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「ありがとう」

2007-03-08 23:45:11 | Anime(アニメ・コミック)
■アニメ「武装錬金」---第23話「BOY MEETS BATTLE GIRL」

ヴィクター化した人間を戻す唯一の手段、白い核鉄。
しかし、白い核鉄の基盤となる、黒い核鉄の生成法は既に100年の昔に失われ、100%同じものを新たに生成する事は不可能…。
ヴィクター化した人間---ヴィクターとカズキ、2人に対して、白い核鉄はひとつ。


「錬金術がそんな簡単に、みんなを幸せにすると思う?」

---更に、決断を要す。

果たして展開は最終局面へ---大きな決断を迫られたカズキ、そして斗貴子たちは揺れる心もそのままに、錬金戦団とヴィクターとの激戦の裏で、束の間の日常へと回帰する…。

そんな本編は、原作コミックス9巻収録・最終話「BOY MEETS BATTLE GIRL」をベースに、枠に合わせた追加シーンによって肉付けされた内容に。
この”最終話”というのは、事実上の最終話と同義ではなく、「週刊少年ジャンプ」誌上での連載が最後(打ち切り)という意味で、この後に「赤マルジャンプ」に掲載された「武装錬金ファイナル」→「武装錬金ピリオド」、そしてコミックス描き下ろしの「武装錬金アフター」にて漫画版のシリーズが完結するのは周知の事実。(※ちなみに、シリーズ自体は小説版「武装錬金//(ダブルスラッシュ)」へと続いています)

とは言え流石に「ファイナル」や「ピリオド」の様にページ数が大幅に増やされている訳でもない、原作1話分だけで30分の尺を持たせるには足りないので、先述した通り、ストーリーに肉付けをした上で構成されているものの、その肉付け=追加シーンに関しては、大きく評価出来る部分と、その逆に不要だったのではないかと思われる部分に分けられるのはないかと。
前者---大きく評価出来る部分としてはまず、ヴィクターとの決戦場から、秋水含む再殺部隊がヘリにて移動するシーン。
此処では火渡の「任務完了後に、再びヴィクターⅢ(カズキ)を再殺する」という様な発言(やり方)を、秋水が批判するという展開に、本来は「ファイナル」まで登場の機会の無く、「黒い核鉄」「ヴィクター」を巡る一連の件については言及する事も無かった秋水自身に、カズキや錬金戦団(と言うか再殺部隊)に関して発言させる事で、同じ話の中で「桜花&ゴゼン様」「ブラボー」「剛太」「パピヨン」其々が語るシーンに、更なる上乗せが出来ているのは巧いですね。
また、火渡という存在には、カズキかヴィクターのどちらかが人間に戻れたとしても、その先にはどちらかが再殺対象となる現実が待ち構えているという、ある意味でヴィクトリアの「選択肢がある分だけ、アナタはまだまだ幸せ」というセリフの逆説的に、選択の先には悲劇だって待っているという認識を持たせる役割を持たせているのも効果的。

そんな「選択」というファクターが、カズキとまひろの思い出の中---かき氷のメロン味とイチゴ味、両方とも食べたいとねだるまひろに、カズキが自分のメロン味のかき氷を食べさせようとした際に、誤ってまひろの服に溢してしまい、まひろをなだめている間にどちらのかき氷も融けてしまったという話として、あたかもカズキとヴィクターをかき氷にたとえて、2人とも助けようとしても、白い核鉄がひとつしかない現実に、どうすれば良いのかと迷い続けていては、どちらも元の人間には戻れないという暗喩になっている様に思え、現実の範疇内での非現実である「遊園地」を、現実の範疇を超えた「錬金術」の世界の対比として描いた部分も加えて、一連の追加シーンについては、カズキに突き付けられた選択の重さと世界の現実を強調し、後の---
「オレがみんなを守るから、誰かオレを守ってくれ……」
というセリフに結実している点を、非常に大きく評価したいところですね。

給水塔の上、「ありがとう」という言葉を受けて、あらためて自分自身の決意を固めるカズキ。
そして、その決意を受け止め、共に生きようとする斗貴子さん。
重なったふたつの思いは、夕焼けで真赤に彩られた誓い---キスとなって、果たしてEDは久し振りの「ホシアカリ」で締め……って、アレ?

…何故に直後に、ヴィクターと錬金戦団の艦隊との戦闘シーンを入れるかな;
此処は余韻を残したままに、そのままED(曲は「ホシアカリ」)へと雪崩れ込むか、或いは一連のシーンのBGMとして「ホシアカリ」のオリジナル版を流したままに、EDアニメへと繋いで、ラストカットはキスシーンの2秒後、原作最終話の扉絵「照れる2人」で締めるのが最良だったのはないかと。
この戦闘シーンだけは、いかに現状を再認識させる為の意味合いがあったとしても、他の追加シーンとは異なり、はっきり言って構成的には不要、もしくは次回のアバンに廻すか、それとも本編→EDを消化した後に組み込むなりにした方が、絶対に今回の完成度が高まったと言っても、決して過言ではないですね。
また、この構成ではED曲が「愛しき世界」でも仕方がないですけど、今回の斗貴子さんの「ありがとう」というセリフがあるからこそ、歌詞に同じく「ありがとう」という単語の含まれる「ホシアカリ」がベストだったのは言うまでも無く…本当に残念ですわ、えぇ;


いよいよ物語は最終決戦(ファイナル)へ。
久し振りに斗貴子さんの登場したエンドカードの「キミと私は一心同体だ」というキャッチも、非常に重要な意味合いを持つ事に。
次回、「キミが死ぬ時が私が死ぬ時」

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