め、それぞれの部屋に戻ることにした。
 
 「スポーツドリンク買いに行って来ていい? お二人さんもなんか飲む?」

 「僕は部屋のお茶でいいよ。 修さんは?」

 修もお茶でいいと言うので、雅人は自分の分だけを買いに出た。
同じ階の自販機の前で、雅人はばったり史朗に出会ったが、ちょっと会釈しただけで無視を決め込んだ。

 「雅人くん。ごめんよ。嫌な思いさせてしまった…。」

ふいに史朗が声をかけてきた。
 
 「でも…信じて…僕は計画的にあんなことをしたわけじゃない…。ほんとに無意識で…。」

 「そんなことどうでもいいよ。僕にとって我慢ならないのはね。あなたという存在。
僕は息子としては絶対に透に勝てない…。 恋人としては笙子さんに勝てない…。

 だからどうしても修さんの右腕として最高の存在になりたかったのさ。
そこへあなたみたいな人が出てきた…結構優秀で人柄もいい…そういうこと。」

雅人は仏頂面でそう言った。

 「それなら問題ないさ 。僕はあくまで笙子さんの右腕だ。現役バリバリのね。
たとえ望まれても修さんの右腕にはならない。」

史朗は笑みを浮かべた。

 「じゃあなに。史朗さんはもし、仕事上、笙子VS修となった場合には笙子さんにつくということ?」

 「当然だ。いくら修さんのことが好きでも公私の区別はつけるよ。
私としての僕は修さんのために命だって差し出すよ。気持ちでは君に負けないつもりだ。

 けれどその前に僕には笙子さんと会社に対しての公としての責任がある。
それを捨てて修さんへの想いだけに走るわけには行かない。

 それにそんなこと修さんが望まない。」

 雅人の前で史朗がこれほどはっきりものを言ったのは初めてだった。見かけほど女性的でしおらしい人ではないんだと雅人は思った。

 「修さんは僕を受け入れてはくれたけれど僕に惚れてる訳じゃない。
そんなこと僕だって分かってる…。それでもいいんだ。僕が好きなんだからさ。

 君の邪魔をするつもりはこれっぽちもないから…心配御無用だよ。
しっかり修さんの右腕ナンバーワンになってくれたまえ…。」

 それだけ言うと史朗は笑いながらポンと雅人の肩を叩いて立ち去った。
雅人のことをまるっきり子どもと見做したようだ。
呆気にとられていた雅人がふと後ろを振り返ると背後に修が立っていた。

 修は一部始終を見ていたようだった。
可笑しそうに口元を歪めながら、雅人に近付くと人差し指をくいっと曲げて頭を下げるように合図した。身長だけは修よりずっと大きい雅人が修の顔の高さに頭を下げると修はそっと耳打ちした。

 「妬くな。 焦るな。 背伸びをするな。」

 『えっ?』雅人は修の顔をじっと見た。修は黙って笑っていたが、突然、苦しそうに顔を歪めて額を押さえ、雅人の方に倒れ掛かった。

 「どうしたの? 修さん! 大丈夫?」

 「頭が…物凄く…痛くて。 透もきっと…苦しんでる。 何かが…動き出した…。」

 修は立っているのがやっとのようだった。あの声だ。雅人は大きな波動を感じた。
しかも今までよりもずっと強力な。
修を支え、部屋まで戻ると、透が頭を抱えて転げまわっていた。

 とにかく何とかしなくては…。
雅人は自分のUSBメモリタイプのプレーヤーのイヤホンを修に、透のを彼の耳にセットして大音量で曲を流した。そして曲の波長を例の声とぶつからせるように力を使って変化させていった。
 巧く打ち消し合ってくれよ…。
祈るような気持ちで苦しむ二人を見ていた。




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二番目の夢(第七話 閑平(やすひら)千年の想い人)

2005-07-15 22:53:53 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 「父は決して話すなと…。人間というのは際限のない生き物だから僕に力があると分かれば、できるかどうかなんて考えなしにどんどん要求を増やしてくる。そうなったら死ぬほど辛いぞと言うのです。」

隆平はそう話した。修は真剣な顔をして隆平の言葉に耳を傾けた。

 「お父さんの言うとおりだね。でも君自身はどう思ってるの? 皆を助けたいと?」

 隆平は大きく頷いた。まだ世間に汚されていない彼の正義感は強く、微笑ましくもあるが修はその理想のためにさんざんな目に遭った友人の顔を思い浮かべた。

 「祖父は汚名を遺したけれど、僕はこの村を救った鬼面川将平の子孫です。力を持っている以上は、皆の役に立ちたいと思っています。」

 「いかん!そんなことは許さんで!」

 修の背後に隆弘の姿があった。酒を取りにきたようで、カラのお銚子を持っていた。
テーブルの上にそれを置くと修の方に向かった。

 「この子の母親は鬼に喰われたのです。当代にこれといった力がなく、少しだけ力を持っていたこれの母親はずっと身代わりをしておりました。
 
 運の悪いことに、この子が産み月に入った時がたまたま鬼遣らいの時期と重なってしまったのです。いつもと違う様子を鬼が嫌ったのかどうなのかは分かりません…。
待てど暮らせど現れない家内を呼びに祈祷所へ入ると、全身血まみれになって倒れておりました。
すぐに病院へ運びましたが帝王切開でこれを産んですぐに亡くなりました。 

 この子に力があると分かった時、私は決心しました。大事な息子を馬鹿げた慣習に殺されるようなことだけは避けにゃならん。力のことは誰にも話すまいと。」

 隆弘は真っ直ぐ修の目を見た。これだけは何があっても絶対に譲らないという強固な信念が隆弘の全身から溢れて出ていた。修は大きく頷いた。
 
 『お~い。 隆弘。 酒まだかあ~。』

座敷の方から呼ぶ声がした。

 「すぐ行くで。 待っとけ。」

隆弘はそういうとその辺りにおいてあった一升瓶の首を両手に掴んで部屋を出て行った。

 隆平にも父親の気持ちは分かっていた。だからずっと言うなりに黙っていたのだ。
しかし、当代が亡くなって次の長を選ぶことになり、隆平の気持ちが大きく揺らいだのだった。

 「朝子伯母さんとこの道夫さんが長になりたがっているのです。
面川の長は村長をも動かせるから村では結構いい目が見られると考えているのです。
 でも、あの人には何の力も備わっていません。選ばれれば大変なことになるでしょう。」

 「誰がなっても…同じだ。」

修は意味有りげに笑った。隆平は驚いたように修を見た。

 「何もかもが鬼の祟りと考えてはいけない。鬼を押さえ込んでも自然災害は止められないよ。

 相手が自然なら、たとえ君にどれほどの力があったとしても、被害を最小限度に抑えられるように力を尽くすことしかできないだろう? 

それは長でなくてもできる仕事だ。

 もし君が本当に村のためを思うのであれば、あえて長という形をとる必要はない。
普通の少年であってもその力を有効に使えばいいのさ。 
 むしろ他に長を置いておいて人知れず力を使ったほうが動きやすいと思うよ。
余計な期待をかけられずに済むしね。それとも君は誰かに賞賛されることを望んでいるのかい?」

 隆平は首を振って否定した。修は嬉しそうに微笑んで頷いた。
隆平の心に重くのしかかっていたものが少し和らいだ気がした。



 いつまでたっても終わりそうにない宴会を、強引にお暇して切り上げてきた修たちは、旅館の温泉でくつろいだ後、木田、紫峰に分かれてそれぞれの部屋に戻った。
 部屋はどこもだいたい同じ造りらしく、奥の間と居間、上がり口と玄関に分かれていた。
それぞれに個別の風呂もついていたが、やはり温泉宿というからにはゆったりした大風呂が一番だ。
 
 透と雅人は隆平の誘いで旅館の近くのカラオケボックスに行くというので、修が奥の間に寝ることにした。できるだけ早く帰るからねとか調子のいいことを言っていたが、当分帰ってこないだろうなと修は思った。

 宴会が昼間のうちに始まったので、帰ってきたのもそんなに遅くは無かったが、昼間の運転の疲れもあって修は早々に休むことにした。  

 多少なりと勧められた酒を飲んだこともあったのか、いつの間にか眠りに落ちていた。
どのくらいたったのか、ふと人の気配を感じたような気がして目を覚ますと、修の顔の前に人が迫っていた。修は思わず突き飛ばした。
 暗がりの中でそれが史朗であることに気づいた。

 ばたばたと足音がして玄関から声がした。とっさに修は史朗の身体を布団で隠すと、史朗の口を押さえて静かにさせた。透の声がした。

 「修さん変な音がしたけど大丈夫?」

 「別に…どっか寝ぼけてぶつけたかも知れないけど。もう帰ってきたのかい?」

修は史朗を押さえ込んだまま言った。

 「財布忘れたんだ。まだしばらく遊んでくる。」

 「気を付けて行っておいで。」

来たときと同じように透は駆けていった。
 

足音が消えてしまうと修はほっと息をついて史朗を放した。

 「君の体格で僕を襲うのは無理があるよ。史朗ちゃん…。」

 片や180センチの修に対して史朗は170センチ強。細身だが筋肉質の修に対して、標準型の史朗。勝負あったというところか。

 「ぼ…僕。修さんを襲ったんですか? 眠れなくてふらっと外に出たのは覚えてるんですが…。
ごめんなさい…な…何か酷いことしませんでした? 」

 「君こそ怪我しなかったかい? 相当な勢いで突き飛ばしちゃったからね。」

 別段怪我はしていないようだったが、史朗はショックでしょげ返っていた。 

 「まだ酔ってるんでしょうかね。こんな醜態をお見せするなんて…。」

 本人は悪酔いしたと思い込んでいるが、修は史朗がそこまで酔っているとは思えなかった。
史朗とは何度も一緒に飲んだことがあったが、いままで酒で乱れたことなど一度もなかった。

 「史朗ちゃん…。気にしなくていいよ。別に殺しに来たって感じでもなさそうだからさ。」

 「当たり前じゃないですか! 何で僕が修さんを…大切な人なのに…!」

そう口走ってしまってから史朗は悲しそうにうつむいた。

 「迷惑ですよね…。」

なんと応えるべきか修は一瞬迷ったが、やがていつものように微笑んだ。

 「聞かなかったことにするのは失礼だよね…。だからちゃんと応えます。
その前に訊かせてくれないかな? それは史朗ちゃんの気持ち? それとも閑平…の?」

 史朗は少し間をおいて語り始めた。それはまさに閑平からの恋文だった。
 
 「樹さまのご逝去を伝え聞いた時の私の悲しみをお察し下さい…。父と私のためにまだ生きられる命を捧げてくださった樹さまになんとお礼を…そしてお詫びを申し上げたらよいのか…。
 閑平は幼き頃より、いつも秘かに樹さまに淡き想いを抱いておりましたが、お伝えする機会もついぞなく儚くなりました…。」

 「閑平…か…。千年前の想い…確かに受け取ったよ…。

 史朗ちゃん。僕の声…聞こえてる? 君のことは好きです。 迷惑なんて思わないよ。 
でも今のところ僕の心は君にフィジカルなものを求めてないようなのでそれだけはごめんね。
僕にとってそういう相手は笙子だけだから…ね。 今は…だよ。
 
 そうだな…もし言葉だけではだめだというのなら…キスくらいは許します。
分かる…? 史朗ちゃん。」

 呆然としている史朗に修はそう話しかけた。次第に史朗の意識がはっきりしてくると同時に、薄暗がりの中でもはっきり分かるほど史朗の顔が紅潮した。

 「僕の想いが迷惑じゃなければそれで…。それだけで十分です…。それ以上のことは望みません。」

 閑平の樹に対する想いなのか…それとも史朗の修に対する想いなのか…何れにせよこの二人の想いはあまりに純粋で拒絶しがたいものがある。
 純度の高い愛は性別さえも超越してしまうのかも知れないと修は思った。

 まあ恋人と呼べるのか呼べないのか分からないけれども、取り敢えずは史朗は自分にとってそういう人のひとりになったんだろうな…。

笙子が腹を抱えて笑いそうだけれども…。

そんなことを考えた。



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二番目の夢(第六話 鬼の村)

2005-07-14 19:46:30 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 修が定休以外に続けて休みを申請したことがよほど珍しかったのか、会う人ごとに事情を聞かれて閉口した。考えてみれば、紫峰家での行事は休みにあわせていたから、入社以来ほとんど有給もとっていなかったことに今頃気付いた。たまには休みもとっておかないとそのうちとんでもないことになりそうだと修は深く反省した。
 
 修たちは二台の車を連ね、彰久と史朗の故郷といわれる村を目指した。
紅葉には早いものの、空が高く青く澄んでいて、これが目的のない旅ならどんなに気持ちのよいことだろう。季節の変わり目で観光客も少なく走行も快適である。

 都会の朝の混雑を避けて相当早くに出発したにも変わらず、村の入り口が見えてきた時にはすでに昼食時を過ぎていた。道路沿いの小さなドライブインで遅い昼食を済ませた後、取り敢えずは宿の方にチェックインして荷物を置くことにした。



 宿で手紙の主である鬼面川の家を訊ねると、今は面川と書くのだそうで、親戚だという女将がすぐに連絡を取ってくれた。部屋で待っていると女将が急いでやってきた。

 「じきに分家さんが迎えにみえますそうで…。まあそれにしても懐かしいことだわ。
先代のご家族がこの村を出なさったのは、私が今の木田さんたちよりずっと子どもの時分だったんですよ。
 ああそうそう…彰久さんのお義兄さまもご家族と一緒にお越し下さいとのことでしたよ。
まあほんと惚れ惚れするようないい男。先ほどから仲居たちが大騒ぎでしてね。
こんな大きなお子さんが二人もいなさるとはとても思えませんね。」

 女将の誤解に思わず皆笑みを漏らした。彰久は笑いを堪えて言った。

 「女将さん。それはあんまり紫峰さんが可愛そうですよ。義兄とは言っても僕より若いんですから。この子たちは紫峰さんの従兄弟さん。」

 女将は口を押さえ、しまったという顔をした。

 「これは失礼なことを…いくらなんでもおかしいとは思ったんですよ。あんまりお若いから…。
ええっ? いま確か紫峰さまと…? 紫峰さまとおっしゃるのですか? 」
 
 素っ頓狂な声を上げて女将は修に訊いた。

 「そうですが…なにか? 予約のときにも名乗ったはずですが…。」

 修は怪訝な顔をして女将をみた。

 「うわ。何てことを。重ね重ね失礼致しました。受付の者が漢字を間違えたんですわ。
『紫峰さま』が『柴峰さま』になっておりましたので。
 鬼面川の言い伝えに紫峰さまの名が出てくるのです。

 これは大変だわ…本家に知らせなければ…。それではごゆっくりと…御免くださいませ。」

 女将は慌てふためいてその場を離れた。

 「やれやれ忙しい人だ。 それにしても紫峰家の名前がいまだにこの村の言い伝えに残っているとは思いませんでしたね…。」

 彰久が言った。修たちも頷いた。
 
 「あなたが遺言されたんですよ。彰久さん。」

 史朗がまた、知らないはずのことを口走った。皆の視線を浴びて史朗は赤面した。

 「やだな…どんどんひどくなる。」

 「思い出した時には黙ってないで話した方がいいですよ。史朗くん。
誰もあなたのことを変に思ったりはしません。 我々にとってはいい情報源になりますしね。」

 彰久は慰めるように言った。
 
 「彰久さんの記憶は、今のところこの村へ移住するまでの出来事がほとんどでね。
そのうちに思い出すだろうけど、ここへ来てからのことは君の記憶の方が確かかもしれない。」

 修にそう言われてもはっきりとした記憶などひとつもなく、史朗の不安はつのるばかりだった。



 鬼面川家つまり現在の面川家から迎えが来たのはそれからしばらくたってからだった。
手紙をよこした面川末松という老人ではなく、その息子の数増という50代くらいの小柄な小父さんがやって来た。

 「よう来たな。 待っとったで。 」

 ニコニコ笑いながら5人を自分のワゴン車に乗せて面川の本家まで連れて行った。
本家は旅館から道なりに九十九坂を登りきったところにあって、坂さえなければたいした距離ではなかった。 
 
 紫峰家は一族が戦後、今の土地に移るときに新しく居を新しく構えたので比較的新しい屋敷だが、ここは何とも古めかしい。しかし、どう見ても千年は経っておらず、せいぜい百年前後というところだった。

 「お~い。 隆平。 木田の衆のお着きだぞ。」

 数増が玄関から呼ぶと、透や雅人と同じくらいの少年が慌てて出てきた。玄関にきちんと正座して皆を迎えた。

 「ようこそ おいでくださいました。」

 「これは亡くなった当代の嫡孫で隆平。本家にはこの隆平と父親の隆弘がおる。
隆弘は本家の婿さんだ…。隆平、親父さんはどこだね?」

 数増が訊くと隆平は奥をチラッと盗み見るような仕草をしてから答えた。

 「さっきまでいたのですが…何か手配に出たのでしょう。 お呼びした皆さんはすでにお集まりです。 さあ、木田さま、紫峰さま、どうぞお上がり下さい。」 

 隆平の案内で奥の座敷へ行くと親族と思われる人々が5人ほど集まっていた。
上座にいるのが末松なのだろう。高齢の男性が仏壇の前に座っていた。

 「奥からご紹介しますと、末松大叔父さま、左が朝子伯母さまと従兄の道夫さん。
右が弁護士さんの大塚さんと亡くなった当代の友人で村長の河嶋さんです…。
皆さん…こちらのお二方が、彰久さんと史朗さん。こちらのお三方が紫峰家の方々です。」 

 戸口で跪いた隆平は双方の紹介をした。面川の人たちが深々と礼をしたので修たちも正座をして丁寧に挨拶を返した。 

 「遠い所を申し訳なかった。さあ…こちらへ。」

末松が上座へ手招いた。
その時、隆弘と思しき人が、お手伝いさんと一緒にお茶や、茶菓子などを運んできた。
出かけていたわけではなかったようだ。

 「隆弘も帰ってきたようだから…酒が入らんうちに話をしたらどうかね。爺さま。」

数増が末松を促した。末松が頷いた。

 「事情を知らんお人の前だで、簡単に説明すると、この村では毎年『鬼遣らい』という儀式を行って村の安全を祈願する。
その中心となるのが面川の当主でな。当主は代々鬼を鎮める力を持つ者が務めるのが本当だった。

 ところが先代が亡くなった時に次兄がごり押しをして自分が当主に納まってしまった。
彰久と史朗の婆さまを二人の倅ともどもぼい出してな。

 次兄には鬼を鎮める力なんぞありゃせんかった。その後、村では大水がでるわ、山津波があるわ、冷害になるわでな。村はさんざんな目に遭った。」

 腹立たしげに末松は言った。

 「次兄が亡くなったいま、今度こそは正しい者を選らばにゃならんで、彰久と史朗にも帰ってきてもらったというわけだわ。」

 彰久と史朗は顔を見合わせた。とんでもないことだと思った。

 「しかし、そんな力は僕らにもありませんよ。万一あったとしてもいまさらこの村には戻れませんし…。第一どうやってその力を見分けるんですか?誰がその人を選ぶのですか?」

彰久は訊いた。末松は湯飲みからお茶を一口飲むと続けた。

 「鬼が決めるわ。鬼の頭の塚で儀式を行ってな。鬼が気に入れば印が現れる。
気に入られなければ喰われるで…。」

その場に緊張が走った。

 「爺さま。またそんなことを…。心配ないで。ちょっと弾かれる程度のもんだわ。
こいつじゃないでってな。」

 数増が取り繕うように言った。

 「明日儀式をするで…。隆弘…準備しておいてくれや。」

末松は隆弘に声を掛けた。隆弘は黙って頷いた。

 この隆弘という人には何か胸に秘めた思いがあると修は感じた。また、その隆弘を見つめる息子の隆平にも何かしら感じるものがあった。

 話したいことだけ話すとその場は彰久たちの歓迎の宴に変わった。
近所の衆や他の親戚も加わって飲めや歌えの大騒ぎ。普段こうした宴会に不慣れな研究者の彰久は調子を合わせるのに四苦八苦。史朗は経営だけでなく時には営業も担当するので、結構場に溶け込むのが早かった。

 大人たちの騒ぎに閉口した雅人や透を隆平が誘い出した。隆平は座敷から離れた台所脇の部屋に自分の食事と一緒に雅人と透の食事も用意しておいてくれた。

 「あんな所で食べたくないでしょ。落ち着かないし。」

なんだかんだ三人で盛り上がっていると修がやってきた。

 「楽しそうだね…。」

 「あっ…紫峰さんも何か召し上がりますか?」

隆平は立ち上がろうとした。

 「いや…有難う…あちらで十分頂きました。それより君に訊きたい事があるのだけれど…かまわないかな?」

 隆平は素直に頷いた。修は優しい笑みを浮かべた。 

 「君はなぜ…黙っているのかな? 君にあるその力で十分だと…僕は思うのだが…。」

隆平ははっとして修の顔を見つめた。この人は知っている。僕のことを分かっているんだ。
そう感じ取った。もしかしたら助けてもらえるかも知れない。
隆平の中にそんな淡い期待が膨らんだ。





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二番目の夢(第五話 癒えぬ傷)

2005-07-13 16:17:45 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 「ええっ? それ誰なんですか?」

なにがなんだかさっぱり分からない会話を目の前でされても、史朗は戸惑うばかりだった。
修と彰久は顔を見合わせて可笑しそうに笑った。

 「なにね…。修さんが言うのは、君は前世で僕の息子の華翁だったらしいということなんですよ。」

彰久は言った。『前世って…どうかしてないか?この二人?』史朗は目を丸くした。

 「これは芝居じゃないぜ。史朗ちゃん。実はね。この間、偶然、僕らの記憶が一致してね。
千年前に友人だったことが分かったんだ。

 で…君の今の記憶も千年前のものなんだよ。しかもその記憶は彰久さんの前世、鬼面川将平の嫡男で華翁という人のものなんだ。」

『完全にいかれてる…。』史朗は天を仰いだ。千年って…そんな記憶が残ってるわけが無いだろ…。でも…待てよ。華翁という言葉には覚えがある。

 「華翁…鬼面川…閑平(やすひら)…。」

史朗は呟くように言った。彰久が頷いた。

 「そうです。史朗くん。思い出しましたか?」

 「少しだけ…でも信じられません。信じたくもありません。」

史朗は明らかにパニック状態だった。修はこれ以上史朗を混乱させるのは酷だと思った。

 「いいよ。信じなくても…。無理することはない。
こんなことそう簡単に理解できるもんじゃないんだから…。

 彰久さん。 それでいつ発ちます? あなたひとりでは危険ですよ。 
僕が御伴します。 どうやら村には小さな温泉宿があるようですから、旅行と称してそこに待機しています。 何かあればすぐに動けるでしょう。」

修のその言葉に彰久は微笑んだ。

 「嬉しいですね。 あなたが来て下されば心強いことこの上ない。仕事のこともありますので、今すぐというわけにはいきませんが…来月早々でいかがでしょう。」

 「ぼ…僕も行きます。このままじゃなんだか寝覚めが悪いし…。」

史朗がそう言うと二人はまるで父親のような優しい眼差しで史朗を見つめ、心から嬉しそうに頷いて見せた。




 洋館の大きな窓から夕闇に包まれたモノクロの景色を見ていると思い出したくもない過去のことが浮かんでくる。
あの林は…笙子と自分の隠れ場所。幼い二人が心と身体に受けた傷をなめあってきた場所…。

 「話してしまえばよかったのに…。」

不意に背後から笙子の声がした。後ろからそっと笙子は修の腰に手を回して抱きしめた。

 「笙子は心を病んでいてどうしようもないんだって…誰にも治せないんだ…てね。
どうしてそこまで庇うの…?何で自分を悪者にしちゃったりするの…?」

 修は答えなかった。背中に笙子の温かい身体が触れる。柔らかな香りが修を包み込んだ。

 「酷いことばかりしてるわ…私。 あなたの目の前でだって平然と…。」

 「もう…いいよ。何も言わなくていい…。
遊びに理由が必要だというなら、全部僕のせいにしてもかまわない…。

 そうしておけば、誰からもから君が指を指されることもない。
誰も理解してくれなくても…何を言われても…僕は平気だ。」

 笙子が手を離して修の横に並ぶと修がそっと肩を抱いた。

 「忘れないで…笙子…。君が僕を護ってくれたんだよ…。君のここで…僕は生き延びた。」

笙子の腹部に修の手が触れた。笙子の頬を思いがけず涙が伝った。

 「僕を救ったのは…間違いなく君自身の胎なんだから…。」

 「私の…? これは本当に私のものかしら…?」
 
 修は思わず笙子を抱きしめた。癒してやれないのか…この傷を…この苦しみを。
自分の身体を自分のものと信じることができないもどかしさを…。
 どれほどの大きな力を持っていようと人の心を前にしてはなす術もなく…全くの無力…。
ただ笙子のありのままを何もかも受け入れてやるしかない。それが今の修にできることのすべてだった。



 外の世界で戦うとなれば長い間の紫峰家の沈黙を破ることになる。
できる限り無関係な人と関わらないように細心の注意を払わなければならない。
紫峰家の不思議な力の存在を世の人に知られてはならない。

 「宗主のおまえが禁を犯すというのだから、それなりの訳があるのだろうが…。」

紫峰の力を使うことになるやも知れないと断りを入れてきた修に一左は言った。

 「身内が二人関わっています。玲子の婚約者と笙子の彼氏ですが…この二人は鬼面川の一族で…。」
 
 「あの将平と閑平…か? では…彼等もおまえと同じで先祖の魂を引く者…だな。 
珍しいことだ。 これほど身近にそういう者が何人も現れるのは…。 
その事自体に何か大きな意味があるに違いない。」

 一左はしばらく目を閉じて考えた。これが必至のことであるならば反対しても無駄なこと。
紫峰が外に力を向けるのは何もこれが初めてというわけではない。
つい百年くらい前までは時にはそうせざるをえないこともあった。

 「藤宮には借りがある。ここできっちり返しておきなさい。手を貸して差し上げたらいい。」

 一左が許可を出すと修は深く礼をした。宗主といえど隠居の意見には敬意を払うのが暗黙のしきたりだ。  

 「修…どうせなら息子たちにも実践訓練をさせたらどうかね。いい機会だと思うが…。
連れて行ってもあの二人なら足手纏いにはならんだろう?」

 思いついたように一左は言った。修はちょっと眉を上げて頷いた。

 「そうですね。多分…来るなと言っても来るでしょうよ…。
そこのふたり! 馬鹿やってないで顔をだしなさい!」

 修がそう言うとばたばたと階段を降りる音がして透と雅人が一左の部屋まで猛スピードで駆け込んできた。

 「あはは…。覗き見かね…。困った奴らだ…。」

 孫たちの泡食ったような顔を見て一左は笑った。

 「修…気をつけた方がいいぞ。新婚さんの部屋を覗いてしっかり…保健の勉強をしとるかも知れん。わははは…。」

 眉を顰めて修は二人を見た。二人は思わず一歩退いた。

 「まあ…気付いてはいたけどね。で…何か勉強になりましたかね?」

 二人はぶんぶんと首を横に振った。

 「だろうね…。まあ…それはそれとして…。
聞いていたと思うが、来月早々に出かけることになった。今のところ相手も特定できないし、正直どんな状況に陥るかも知れない。十分気を引き締めてかかること。
いいね…。」

 修が念を押すと二人はまた無言でうんうんと頷いた。

 「えらく静かじゃないか…? まだ何か悪さしてたのか? 」 
 
 「してないってば…。ただ…気になっただけで…。」
 
 『あっよせ!』雅人が顔を顰めて透を止めようとしたが透がうっかり口を滑らせた。
 
 「何が…。」

 「修さん…抱き合ってても以前ほど楽しそうに見えないから…。」

修は愕然とした。『よくそこまで観察してるね…。』
 正直いって痛い言葉だった。癒してやりたい一心で、今の修はまるで笙子の保護者のようになってしまって、笙子との逢瀬を楽しむ余裕がなかったことに気が付いた。そのことがかえって笙子の心に負担をかけているのかもしれない。

 「ふ~ん。覗きは1回や2回じゃなかったわけだ。僕もいちいち気に留めてなかったけど…。
まさか何もかんも見てたとか…?」

 「そこまで失礼なことはしてませんですぅ…。修さんひとりじゃないんですからぁ…。」

 「ごめんなさいです…。もういたしませんです…。」

 一左が腹を抱えて笑っている。修も馬鹿馬鹿しくなってそれきり二人を叱らなかった。
軽く旅に出ることになった経緯を話し、必要な準備をしておくようにとだけ指示した。



 旅の準備をしながら史朗は不安で胸が一杯になっていた。いくら親戚とはいえ見も知らぬ人のところを訪ねるのだし、人が亡くなっている上に、鬼だの、生まれ変わりだの、訳の分からないことを言う人たちと道連れ…。

 ふいにあの修のあの視線を思い出してぞっとした。
『…殺すからね…。』は多分本気なんだろう。『僕は絶対に裏切ったりしないってば…。修さん信じてくださいよ…。だって…。』
 仕度の手を止めて史朗はちょっと溜息をついた。史朗の脳裏に浮かんだのは修のようで修ではない人の顔…。『樹さま…。』と史朗はその人の名を呼んだ。その声ではっと現実に戻った。

 何を口走ってるんだ僕は…。こんなこと今まで一度もなかったのに…。あの二人に影響されてどこかおかしくなったんじゃないだろうな。
自分だけでもしっかり現実を見ていなくちゃ…と史朗は思った。




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二番目の夢(第四話 時を越えて)

2005-07-11 16:30:47 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 人と人とが時代を越えて巡り会う。そんな奇跡があるのだろうか。
夜半過ぎにひどく興奮した彰久から突然電話がかかってきた。それは時を越えた鬼将からのメッセージだった。
 『俺は無事だ…樹…。』
 訳もなく涙が溢れて、お互いに何も言えぬまま電話口で泣き崩れた。
千年の時を越えての知己との再会だった。

 考えてみれば、ソラと修の再会も時を越えたもの。修はその奇跡に感謝した。
しかし同時に、彰久が鬼将であるとすれば、あの手紙がやがて彰久にとんでもない難題を運んでくるのではないかと、そんな不安も湧き上がってきた。
どうか鬼将が二度と苦しい思いをすることの無いようにと願わずにはいられなかった。



 
 史朗が紫峰家を訪ねたのは最初の手紙を修に見せてから一月ほど経ってからのことだった。
いつもなら笙子のマンションか仕事場での対面となるが、紫峰家に来たのは初めてのことで史朗は最初から気後れのしっぱなしだった。

 広大な敷地内には母屋を始めいくつかの建物があるらしく、門扉のインターフォンで案内を聞いたところでは、修はいま奥の別館の方にいるらしい。

 『御車でそのまま道なりにいらしてくださいませ。』

 その言葉に従ってしばらく車を走らせるとこじんまりした洋館が見えた。
もともと修の両親の家であるこの洋館は、修にとってはあまりいい思い出のない場所なので長い間管理人だけを置いていた。
 今でもほとんどは母屋で生活しているものの、一左が無事戻ってきたのを機に時折ここの洋館でプライベートな時間を過ごすようになっていた。

 居間に通された史朗は、窓際の小さな洋風の文机でパソコンに向かっている修に声をかけようとしたが、この前の赤面事件を思い出して少し躊躇った。

 「史朗ちゃん…。ちょっと待ってて。すぐ終わらせるからね。」
 
 修は史朗の方を見ることなくそう言った。史朗はすぐ傍のソファに掛け、修が仕事をする姿をじっと見ていた。

 お手伝いさんと思われる初老の女性がお茶を運んできた。洋館に相応しく、紅茶やコーヒーのセットに色とりどりの手作りのお菓子が添えてあった。

 「お多喜…後からもうお一方お見えになるからね…。」

やはり顔を上げもせず、修がそう言うとニコニコと笑いながらお辞儀をして出て行った。

 「さて…と。お待たせしました。」

修はパソコンを閉じると、史朗の向かいのソファに座った。

 「また手紙が来たんだって…?」

史朗は急いでポケットから二通目の手紙を取り出した。

 「僕…ほっとくのはよくないと思ったんでお悔やみの手紙を送ったんです。
父が亡くなっていることや、僕らはもう一族を離れた者だから、いない者として考えてくれればいいとも書きました。
 そうしたら…いろいろ問題が生じているのでぜひ一度里帰りして欲しいと…。」
 
 差し出された手紙を修は速読した。例の頭痛ほどではないにせよ、忌まわしい気配がこの手紙には漂っていて破り捨てたくなるような衝動に駆られた。

 「史朗ちゃん…。悪いことは言わない。この村へは絶対ひとりで行かない方がいいよ。」

 修の忠告に史朗は大きく頷いた。
理由は聞かなかった。史朗自身も気味の悪さを感じていたからだ。

 「彰久さんのところにも二通目が届いたようだから…彼が来たら何か対策を考えよう。
とりあえずお茶でもどうぞ…。コーヒーがいい?」

 修はコーヒーのポットをとって史朗のカップに注いでやった。史朗がカップを受け取ると、自分もコーヒーを注いで飲み始めた。

 修はいつも史朗に親切だった。
笙子とのことを知らないわけではないのに史朗を責めることはしなかった。
 そればかりか何かあると相談相手になってくれたり、何かの時には手続きや手配をしてくれたり身内のように接してくれる。
後ろめたいことのある史朗にとってはそれが心から申し訳なく感じられた。

 「修さん…ごめんなさい…許してくださいとは言いません。本当にごめんなさい…。」

 唐突なお詫びに修の方が少々面食らった。
 
 「なに…? 急に…。」

 「僕…本気です。いい加減な気持ちじゃないです。
 笙子さんの会社を笙子さんと一緒に世界一にするのが僕の夢なんです。
一生懸命働きますから…。
 がんばりますから…嫌わないでください。修さんに嫌われるのは悲しいです。
虫が良すぎるのは分かってますけど…。」

 史朗は思いっきり頭を下げた。鳩豆状態の修は一瞬言葉に詰まったがすぐに気を取り直した。

 「別に嫌ったりなんかしないけど…。驚いたね。そんなに気にしてたんだ。」

 そう言って笑った。今度は史朗の方が戸惑った。

 「君が笙子のことを裏切ったりしない限り、僕は何も言う気はないよ。
笙子のビジネス上のパートナーとしては君より最適な人はいないと思っている。
 あとのことは笙子の気持ち如何の問題で…僕にとってはどうでもいいことさ。」

 穏やかな表情で修は史朗を見つめた。『どうでもいいなんて…。』と史朗は思った。

 「誤解しないでくれよ…。僕に全く嫉妬心がないなんて言わないし、人並みに独占欲もあるよ。
だけどね…。笙子と付き合ってもう20年以上だよ。三つくらいの年から一緒にいるんだ。
 いちいちかまってられないよ。あの浮気癖に…。」

 『確かに…。』と史朗は再び思った。出会ってから付き合い始めるまでの数年を含めて足掛け6年余り、笙子の気の多さにははっきり言ってお手上げ状態。もうどうとでもしてくれという修の気持ちはよく解る。

 修に同意するように目を向けた瞬間、史朗は凍りついた。修の顔から笑みが消え、まるで作り物のような固い表情に変わっていた。視線だけがえぐるように史朗に向けられている。

 「けれど…君のことは浮気だとは思っていない。きみは笙子にとって特別な人なんだろう。
笙子の求める何かを与えてあげられる人なんだろう。そう考えてる…。
それが彼女にとって大切なことなら…それはそれでいいさ。

 言っておくけど…僕は君が思っているほど寛大な人間じゃないよ。

もし…笙子を泣かせたら…殺すからね…。」
 
 最後のその言葉に史朗は震え上がった。
これまで一度も見せたことのないような視線を向けられて、修の本音だとはっきり解った。
修の中に存在する両極を垣間見たような気がした。



 「穏やかじゃありませんね。修さん。」

 お多喜に案内されて彰久が現れた。
 
 「お待たせして申し訳ない。史朗くんお久しぶり…。」

 彰久は二人の方へ近付いてきた。かちこちになっている史朗の肩を叩くと、修の顔を見ながら言った。

 「大丈夫ですよ…史朗くん。この人は本当に優しい人だから。
だけど時々怖い芝居を打つんですよ…。 あなたは昔からそうだ。
そうやってよく自分を悪者にしては相手の気持ちを救っていた…。」

突然、くっくっくっと堪えきれぬような笑い声を上げて修はいつもの笑顔に戻った。

 「敵いませんね。あなたには…。史朗ちゃんひとりなら巧くいったものを…。
史朗ちゃん。ほんと気にしなくていいからね。好きなだけ笙子の我儘に付き合ってやって。」

 今度は史朗が鳩豆状態に陥った。
修はわざと悪ぶったのか…?僕の罪の意識を軽減するために?そういうことも確かにあるかもしれない。だけどすべてじゃない。それがすべてと信じるほど僕は子供じゃない。

 「修さん。史朗くん。僕はこの村へ行ってみようと思っているんです。
この手紙はとても嫌な気配を運んできましたが、このままにしておけば、ますますこの気配が強くなるような気がするんですよ。ほっておいても何か嫌なことに巻き込まれそうで…。」

 声をかけられて史朗ははっと我に返った。

 「実は彰久さん。僕もその気配を感じました。こんなことを信じてもらえるかどうか分かりませんが、少し前からとんでもなく大きな声で何かを訴えてくるものがあるんです。
鬼とか…村とか…。あと…結界…塚…。」

 修は思い切って声のことを話した。本来なら外部の者には口が裂けても言ってはならないことだが、彰久と史朗はすでに修にとっては一族も同じだった。

 「何でしょうね…。いまの僕の力では到底分かりかねますが。記憶では…村に入った直後の出来事のようで何か封魔めいたものを感じます。」

 彰久は首を傾げた。

 「それは『鬼遣らい』では…?」

 史朗が突然思い出したように言った。
修も彰久も史朗の方を驚いたように見た。

 「あ…余計なこと言いましたか? 僕の記憶の中にそうしたものがあるので…。」

修と彰久が顔を見合わせた。史朗もまた誰かの魂を引いているのだろうか?

 「詳しく話してくれないか。」

修が言った。史朗は頷いた。

 「鬼将が村に初めて入った時、村長が鬼に憑かれていて臥せっていました。
鬼将は力を使って鬼を倒し、甦らぬようにばらばらにして塚に納めたのです。
それから鬼が祟らぬように毎年『鬼遣らい』、つまり鬼祓いをするようになったということで…。」

 史朗はそう話してから自分で驚いたような顔をした。

 「えっ? 何でこんなこと知ってるんだろう? 鬼将って誰?」 

 修はじっと史朗を見つめた。史朗の中にある遠い過去の記憶。
稚児姿の鬼将に似て精悍な顔つきの少年。 
 彰久もまた史朗を見つめた。現世では従兄弟同士だが前世ではさらに強い結びつきがあったのだろうか…?

 二人にまじまじと見つめられて史朗はなんとなく気恥ずかしくなった。

 「将平…これは…おまえの倅ではないか。嫡男の華翁だ。」

 「なに…華翁と?」

 彰久は史朗の顔をさらに見つめた。
華翁ならその記憶があって当たり前である。ずっと鬼将と行動をともにしていたのだから。

 千年の時を越えてまたひとり不思議な縁で結ばれた者が現れた。




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二番目の夢(第三話 鬼将)

2005-07-09 16:18:27 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 樹のいた時代には加持祈祷などが頻繁に行われていて、少しでも祈りの力があると評判になった者は時の権力者に抱えられ、地位と名誉を手にすることができた。
 
 その中に鬼面川将平(おもがわまさひら)がいた。
鬼面川の家は紫峰や藤宮のように一族の中に何人も不思議な力を持つ者がいるわけではなく、将平ひとりが特別な人だった。

 将平は自分の欲のためではなく、力を持つものは人を助けるのが当たり前と考えていたので、労を惜しまず人のために働き続け、皆から期待され頼られる存在となった。

 力の存在を世間の眼からできるだけ遠ざけて、権力者相手には頼まれれば仕方なく…の姿勢を保ち続け、地位だの名誉だの礼金などは一切受け取らない紫峰や藤宮とは異なり、将平の力は時代のスターのように多くの権力者の寵愛を受けもてはやされた。

 ところがどの時代でも出る杭は打たれるの理のとおり、やがて将平は同業者からの妬みを買い、権力者たちの争いに巻き込まれ、迫害を受けて逃亡する羽目に陥ったのである。

 その優れた力によって、期せずして地位も名誉も金も手に入れることができた将平は、長男のために藤宮の姫との縁組を希望した。当時、藤宮にはまだ幼いが美しい姫がいて、この姫には近隣の名家から沢山の申し込みが来ていた。

 たまたまこの姫はある権力者の長男のもとへ嫁ぐことが決まったのだが、決まった途端に相手が亡くなってしまったのである。
 これ幸いと同業者たちは権力者に嘘八百並べ立てた。将平は自分の長男の嫁取りのために権力者の息子を呪い殺したと…。しかし、真実は身内の家督争いで謀殺されたに過ぎなかった。

 無実を証明できないまま、苦しい立場に置かれた将平に追い討ちをかけるように、藤宮の姫を始め、姫の両親、兄弟などが次々と不可解な死を遂げ、世間ではこれらをすべて不思議な力を持つ将平の仕業と考えた。

 打つべき手を失った将平は一族を引き連れての逃亡を余儀なくされた。
巻き添えを食った形となった藤宮では、以来、鬼と関わると一族に不幸を招くとされ、鬼を避ける慣習を遺して現代に至っている。

 
 「いかに、千年前の出来事とはいえ、慣習に逆らうのは気持ちのいいことじゃない。
彰久くんはあの鬼面川一族の末裔だ…。
 彼は私にとって可愛い弟子のひとりだし、人間的にはとても気に入ってもいるのだが。
しかし、娘の婿となると、どうも諸手を挙げて賛成はできんのだよ…。
 馬鹿げていると思われても仕方がないがね。」

陽郷は大きく溜息をついた。
 
 修は別の意味で頭痛がしてきた。
紫峰や藤宮の人間には普通なら考えられないようなジェネレーションギャップがある。
 若い世代にとっては千年も前…平安時代か…だが、年配層になるとほんの千年前…昨日のことのよう…。

 彰久がいままさに反論しようと口を開いたのを手で制して、修が代わりに異論を唱えた。

 「それは二人が気の毒ですよ。あの件は後日、生き残った藤宮の末の弟の証言で、鬼将の無実が証明されています。
 誤解が解けたのですから、お互いの一族が仲直りの印に姻戚関係を結ぶのも悪くないと思いますよ。」

紫峰の宗主であり樹の魂を持つといわれる修の言葉に、陽郷もなんとなくそうかもしれないと思い始めた。

 「まあ…もう一度よく考えて、務とも相談してみるが…期待はせんでくれ。」

 陽郷は息子の名を上げた。
この先彰久と長く付き合っていくのは長男の務だからということなのだろう。 

 とりあえずその話はそこで打ち切りになり、笙子の土産の包みなど開いて一頻り旅の話で盛り上がったあと、修は帰宅の途についた。

 頭痛を引き起こすあの大声の正体までは分からなかったが、そんなことよりもなぜか彰久に懐かしいものを感じてそれが妙に気になっていた。 樹の名前を知っている彰久。鬼将の末裔。
彼がここに存在するということは、鬼将が無事逃げおおせたということ…。

 いいようのない嬉しさがこみ上げてきた。
修は自分のほほを涙が一筋伝ったことに気付いたが、不思議なことになぜ涙が出るほど嬉しいのかは思い出せなかった。




 車を降りて門扉を閉めながら、彰久は今日の不思議な出会いについて考えていた。
あの時なぜ違う人の名前を言ってしまったのだろう。あの人もなぜ鬼将の名前を出したのだろう。
 そしてこの不思議な感覚。長い間、逢いたい…逢いたい…逢いたいと思い続けていたものが一瞬にして果たされたような喜び。

 誰もいない部屋に帰っても今夜は一人でいるような気がしなかった。
なんとなく気持ちがうきうきして、今日も結局はいい返事がもらえなかったというのにいつもほどは落ち込まない。何とかなりそうな気までしてくる。
 
 鼻歌交じりで気分よくシャワーを浴び、ベッドにもぐりこんで読みかけの本を手にした時、彰久は突然めまいを覚え、自分がどこにいるのか分からなくなった。

 どこかの屋敷の中のようだ。何か酷く切羽詰っているような感じを受ける。
目の前に人がいて…病人のようだが…何か必死に訴えている…。

 『…鬼将。このままでは命にかかわる…。無礼と思われるかも知れぬが、ここに当座の物を用意しておいた。これを使って一族を連れて逃げ延びよ。』

 『だが樹…俺は悪いことなどしておらん…。』
 
 『そんなことを言っている場合か…私は何度も忠告した…権力者には近付くな…目立たぬように過ごせと…。
おまえが招いた結果だが…無実の罪で死なせたくないのだ…生きよ!』

 『樹…。』

 『私は間もなく死ぬだろう…もはや寿命が尽きたのだ…。
最後に息のある間…おまえの行く道を安全に導いてやる…だから急げ…。』

 『分かった…。だが…俺のためにむざむざ命を捨てるな。恩は忘れぬ。必ずまた逢おうぞ!』

あの人は頷いた。優しく微笑んで…。
だのに本当に我らの行く道を照らし続け…護り続け…亡くなった…。

 気が付くと彰久はベッドの上に突っ伏して泣いていた。
あの人だ…。必ずまた逢おうと…約束した。逢えたんだ…。本当に逢えた…。

 『俺は無事だ…樹…。』




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二番目の夢(第二話 鬼の呼ぶ声)

2005-07-08 11:58:30 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 『鬼の一族』についての記録を紫峰家の古文書で調べてみたがそれらしいものはなかった。
紫峰家には口伝もあるので、一左にも確認したがその言葉には覚えがないという。
ただ笙子の親たちの反応から藤宮には何らかの記録が残っているのだろうと一左は言っていた。

 あれから史朗のところにも玲子の彼氏のところにもそういう手紙は来ないというし、年寄りが懐かしがって書いた、ただの近況報告だったのかもしれないと修は思い始めていた。



 居間のテレビがヒステリックな声を上げ叫んでいた。透も雅人も夢中になって画面を見つめている。何とか言う超能力者が遺体を見つけたの、事件を解決したの、そんな番組をやっていた。

 「こんなの紫峰の力を使えば一発だぜ。」

 「だめだめ。紫峰一族は外部には絶対裏の顔を見せられないんだ。」

番組が終わってテレビが切られると急に辺りが静かになった。

 「ねえ…修さん。僕ら人助けをしてはいけないの?」

雅人が訊いた。

 「人助けという言葉は耳障りがいいけれど、そう簡単なもんじゃないよ。」

修は二人に語って聞かせた。

 「人というのは身勝手な生き物だからね。
 例えばおまえが力を使って大事な落し物を探してあげたとしよう。偶然見つけたことにすれば親切な人…で済む。

 おまえが力の持ち主だということが分かってしまうと、そんな力があるならあれもして欲しい、これもして欲しい。できなければ…なぜできないんだ、うそつきだ、詐欺師だってことになる。

 それだけならまだいいが、この力を他人に悪用されたり、逆に怖れられて迫害されることもある。争いの種は極力避けるべきなんだよ。」

 その時、修の脳裏に何か引っかかるものが浮かんだ。『悪用…迫害?』すぐそこまで思い出しかかっているが、なかなか解答に結びつかない。

 そうしているうちにまた頭痛が襲ってきた。頭の中で鐘が鳴っているようだ。透も急に調子が悪くなったのかこめかみを押さえている。

 「なんか頭痛いんだけど。」

 「マジ…ちょっと待って。」

雅人は透の額に触れた。何かに気付いたように修の顔を見た。

 「え…? …鬼…? 修さん。その頭痛、誰かのでかい声が共鳴してるんだよ。でか過ぎて巧く伝えられないんだ。」

 雅人が頭痛の正体を読み解いた。修が感じていたようにやはり誰かが信号を送っている。
聴覚の優れた雅人は共鳴する音の中から言葉らしきものを捉え始めた。

 「…鬼…結界…村。樹…樹の名があるよ…。」

 修は愕然とした。樹の名を知るのは一族の者だけだ。だが今現在一族の中には樹に助けを求めるような危機的状況にある人はいない。外部の者がまさかとも思うが…。

 共通する『鬼』の文字。
 
 史朗の話とこの頭痛の間にはなんらかの関連があるように思えて、修は史朗の手紙について本腰を入れて調べてみる気になった。



 笙子の実家を訪れるのは久しぶりである。笙子の両親は笙子がいまだにとんでもない生活をやめないので修に対しては大いに引け目を感じている。そんな両親に気を使われるのが嫌で自然足が遠のいていた。

修が到着したとき、ちょうど玲子とその恋人が屋敷に入ろうとしていた。
ちょうど恋人が門を潜り抜けた時、玲子は修に気付いて立ち止まった。

 「修さん。おひとり…?どうなさったの?」

玲子は心配そうに訊ねた。彼女も笙子のことを気にしている。

 「少しご両親に伺いたいことがあってね。とくに玲ちゃんのいい人のことで…。」

玲子は頬を赤らめた。

 「あら…姉さんね? そんなことをお願いしたのは。 お忙しいのにごめんなさい。
彼は木田彰久さんというの。父の研究室で助手をしています。彰久さん…。こちら義理の兄…紫峰修さんよ。」

 気付かないまま先を歩いていた彰久は振り返って修の方を見た。修も彰久を見た。

 「紫峰…樹…。」

 「鬼将…。」

二人の口から思っても見ない名前が飛び出した。お互いに顔さえ知らぬはずの相手に思わず口走った名前。言った本人たちが驚いた。

 「あ…失礼しました。修さんでしたよね。」

 「こちらこそ…でもなぜその名をご存知で?」

修は彰久に訊ねた。

 「いや…知っているというほどではないのです。なぜか記憶にあるというだけで…。
あなたこそなぜ鬼将のことを?」

 「樹の知人の綽名です。本名は将平というのですが…。樹というのは先祖の名前です。」

 「奇遇です。鬼将は僕の先祖なんです。」

二人はまじまじとお互いを見た。

 「修さん。彰久さん。中へお入りになって。立ち話は落ち着きませんわ。」

玲子は二人を促して応接間へと案内した。




 玲子がお茶の用意をするためにに奥へ行っている間に、修は史朗から見せてもらった手紙のことなどを掻い摘んで彰久に話した。

 「史朗くんと僕は実際には従兄弟にあたります。あまり行き来がなかったので史朗くんは気付いてないかもしれませんが…。

そうですか。史朗くんの所にも…。

 実は僕自身もよくは知りませんが、なんでも僕の祖父という人が鬼将の血を引く一族の長だったそうです。
 早くに亡くなったためにすぐ下の弟が後を継いだらしいのですが、この人が最近亡くなった族長ではないかと思います。手紙をくれたのはもうひとりの弟のようで…。
 
 幼かった息子二人を連れて祖母が他家へ嫁いだので、村を出て以来ずっと音信不通というわけでして…。」

 彰久の許に届いた手紙もやはり彰久の父親に宛てたもので、史朗同様、最初は何のことだかさっぱり分からずに困惑したという。
 ただ、幼い頃に祖母がいつも断片的にしていた昔話を思い出してみるとなんとなく思い当たるものがあって、ただの御伽噺だと考えていたものが俄かに現実味を帯びてきた。
 
 玲子と一緒に両親が奥から姿を現した。二人とも修の急な来訪に驚きはしたものの、心から歓待してくれた。同席している彰久のことも嫌っているというわけではないようだ。むしろ、好意を持っていると見ていい。

 「笙子から皆さんに…タイの土産だそうです。」

 「タイの…あれはまたひとりで勝手に飛び歩いているのかね?」

笙子の父陽郷が渋い顔をした。

 「ひとりじゃありませんわ…。」

玲子が腹立たしそうに言った。母親の聡江がおよしなさいというように玲子の方をにらんだ。
陽郷がさらに渋い表情を見せた。

 「宗主…。」

 「仕事ですよ…お義父さん。それに僕のことは修と呼んでください。」

修にそう言われると陽郷は黙るしかなかった。

 「それより伺いたいのは…なぜ彰久さんを鬼の一族と言われるのですか?」

陽郷の顔に動揺の色が浮かんだ。

 「まさか…千年も昔のことを問題にしているわけじゃないでしょうね?」

彰久も玲子も『えっ?』と言わんばかりに陽郷の顔を見た。聡江ががっくりと肩を落とした。
何か言いにくいことがあるようで、陽郷はしばらく黙って考えていたがようよう決心がついたのかポツリポツリと語り始めた。
  

 

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