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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

昔ここに耽羅王国があった

2010-04-06 18:19:09 | 旅行記

済州島の歴史をほとんど知らない。 私が済州島へ行ってくると言ったら ネットの仲間が「あそこは昔ゲリラ戦で苦労したところです。」と教えてくれた 何時の闘いで? あの朝鮮戦争だろうか?

そんな事を心に少ししまって出かけた済州島。 耽羅王国発祥の地に出かけた。済州島には 高・梁・夫という三つの姓があって 耽羅王国に深く関係しているのだと

三姓穴という場所がある。 地面に三つの穴が開いている。 済州島の三神人はこの穴からひょこっとでてきたのだと信じられている。

Sanseiketu 三人の男の人はここで狩猟生活をして暮らしていた。

ここにある日碧浪国(どこや?)の姫が三人 五穀の種子と家畜を持って船でやってきた。 三人で良かったぁ 

どっちが良いとかいう仲間割れも無かったらしく(ごめんなさい茶化して)配偶者に迎えて 農耕生活が始まる。

これって単に結婚したと言うだけではなく 文化 暮らしの融合と考えるとすごいことなんだよね。

三姓穴は 神話にムキになることも無いけれど 息の詰まりそうな小さな穴で その神秘性は周りの木々が穴の方向にお辞儀するように引き込まれているので 私も力を感じるよ。

婚姻址 ここには行っていないけれど 婚礼のために身を清めた池があり 神房窟は婚礼の初夜を過ごしたところだそうだ。 写真で見るとやはり小さくて 三つの洞穴がくっつくように並んでいるので ここで初夜を?・・・と いらんことを考えてしまった。 

Sanseiden それぞれの伴侶を得た三神人は 今度は住む場所を決めないといけない。 弓を射て突き刺さった石からそれぞれ治める場所を決めたそうだ。

こうして豊かな国となった耽羅王国を大事に思って今でも年に二回 春 秋と乾始大祭を行っているそうです。

オモニの知り合いにもここの出身者がいて大祭に参加しなくてはいけないんだけれど 日本にいて参加できないと言うのでオモニはいっぱいの写真を撮ってメールで送っていた。 喜んでいるかな? きっと喜んでいるね? 自分たちの原点だもの。

Kansimon

そんなふうに出来た国も小さな島故に 独立を貫くことは難しかったらしく やがて百済 新羅 高麗などに服属されやがて李王朝に統合されたとのこと

チェジュの人々は穏和で戦争が嫌いだったのかもしれない。 

済州島から戻ってしばらくしてから 亭主から新聞の特集を渡された。それは1948年の4・3事件のことが載っていた。 とても痛ましい事件だった。韓国現代史のタブーとしてながいあいだ蓋をされてきたことらしく 私は全く知らないことだった。(生まれる前と言うこともあるけれどそれ以上にこの国の歴史に目をつむっていたのかもしれない)

そんな国だったけれど ちょっと見た目は 綺麗なリゾート地で 美くしい海 美しい島だった。

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絶不調の中の済州島

2010-04-02 21:37:15 | 旅行記

去年釜山 慶州の旅をしたとき 韓国にも素敵な山がいっぱいあることを知り 今度はハンラサンと決めた。

ハングルが全く分らない私。 韓国では日本語も 英語も消えてしまって 一人で行くのは危ない。 そうだ オモニがいるじゃん

仲良くしてもらっている オモニにハンラサンに行きたいから 通訳頼むと 報酬無し 旅費無しの 身勝手なお願いをしたのが去年。 快諾してくれたオモニと旅行だ~ とるんるん

実は 今年三月十五日に会社を辞めるつもりでいた。

Isinoojisan 3月16日からの済州島行きに 有頂天になっていた。 これからは お金は入ってこないけれど いっぱいやりたい事あるし。。。。と楽しみにし 体も退職の日を待っていたに違いない。

Sentorea 思惑が外れて 止めないでと言われ 止めたあとのことを想像すると 無理も言えなくて

で とてもテンションが落ちて 何時止められるのか不安で過ごした一ヶ月だった。

「遊んできて良いから また戻ったら頼む。」と言われ

前泊するためのセントレアは海の中の人工島 風の強さは半端ではなく そこで風邪を引いてしまったらしい。 あら? 熱が・・・ この頃滅多に熱ださなかったのに

どうしよう? 行くの止めようか? オモニに悪いし  新型インフルエンザ? いや 咳も何も無いよ 只熱が・・・ 頭痛も   ロキソニン呑みまくり

こんな具合で出発したから 調子よいはず無く 一日目は何も食べられず。 みんなが心配するといけないので「良く噛めば良かろう」と少し食べてみるも すぐに戻す。 あかん

二日目はありがたいことに アワビ粥から始まる。 少しだけ食べる。 何も食べていないとふらふらするしね。 おお~ 何とか元気

ところが無理をしたらしく そしてロキソニンのせいで 胃がきりきり痛み 挙げ句の果てにおなかを壊す。 みんなに隠しようもなく 本当に情けない。 どこにも行けず

何時もそばで心配してくれたオモニを巻き込んで 絶不調の済州島旅行。 日本に帰ってもしばらくは食事できないで 普通に食事が出来るようになるまで 一週間。

それでも意識朦朧の中で歩いた済州島 さすがにハンラサンは行けなかったけれど 記憶に残るシーンはいっぱいあって 転んでもただでは起きない私。 出来る範囲でいっぱい楽しんだ旅行記を これからすこしづつ上げていきます。 

体調不良は 聞いても楽しくないので ここでおしまい。

Siragihoteru  

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古刹霊山寺

2010-04-02 00:51:38 | 山歩き

野外活動センターに戻って 車で霊山寺に行く事にする。 途中で出会ったお兄さんもう着いているかしら? 霊山寺からの登りよりも 野外活動センターからの登りの方がきつい・・と行っていらした。 それでも両方登るのだから・・・ぴーちゃんも本当はそうしたかっただろうけれど 私の膝を心配して我慢した。 ゴメン

霊山寺は 思ったより下の方にあった。 白藤の滝よりも もっとしたのほうに分岐があって「良かったぁ 歩かなくて」と胸をなで下ろす。

Reizanji 驚くほど大きな駐車場を持ったお寺だった。 それに引替え 本堂の可愛らしいこと。

跡から作ったので新しいと勝手に思っていたけれど 江戸時代に移されたのだったら それなりに歴史があるわけで 

そしてお寺の周りを見ると苔むした石仏がいっぱい。私たちは野外活動センターから登ったけれど 元もとこの霊山寺から頂上の霊山寺へ登る道が参道であったのだ。

Sakura 前庭には桜や梅がいっぱい植わっていて この辺りでは桜の名所として有名らしい。 行ったときはまだあまり咲いていなかったけれど 今頃綺麗だろうな。

Isibotoke_2

Ohatukiicyou ここの銀杏 ちょっと変でしょ? 雌雄一体のような出で立ち。

雄? 雌? どっちよ? ン? ひょっとして お葉付き銀杏なんじゃないの? 昔ぴーちゃんと醒ヶ井のお寺で見たことがある。 銀杏と葉っぱがいっしょに付いたブローチのような銀杏

後で調べたら ピンポーン ぴんぽーん

それにしても見事なお葉付き銀杏やなぁ まるで天を突くような聳え方。

Isibotoke2 Tozanguti2_3

Tubaki Keidai

少し登ってみたい気持ちに駆られたけれど 境内をうろうろするだけで今日は帰ることに

あ かいくん

Kaikun そうそう 今思い出した。わんちゃんは ゴン太でも ハチでもなかった  かいくんだった

かいくーん 美味しいものをくれないおばさん達と思ったか 山登りして疲れたか ちらっと見ただけで知らん顔。

もし霊山寺で わんちゃん見たら呼んであげてください

かいくーん

言い遅れたけれど 霊山寺の秘仏は11面観音様だそうな。 見られなかったな  

コメント (2)
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