修のたちの家に到着した時、隆平は夢を見ているのかと思った。
どでかいゲートの向こうに広がる立派な庭園と林の間にいくつかの建物が見える。
だいたい庭の中を車で走るとは想像もしていなかった。まるでゴルフ場の中に屋敷が点在しているといった感じだ。
母屋の玄関をくぐると、はると呼ばれる女中頭が迎えに出てきた。
隆平の家にもお手伝いさんが二人ほどいたが、それは女手がないために来てもらっていたにすぎず、何とか頭などというものとはほど遠かった。
代々紫峰家に仕えているこのはるという人にはいかにもそれらしい風格があった。
「はる。 この子が隆平くんだ。 よろしく頼むよ。」
修がそう言うと、はるはにこにこと笑って頷いた。
「お待ちいたしておりました。 お部屋の用意はできておりますよ。」
隆平は恥ずかしそうにぺこっと頭を下げた。いかにも気後れしているようだった。
「まあまあ…隆平さま…使用人に対してはもっと堂々となさいまし。
高飛車であってはいけませんが決して臆してはなりません。
よろしゅうございますか…紫峰家は…。」
「はる。 その話は後で…。 部屋が先だ。」
修に促されて、はるは少し頭を下げ先にたって案内した。
そのはるを透と雅人が追い越した。
修は祖父に帰宅の挨拶をしに行ったようでついては来なかった。
「隆平くん。 向かって右が僕の部屋ね。 で…隣が修さん。 」
透が指を指しながら言った。
「その左が僕ので…えと…君の部屋はそのまた左! 早く来て開けてみて!」
隆平が扉を開けるとすでにすぐにでも使えそうな状態になっていた。
寝心地のよさそうな大きなベッド、これは多分紫峰の子どもたちが皆大柄なので、特大サイズにしてあるんだろう。
がっしりした木製の机に教科書や学用品も揃えてある。箪笥には真新しい制服や日用品、洋服に至るまですべてが揃えてあった。
「すごい…。僕なんて言っていいか…はるさんありがとうございます。
でも…本当にこれ…もらっていいのかなあ…?」
「お礼には及びません。旦那さまは隆平さまをご家族としてお迎えあそばされました。どうかご遠慮なさいますな。」
はるはまたにこにこと笑った。どうやら新しい坊ちゃまが気に入ったようだ。
「はるさん。 パソコンないよ。 パソコン。」
雅人が言った。
「ご心配なく。間もなく届きますよ。 私では分かりませんので、黒田さまにお願いしておきました。
何か欲しいものや足りないものがありましたらお申し付けくださいましね。」
そう言うとはるは部屋を出て行った。
「げげ…。 親父が来るのか…。」
透が言った。隆平はちょっと不思議そうな顔をした。
「透くんにはお父さんがいたの? 」
「透は生まれたときから修さんの手で育てられたけど実の親父もいる。
親戚の小父さんって扱いになってるけどね。 黒田っていう面白いおっさん。」
雅人が隆平に説明した。
「誰がおっさんじゃ! 」
背後から段ボール箱を抱えた黒田が現れた。
「下にまだ箱がある。 持ってこいや!」
黒田がそう言うと透と雅人は走っていった。
「さてと…隆平。 どこへセットするよ? 机でいいのか?」
「え…あ…僕…学校でしか触ったことないから…どこへって言われても…。」
いきなり隆平と呼ばれて驚いたが、どことなく孝太に感じが似ていて憎めない人だった。
「そうか…。そいじゃ机にしとこうな。邪魔んなったら移動ということで…。」
「黒ちゃん。箱あけていい? 僕が接続していい?」
雅人がが込んできた段ボールを置きながら訊いた。
「いいぞ。 隆平に分かるように教えながら組んでけ。」
雅人は隆平にポートの位置やケーブルの種類を確認させながら楽しそうに接続を始めた。透は箱や包装を片付けながら横からごちゃごちゃ口を出した。
修が性懲りもなく、また他人の子どもを引き取ったと聞いた時には、散々苦労したくせに物好きもいい加減にしろと言ってやるつもりだったが、子どもたちの仲の良い様子を見て黒田は少し安心し思い直した。
接続は雅人に任せて、黒田は下の居間の方へ降りてきた。
睡眠不足と長時間の運転で疲れたのだろう、修はソファで居眠りをしていた。
「まったく…おまえはいつも自分から苦労を背負い込んで…。」
ソファの肘掛の所においてあった膝掛けを、黒田はそっとかけてやった。
真夜中過ぎに隆平の悲鳴を聞いたような気がして修は飛び起きた。
他の二人を起こさないように静かに隆平の部屋へ入っていくと、ベッドの上で隆平が脂汗を流して恐怖に震えていた。修を見ると縋るように手を伸ばしてきた。
修はそっと抱きしめてやったが震えはなかなか止まらなかった。
「隆平…隆平…大丈夫だよ。 誰も君を殴ったりはしないよ。」
修はある程度こうしたことが起きる可能性もあると予測していた。
危険から解放されても隆平の中に積もり積もった長年の恐怖は簡単には消えない。
長旅の疲れや、環境が変わったことによる緊張やいろんな要素が交じり合って、恐怖を呼び起こさせたのだろう。
「修さん。大丈夫?」
雅人と透が起きてきた。
「ああ…ごめん。起こしちゃったね。大丈夫…寝てていいよ。
今夜は僕がついてるから…。」
「…分かった。 続くようなら交代するからね。」
透にもかつて似たような経験があったから、今夜だけでは治まらないだろうと考えていた。精神的なショックからよく眠れなくなり、その時に修がずっと添い寝をしてくれていたのを思い出したのだ。
修に後を任せて二人は部屋へ戻っていった。
「隆平…さあ…眠ろうな。 大丈夫だから…。 ここにいるからな…。」
修はそっと隆平を寝かせてやると、自分も傍に横になり、幼い子どもにするように髪を撫でてやったり、背中をとんとんと叩いてやったりした。
やがて落ち着いた隆平は寝息をたて始めた。その安心しきった寝顔を眺めながら、修もそのまま眠りに落ちた。
紫峰家で初めての朝を迎えた隆平は、夕べ皆に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思い、はるが起こしに来る前から身支度を整えて急ぎダイニングへ駆け下りてきた。
「お…おはようございます!」
食卓では透と雅人がパンをくわえながら眠そうにだれていた。
「おふぁよ。」
「うぃっす。」
隆平は自分のせいで皆寝不足なんだと思った。
「ごめんなさい…。 眠れなかったでしょ? 」
透と雅人は互いに顔を見合わせた後で隆平の方を向いて言った。
「気にすることないよ。僕等もそういうことあったんだ。ちょっと前にさ。」
「僕は一日だけだったけど…透は落ち着くまでめちゃかかったらしいぜ…。
超甘えっ子だから。」
「おお言ってくれるぜ。 大声上げて泣きまくったくせに。」
はるが咳払いをしながら奥から隆平の食事を運んできた。
隆平が席につくとこんがり焼けたパンがいいにおいを漂わせた。
「旦那さまはすでにお出かけですが、もしお身体の調子がお悪いようでしたら今日の登校は控えるようにとのことでございました。」
「いいえ…どこも悪くないです。 登校します。」
はるはにっこり笑って頷いた。
透たちにも同じような体験があると聞いたことで少し気は楽になった。
心配かけたくない一心で隆平は朝食をたいらげ、透たちと一緒に出かけていった。
漆黒の闇の中でそれは怒りの唸り声をあげていた。あの嵐の夜に産声を上げたはずの大切なしもべたちが何者かによって強力に封印されている。
半分は解けるが半分は解けない。いらいらとした空気があたりに漂う。
まだ復讐は終わっていない…。終わっていない…。
隆弘が…首を取り忘れた連中の…息の根を止めるのだ…。
根絶やしに…してやる…。
魔物の餌食にしてやる…。
…を殺した奴等を…。
見殺しにした…奴等を…。
鬼遣らい…で…。
次回へ
どでかいゲートの向こうに広がる立派な庭園と林の間にいくつかの建物が見える。
だいたい庭の中を車で走るとは想像もしていなかった。まるでゴルフ場の中に屋敷が点在しているといった感じだ。
母屋の玄関をくぐると、はると呼ばれる女中頭が迎えに出てきた。
隆平の家にもお手伝いさんが二人ほどいたが、それは女手がないために来てもらっていたにすぎず、何とか頭などというものとはほど遠かった。
代々紫峰家に仕えているこのはるという人にはいかにもそれらしい風格があった。
「はる。 この子が隆平くんだ。 よろしく頼むよ。」
修がそう言うと、はるはにこにこと笑って頷いた。
「お待ちいたしておりました。 お部屋の用意はできておりますよ。」
隆平は恥ずかしそうにぺこっと頭を下げた。いかにも気後れしているようだった。
「まあまあ…隆平さま…使用人に対してはもっと堂々となさいまし。
高飛車であってはいけませんが決して臆してはなりません。
よろしゅうございますか…紫峰家は…。」
「はる。 その話は後で…。 部屋が先だ。」
修に促されて、はるは少し頭を下げ先にたって案内した。
そのはるを透と雅人が追い越した。
修は祖父に帰宅の挨拶をしに行ったようでついては来なかった。
「隆平くん。 向かって右が僕の部屋ね。 で…隣が修さん。 」
透が指を指しながら言った。
「その左が僕ので…えと…君の部屋はそのまた左! 早く来て開けてみて!」
隆平が扉を開けるとすでにすぐにでも使えそうな状態になっていた。
寝心地のよさそうな大きなベッド、これは多分紫峰の子どもたちが皆大柄なので、特大サイズにしてあるんだろう。
がっしりした木製の机に教科書や学用品も揃えてある。箪笥には真新しい制服や日用品、洋服に至るまですべてが揃えてあった。
「すごい…。僕なんて言っていいか…はるさんありがとうございます。
でも…本当にこれ…もらっていいのかなあ…?」
「お礼には及びません。旦那さまは隆平さまをご家族としてお迎えあそばされました。どうかご遠慮なさいますな。」
はるはまたにこにこと笑った。どうやら新しい坊ちゃまが気に入ったようだ。
「はるさん。 パソコンないよ。 パソコン。」
雅人が言った。
「ご心配なく。間もなく届きますよ。 私では分かりませんので、黒田さまにお願いしておきました。
何か欲しいものや足りないものがありましたらお申し付けくださいましね。」
そう言うとはるは部屋を出て行った。
「げげ…。 親父が来るのか…。」
透が言った。隆平はちょっと不思議そうな顔をした。
「透くんにはお父さんがいたの? 」
「透は生まれたときから修さんの手で育てられたけど実の親父もいる。
親戚の小父さんって扱いになってるけどね。 黒田っていう面白いおっさん。」
雅人が隆平に説明した。
「誰がおっさんじゃ! 」
背後から段ボール箱を抱えた黒田が現れた。
「下にまだ箱がある。 持ってこいや!」
黒田がそう言うと透と雅人は走っていった。
「さてと…隆平。 どこへセットするよ? 机でいいのか?」
「え…あ…僕…学校でしか触ったことないから…どこへって言われても…。」
いきなり隆平と呼ばれて驚いたが、どことなく孝太に感じが似ていて憎めない人だった。
「そうか…。そいじゃ机にしとこうな。邪魔んなったら移動ということで…。」
「黒ちゃん。箱あけていい? 僕が接続していい?」
雅人がが込んできた段ボールを置きながら訊いた。
「いいぞ。 隆平に分かるように教えながら組んでけ。」
雅人は隆平にポートの位置やケーブルの種類を確認させながら楽しそうに接続を始めた。透は箱や包装を片付けながら横からごちゃごちゃ口を出した。
修が性懲りもなく、また他人の子どもを引き取ったと聞いた時には、散々苦労したくせに物好きもいい加減にしろと言ってやるつもりだったが、子どもたちの仲の良い様子を見て黒田は少し安心し思い直した。
接続は雅人に任せて、黒田は下の居間の方へ降りてきた。
睡眠不足と長時間の運転で疲れたのだろう、修はソファで居眠りをしていた。
「まったく…おまえはいつも自分から苦労を背負い込んで…。」
ソファの肘掛の所においてあった膝掛けを、黒田はそっとかけてやった。
真夜中過ぎに隆平の悲鳴を聞いたような気がして修は飛び起きた。
他の二人を起こさないように静かに隆平の部屋へ入っていくと、ベッドの上で隆平が脂汗を流して恐怖に震えていた。修を見ると縋るように手を伸ばしてきた。
修はそっと抱きしめてやったが震えはなかなか止まらなかった。
「隆平…隆平…大丈夫だよ。 誰も君を殴ったりはしないよ。」
修はある程度こうしたことが起きる可能性もあると予測していた。
危険から解放されても隆平の中に積もり積もった長年の恐怖は簡単には消えない。
長旅の疲れや、環境が変わったことによる緊張やいろんな要素が交じり合って、恐怖を呼び起こさせたのだろう。
「修さん。大丈夫?」
雅人と透が起きてきた。
「ああ…ごめん。起こしちゃったね。大丈夫…寝てていいよ。
今夜は僕がついてるから…。」
「…分かった。 続くようなら交代するからね。」
透にもかつて似たような経験があったから、今夜だけでは治まらないだろうと考えていた。精神的なショックからよく眠れなくなり、その時に修がずっと添い寝をしてくれていたのを思い出したのだ。
修に後を任せて二人は部屋へ戻っていった。
「隆平…さあ…眠ろうな。 大丈夫だから…。 ここにいるからな…。」
修はそっと隆平を寝かせてやると、自分も傍に横になり、幼い子どもにするように髪を撫でてやったり、背中をとんとんと叩いてやったりした。
やがて落ち着いた隆平は寝息をたて始めた。その安心しきった寝顔を眺めながら、修もそのまま眠りに落ちた。
紫峰家で初めての朝を迎えた隆平は、夕べ皆に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思い、はるが起こしに来る前から身支度を整えて急ぎダイニングへ駆け下りてきた。
「お…おはようございます!」
食卓では透と雅人がパンをくわえながら眠そうにだれていた。
「おふぁよ。」
「うぃっす。」
隆平は自分のせいで皆寝不足なんだと思った。
「ごめんなさい…。 眠れなかったでしょ? 」
透と雅人は互いに顔を見合わせた後で隆平の方を向いて言った。
「気にすることないよ。僕等もそういうことあったんだ。ちょっと前にさ。」
「僕は一日だけだったけど…透は落ち着くまでめちゃかかったらしいぜ…。
超甘えっ子だから。」
「おお言ってくれるぜ。 大声上げて泣きまくったくせに。」
はるが咳払いをしながら奥から隆平の食事を運んできた。
隆平が席につくとこんがり焼けたパンがいいにおいを漂わせた。
「旦那さまはすでにお出かけですが、もしお身体の調子がお悪いようでしたら今日の登校は控えるようにとのことでございました。」
「いいえ…どこも悪くないです。 登校します。」
はるはにっこり笑って頷いた。
透たちにも同じような体験があると聞いたことで少し気は楽になった。
心配かけたくない一心で隆平は朝食をたいらげ、透たちと一緒に出かけていった。
漆黒の闇の中でそれは怒りの唸り声をあげていた。あの嵐の夜に産声を上げたはずの大切なしもべたちが何者かによって強力に封印されている。
半分は解けるが半分は解けない。いらいらとした空気があたりに漂う。
まだ復讐は終わっていない…。終わっていない…。
隆弘が…首を取り忘れた連中の…息の根を止めるのだ…。
根絶やしに…してやる…。
魔物の餌食にしてやる…。
…を殺した奴等を…。
見殺しにした…奴等を…。
鬼遣らい…で…。
次回へ