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林 鈴木(私)寺林 そして 武林(たけばやし)

2012-09-06 01:00:00 | 対鴎館 大石神社 四十七士 赤穂城

年長者順に、林 鈴木 寺林の三人で赤穂まで慰安旅行に出かけた。全員齢(よわい)60以上。なぜか木に関係する姓を持つ三人である。鱧(はも)会席大石神社が目当てであった。

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ところで、鴎(かもめ)多いの?」「ちっともいません」と送迎マイクロの運転手。

 ホテルから展望し「あれが小豆島、あれが家島だよ、二十四の瞳の舞台が右、釣堀公園があるのが左。」「そうか」  反応あり

「瀬戸内少年野球団は淡路だぜ。夏目雅子だよ」  反応なし

瀬戸内少年愚連隊あったよな」私「う?」「それは岸和田少年愚連隊。井筒監督」

あっ、パッチギか?私「何でその流れになるの?でも、どうして京都銀行のコマーシャル出てんだろうな?」 反応なし

   そして翌日強烈な炎天下をふらふらと大石神社へ歩く2012_09030008

「どっかで結婚式でもやってんのかいな」「やってるの?」反応あり

おなじみの雅楽が大音量で流れる大石神社。

鉄砲?大砲?おのおの方、お待ちくだされ。吉良を、狙撃して殺しても、毒殺しても、幕府は病死として扱うのが必定。仕置き人に頼んではならぬ。刀で切り込む。飛び道具は弓矢に限定。さすればこそ、我々のプロパガンダが有効になるのでござるてな訳だよ。」  反応なし

ドクター康仁の赤穂切り込み隊員の評価

戦争の不条理なんて全く無い「条理のみ」の塊(かたまり)

最後まで殺意を抱いていたご老人

堀部弥兵衛金丸 享年77

吉田忠左衛門兼亮 享年64

間瀬久太夫正明 享年63

小野寺十内秀和 享年61
間喜兵衛光延 享年69

村松喜兵衛秀直 享年62

最後まで殺意を持ち続けるのか、俺たちにできるかよ」 反応なし

生き延びて最も長寿の 寺坂吉右衛門信行 享年83

足軽では唯一の参加者。討ち入り時は38歳。江戸で没。

浅田次郎「壬生義士伝佐助の役回り、映画じゃ村田英夫じゃないよ、村田雄浩だって。」 反応なし

辞世の句に現れる性格分析

大石内蔵助良雄 

あら楽や 思ひは晴るゝ身は捨つる 浮世の月に かゝる雲なし

基本的に楽天家、でもこういう御仁に狙われたら恐ろしい。「これでプレッシャーから開放された。指導者としての役目も終わったことだし、(酒でも飲んで)寝るとするか」達観している。反応なし

早水藤左衛門満尭 

地水火風空のうちより出し身の たどりて帰る もとのすみかに

空気 火 土 水 ギリシャ哲学に近い。虚空があるのでインド哲学。

S.ホーキングより先行してるね。 誰も反応なし

武林唯七隆重 

辞世の句が漢詩であるのは武林だけのようだ。お前さんの寺林じゃないんだよ、念のため。」「ん? 反応とは言えない

三十年来一夢中 捨身取義夢尚同 双親臥病故郷在 取義捨恩夢共空

豊臣秀吉主導の16世紀後半の日対明、李氏朝鮮の朝鮮戦争昔版で、祖父が、日本軍の捕虜となった。そのおじいちゃんは、浙江省杭州武林(うーりん)に生まれ、医学を学んで育った。浙江省は昔から学問で身を立てる人材に富む。紹興酒はその地方特産。で、おじいちゃんが浅野家に医術を持って仕えるようになり、士分に取り立てられて、「武林」を氏として和名をタケバヤシにした。日本人妻との間の子が隆重の父の渡辺式重の次男ということになる。長男は母親の渡辺家を継ぎ、本人は分家して「武林」を家名として使い「武林家」を再興した。時系列で言うとこうなる。長いね。 「少林寺?かよ。あの、俺は寺林だから」 どういう反応と言えばよいのか。

横川勘平宗利 

まてしばし 死出の遅速はあらんとも まつさきかけて 道しるべせむ