「不思議に…思わないか?」
修の魂が修の姿をした三左に語りかけた。
「おまえがどんなに暴れてもこの祈祷所は少しも壊されていないだろう?」
三左は思わず辺りを見回した。言われてみれば、あれほどの衝撃を受けても壁板一枚割れていない。長い年月の間に刻まれた傷や汚れはそのままであるのに三左の攻撃による破壊の跡は無い。
「紫峰の祈祷所は祖霊を祀った神聖な領域だ。
この壁や床板を護っているのは、歴代の宗主が遺していった念の『シールド(楯)』。
生きている間は己を捨てて宗主の責務を果たし、死に際してなお紫峰とその一族の安寧を願い、子孫の為に守護の力を遺して旅立つ。
紫峰の宗主とは本来そういうものだ…。徒に覇権を争う類のものではない。
その座を狙うおまえに宗主の重責を担う覚悟があるか?」
問われて三左は思わず怯んだ。三左が狙うのは宗主が手にする権力と財力。覚悟だの責任だのはどうでもいい。要は追放された自分が紫峰のすべてを手にするという胸の空くような快感を味わいたいのだ。
「わしを追放した奴に問え!そいつはわしにそんな責任を与えたくなかったんじゃろうよ。
そんなものはどうでもいい!
わしはこの紫峰の財力と権力を踏み台にして外の世界に打って出る。
この手に巨万の富を掴むのじゃ!」
意気込む三左の目を修は静かに見つめた。恨みと憎しみと欲望に狂った三左の心。
この救われぬ魂が世にある限り災いの種は尽きない。
「おまえはおまえのしたことの責めを負わねばならぬ。」
『生意気な!』三左は思った。『おまえ如きに殺られてたまるか!』
幼い頃から穏やかで控えめな男だった。何を考えているか分からないようなところは確かにあったものの、三左に対しては礼を尽くし、偉そうな態度は一度も見せたことはなかった。
ところがどうだ。今やこの男は三左からすべてを奪おうとしている。『虫も殺さぬような顔をしてよくもわしを陥れた。』
無数の念の砲弾が怒り狂う三左の身体から放たれた。それは惑星に降り注ぐ彗星のように激しく修に襲い掛かった。
修は微かに笑みを浮かべると、別段慌てる様子もなく自分に触れるその一瞬にすべてを消し去った。
矢を槍をと間断なく雨嵐のように攻撃しても、修の魂には掠り傷ひとつ負わせられない。
三左は困惑した。生まれて初めてといっていいほどの恐怖を覚えた。
一左、次郎左がいかに強いと言っても所詮、自分を倒せずに追い出した者たちのひとりに過ぎない。紫峰には彼ら以上の力の持ち主などいないはずだった。
『樹…。』その名が脳裏をよぎり慌てて打ち消した。そんな馬鹿な事があるはずがない。
千年も昔に死んだ男が現代に甦りを果たすなどありえない。
三左は持てる力のありったけを込めて、透たちに浴びせたよりもはるかに強大なエネルギーの塊を作り出した。
「ここにあるもののすべてを粉々に砕いてやる。人も。物も。」
それはつむじ風のように渦を巻き、唸りを上げて修に向かってきた。
それまで成り行きを見守っていた透たちも笙子たちもその力の凄まじさを肌にびりびりと感じ、互いに身を寄せ合いながら思わず低い態勢をとった。
修はまるでボールでも受け取るかのように軽く左手を差し出した。
その手に触れるや否やそれまでの勢いを失った塊は霧状になって宙に消えた。
「それで…仕舞いか?」
修が訊いた。ショックで動けなくなった三左を見据えながら修は透たちに語りかけた。
「さてと…透。雅人。
人は死んだら黄泉へ往くとか、冥界へいくとか、いろいろ言われているが…それは魂が存在してこその話。
おまえたちに伝えておかなければならない最後の相伝は『滅(完全なる死)』、紫峰最強にして最悪の奥儀。できれば使いたくもない代物だが…。
この悪鬼めはこのまま霊界へ送っても、いつまた舞い戻ってこようとも限らぬ。」
透はなぜか急激に悪寒のようなものを感じた。見ると雅人も震えている。祈祷所の中がまるで冷凍庫にでもなったようで、暗く冷たい空気が充満していた。
修の横顔からはいつもの温和な笑みが消え、感情も何も持ち合わせていない無表情な仮面と化している。
修を理想的な父親のように思っている透は信じないだろうが、この霊気は修がもうひとつの本性を現す前兆ではないかと雅人は思った。
雅人たちが知っている修は限りなく慈愛に満ち溢れた人だが、もうひとりの彼はおそらく三左以上に冷酷な人。長老衆が怖れるのはその両極面のギャップの激しさではないか。
そう考えると雅人はますます背筋が寒くなるのを覚えた。
笙子はいま賭けに出ていた。もはや、修は止められない。とにかく自分だけでもスタンバイしておかなければ。笙子は静かに自らの子宮に念を込めた。『生』を司る藤宮の奥儀のひとつ。
長と決められた幼女だけが厳しい修練の中で習得していく。『この相伝のために私は女性であることを義務付けられ、逆に女であることを捨てさせられたようなもんだわ。』
長く厳しい修練のために、自分のものではなくなってしまったような感覚さえ感じられるその腹部に軽く手をあてた。
『それでもそのおかげで修を助けることができれば…まあ…それはそれでよしとしなくちゃね。』
身体が胎児を受け入れる準備を始めると、笙子は黒田に言った。
「時間がないわ。あなたもすぐに合わせられるように心の準備だけはしておいてね。」
黒田は大きく頷いた。
一左の反応はまだない…。
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修の魂が修の姿をした三左に語りかけた。
「おまえがどんなに暴れてもこの祈祷所は少しも壊されていないだろう?」
三左は思わず辺りを見回した。言われてみれば、あれほどの衝撃を受けても壁板一枚割れていない。長い年月の間に刻まれた傷や汚れはそのままであるのに三左の攻撃による破壊の跡は無い。
「紫峰の祈祷所は祖霊を祀った神聖な領域だ。
この壁や床板を護っているのは、歴代の宗主が遺していった念の『シールド(楯)』。
生きている間は己を捨てて宗主の責務を果たし、死に際してなお紫峰とその一族の安寧を願い、子孫の為に守護の力を遺して旅立つ。
紫峰の宗主とは本来そういうものだ…。徒に覇権を争う類のものではない。
その座を狙うおまえに宗主の重責を担う覚悟があるか?」
問われて三左は思わず怯んだ。三左が狙うのは宗主が手にする権力と財力。覚悟だの責任だのはどうでもいい。要は追放された自分が紫峰のすべてを手にするという胸の空くような快感を味わいたいのだ。
「わしを追放した奴に問え!そいつはわしにそんな責任を与えたくなかったんじゃろうよ。
そんなものはどうでもいい!
わしはこの紫峰の財力と権力を踏み台にして外の世界に打って出る。
この手に巨万の富を掴むのじゃ!」
意気込む三左の目を修は静かに見つめた。恨みと憎しみと欲望に狂った三左の心。
この救われぬ魂が世にある限り災いの種は尽きない。
「おまえはおまえのしたことの責めを負わねばならぬ。」
『生意気な!』三左は思った。『おまえ如きに殺られてたまるか!』
幼い頃から穏やかで控えめな男だった。何を考えているか分からないようなところは確かにあったものの、三左に対しては礼を尽くし、偉そうな態度は一度も見せたことはなかった。
ところがどうだ。今やこの男は三左からすべてを奪おうとしている。『虫も殺さぬような顔をしてよくもわしを陥れた。』
無数の念の砲弾が怒り狂う三左の身体から放たれた。それは惑星に降り注ぐ彗星のように激しく修に襲い掛かった。
修は微かに笑みを浮かべると、別段慌てる様子もなく自分に触れるその一瞬にすべてを消し去った。
矢を槍をと間断なく雨嵐のように攻撃しても、修の魂には掠り傷ひとつ負わせられない。
三左は困惑した。生まれて初めてといっていいほどの恐怖を覚えた。
一左、次郎左がいかに強いと言っても所詮、自分を倒せずに追い出した者たちのひとりに過ぎない。紫峰には彼ら以上の力の持ち主などいないはずだった。
『樹…。』その名が脳裏をよぎり慌てて打ち消した。そんな馬鹿な事があるはずがない。
千年も昔に死んだ男が現代に甦りを果たすなどありえない。
三左は持てる力のありったけを込めて、透たちに浴びせたよりもはるかに強大なエネルギーの塊を作り出した。
「ここにあるもののすべてを粉々に砕いてやる。人も。物も。」
それはつむじ風のように渦を巻き、唸りを上げて修に向かってきた。
それまで成り行きを見守っていた透たちも笙子たちもその力の凄まじさを肌にびりびりと感じ、互いに身を寄せ合いながら思わず低い態勢をとった。
修はまるでボールでも受け取るかのように軽く左手を差し出した。
その手に触れるや否やそれまでの勢いを失った塊は霧状になって宙に消えた。
「それで…仕舞いか?」
修が訊いた。ショックで動けなくなった三左を見据えながら修は透たちに語りかけた。
「さてと…透。雅人。
人は死んだら黄泉へ往くとか、冥界へいくとか、いろいろ言われているが…それは魂が存在してこその話。
おまえたちに伝えておかなければならない最後の相伝は『滅(完全なる死)』、紫峰最強にして最悪の奥儀。できれば使いたくもない代物だが…。
この悪鬼めはこのまま霊界へ送っても、いつまた舞い戻ってこようとも限らぬ。」
透はなぜか急激に悪寒のようなものを感じた。見ると雅人も震えている。祈祷所の中がまるで冷凍庫にでもなったようで、暗く冷たい空気が充満していた。
修の横顔からはいつもの温和な笑みが消え、感情も何も持ち合わせていない無表情な仮面と化している。
修を理想的な父親のように思っている透は信じないだろうが、この霊気は修がもうひとつの本性を現す前兆ではないかと雅人は思った。
雅人たちが知っている修は限りなく慈愛に満ち溢れた人だが、もうひとりの彼はおそらく三左以上に冷酷な人。長老衆が怖れるのはその両極面のギャップの激しさではないか。
そう考えると雅人はますます背筋が寒くなるのを覚えた。
笙子はいま賭けに出ていた。もはや、修は止められない。とにかく自分だけでもスタンバイしておかなければ。笙子は静かに自らの子宮に念を込めた。『生』を司る藤宮の奥儀のひとつ。
長と決められた幼女だけが厳しい修練の中で習得していく。『この相伝のために私は女性であることを義務付けられ、逆に女であることを捨てさせられたようなもんだわ。』
長く厳しい修練のために、自分のものではなくなってしまったような感覚さえ感じられるその腹部に軽く手をあてた。
『それでもそのおかげで修を助けることができれば…まあ…それはそれでよしとしなくちゃね。』
身体が胎児を受け入れる準備を始めると、笙子は黒田に言った。
「時間がないわ。あなたもすぐに合わせられるように心の準備だけはしておいてね。」
黒田は大きく頷いた。
一左の反応はまだない…。
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